ハンガーにかけられたコートは、なぜあんなに偉そうなのか?
はじめて意識したのは十八歳の時だった。一人暮らしをはじめた冬である。自分のコートをハンガーにかけて思った。なぜ、コートという衣類はこんなにも偉そうなのか? 衣類がここまで偉そうな態度を取ることがあるか?
正面から見たときの話である。ものすごく偉そうに感じる。両腕の張りかたが尋常じゃない。直立不動である。非常に堂々としている。二文字であらわすならば「凱旋」である。あきらかに何かを成し遂げている。
それは、ハンガーにかけられたことの誇りなのか? すなわち、他の衣服はたいてい畳まれているが、自分は畳まれることなく、ハンガーという特権的地位にある。その誇りが、コートの態度を偉そうにするのか?
この視点をいちど獲得してしまうと、服屋に行くことも大変である。あちこちに偉そうな衣類が飾られている。ハンガーにかけられたジャケットというのも、なかなかに偉そうだ。ものすごく胸を張っている。形状記憶ということなんだろうが、そもそも、形状を記憶してやろうという魂胆が偉そうでしょう。よっぽど形状に自信があるんでしょうね。
その点、ネルシャツなんかは、クタッとしていて、かわいらしい。Tシャツとなれば、もはや偉そうでもなんでもなく、ただのペラペラの布である。とっても気さく。
十九歳の冬、一人暮らしの部屋に女の子が来た。われわれはまだ微妙な関係だった。お互いに意識はしている。しかし、完全に打ち解けているわけでもない。会話は瞬間的に盛り上がり、ふと途切れて沈黙が支配する。
そんな状況で、壁にかけられた彼女のコートだけが堂々としていた。ぎこちなく笑う彼女の向こうに、堂々と胸をはる彼女のコートが見える。私は緊張しつつ、たまにその偉そうなコートを見ていた。なんであんなに偉そうなんだろう。ハンガーにかけられた野獣の証。「あまたのオスを喰い尽くし、いまだ欲望は満たされぬ」みたいな雰囲気。しかし彼女は照れていた。どっちが本当の君なの。
めしを食うか本を買います