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不潔なハエをプロデュースして人気の虫にしたときに起こりうるハエの内面的危機について

初出:『真顔日記』2020年

人間に嫌われる虫として、ハエとゴキブリは二大巨頭。どちらも視界に入れば即座に殺されている。今回はとくにハエについて考えてみたい。なぜ、ハエはこんなにも嫌われるのだろうか? どうすれば嫌われないようになるだろうか? もしも、ハエをプロデュースして、人気の虫にするならば、どうすればいいだろうか?

やはり、ハエのイメージが悪いのは、うんこにむらがるところだろう。私がハエのプロデューサーだったならば、まずはそこを指摘する。うんこにむらがるのはやめよう。次に、手足をこすりあわせるのもやめさせる。あれもイメージがよくない。手足をこすりあわせるアイドルに少数の偏執的なファンはついても、大衆ウケはしない。だからこれも禁止する。

うんこにむらがるのをやめさせ、手足もピシッと伸ばしているようになれば、かなりマシになるだろう。あとは羽音のブーン。あれもよくない。これに関しては「ちょうちょを見ろ」と言う。私はハエをファミレスに呼び出して説教する。

「ちょうちょ先輩がなぜ人気かわかるか? 羽音をさせないからだ。飛ぶ軌道も優雅だ。ちょうちょ先輩がなぜ直進しないか分かるか? 目的がないからだ。余裕があるからだ。その余裕が"優雅"を生むんだ。おまえがなぜ直進するかわかるか? うんこのことばかり考えているからだ。うんこに対する欲望が羽音に出ているんだ。おまえ、本当はまだむらがってるんじゃないだろうな?」

ハエは首をふるが、私は信頼しない。

「もっと優雅に!」

レッスンの日々が続く。

「音を鳴らすな、ひらひらと飛べ! 何度も同じこと言わせんな! まだ羽音出てんぞ!」

私の猛特訓によって、ハエは人々に愛される虫として生まれ変わる。いまやゴキブリとは並べられず、ちょうちょとハエの愛されコンビとして存在することとなる。女の子たちの好きな虫は、ちょうちょかハエ。女の子はみな、頭にハエの羽根かざりをつけている。だが私は言う。

「まだ女子ウケしかない。次は男子票だ」

そして、カブトムシとクワガタに挑戦する。ツノをつけてみたり、ハサミをつけてみたり、試行錯誤の日々がふたたびはじまる。

そしてとうとうハエは、カブトムシの勇猛果敢とチョウの洗練優雅を兼ね備えた奇跡の虫となる。だれからも愛される虫、国民的な人気虫となる。子供たちの好きな昆虫はぶっちぎりでハエ。男子も女子もハエが好き。男子はゲームでハエを戦わせ、女子はハエ柄のワンピースを身につける。

さて、ここからが本題である。

この時、ハエにアイデンティティの危機がおとずれる。たしかに僕はうんこにむらがることをしなくなった。手足もこすらなくなった。ひらひらと飛ぶようになったし、かっこいいツノも生えている。たくさんの人にチヤホヤされるようになった。でもそれは本当の自分ではないのでは? 本当の僕は心の中の公園で、うんこにむらがって泣いているのでは?

心の中の公園はいつも夕暮時だ。夕日は空を赤く染める。僕はうんこにむらがって泣いている。どうしてうんこにむらがってはいけないんだろう? 僕はものすごく自然に、落ち着きとやすらぎを求めて、うんこにむらがっていたはずなのに、どうしてそれを否定されなくちゃいけないんだろう? 人間に愛されることは、そんなにも大切なことなんだろうか?

心を病むということは、関係に病むということだ。人は人との関係において病む。そしてハエもまた、人との関係で病むのだ。人々の欲望のために、ハエは自分の内側にあるものをすべて否定した。そして残されたのは、他人の欲望という外枠と、内側の虚無だ。ハエは自分がからっぽになったように感じる。当然だ。人々に愛されるために、ハエは自分の内側にあったものをすべて否定したのだから。

ある日、ハエは昔の知り合いに会う。ゴキブリである。

「おまえ、変わったな」ゴキブリに言われる。

「そっちは、あいかわらず、うんこか?」

「ああ、それで人類に叩き潰されてる。昨日も五匹死んだよ」

二匹の間に沈黙が降りる。

「なあ、おれ……」

「言うな」ゴキブリは制する。

「いまさら、こっち側に戻りたいとか言わせねえからな」

ハエは思う。僕にはもう帰る場所はないんだ。僕はもう以前のような虫に戻ることはできないんだ。こんなことになるならば、僕を内側から作り替えてほしかった。僕を心から作り替えてほしかった。どうして古い心が残されているのだろう。どうして僕は心なんか残してしまったのだろう。

そして、プロデューサーである私のところにハエがやってくる。しかし私は相手にしない。

「おまえは現実にチヤホヤされている。そのすべてが私のプロデュースの成果だ。そのことに感謝されても文句を言われる筋合いはない。気に入らないならふたたび人間に叩きつぶされる生活に戻ればいい。かわりはいくらでもいる。俺は最近、イモムシに興味を示している。イモムシをプロデュースして人気の虫にすることを考えるのが楽しくて仕方ない。うんこにむらがりたければ、いつでもむらがればいい。おまえに内面は不要だ。できないならば去れ!」

数ヶ月後、ハエはうんこにむらがっているところを週刊誌に撮られる。衝撃の写真はまたたく間に人々のあいだを流通していく。街のあちこちでざわめきが生まれる。ハエには騙されていた。あいつは俺たちを騙していた。やっぱりショックですねえ。前から怪しいと思ってたんですよ。僕は騙されていませんでしたよ! ほんとうにねえ、うちの子がショックで泣いちゃって……。

これを機に、デビュー前のハエの映像があちこちから発掘される。うんこにむらがっていたハエ、ブーンという羽音をさせていたハエ、手足をこすりあわせていたハエ。人々の怒りはとどまることを知らない。おまえは人間の心を踏みにじったんだ。おまえは何も分かっていないんだ。おまえには責任感というものがないのか。おまえにはプロとしての自覚はないのか。おまえは子供たちの笑顔の尊さを知らないのか。おまえは詐欺師だ。ペテン師だ。私たちの傷ついた心をどうしてくれるんですか。私たちの心痛を知らずによく平気で生きていられますね!

イモムシ、鮮烈デビュー!

ハエに対するバッシングがピークを迎えた時のことだった。人々はイモムシの登場を熱狂的に歓迎した。私のプロデュースによって、すでにイモムシは不気味な生物としての面影をなくしていた。一人の評論家が言った。いまや、時代はイモムシのものだ。これまでの昆虫たちはみな、イモムシの前にその存在意義を失った。イモムシはたくましく、かわいらしく、そして色鮮やかだ。誰もがその存在に夢中になってしまう。われわれはようやくハエの悲劇を忘れられるだろう。あの薄汚い詐欺師を、最悪のペテン師を、頭から追い払うことができるだろう。

そして人々は、ハエのことを忘れた。

今年も夏がやってくる。神社の境内の隅、湿った犬の糞の隣で、ハエは最期の時を迎えていた。もはやハエの手足は動かない。遠くのほうで祭り囃子が聞こえる。祭りの主役は何といってもイモムシだ。イモムシの踊りは人々を魅了する。人々は舞台のイモムシとともに踊っている。すでにハエの手足は動かない。ツノは折れている。意識は薄れていく。犬の糞の臭いをかぎながら、ハエは思う。これが僕の幸福だ。今の僕は幸せだ。

遠くで祭り囃子が聞こえる。

めしを食うか本を買います