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日記:iDの導入とか

最近の変化は iD を導入したことだ。ペカペカしたカードだ。これをタッチしてコンビニの会計を済ませる。これまでは Suica で買い物していた。操作は同じだが、定期的に現金をチャージする必要があった。コンビニの ATM で金を下ろして、手にした紙幣をレジに持っていって、Suica のチャージをしたいと店員に伝えて、紙幣を渡してチャージしていた。無駄な時間だった。

もっとも、これはファミリーマートの場合で、セブンイレブンの ATM だと、店員を介さず機械だけでチャージまで完結したが、それでも一時的に物理的な紙幣を用意することに変わりはなかった。むしろ無意味は強調された。ATM で金を下ろして、その金を ATM で Suica のカードにチャージする。情報としての金を物理的な紙幣にかえて、ふたたび情報にかえる。絶対、他によい方法がある。

そう思っていたのだが、面倒で調べていなかった。最近、余裕ができたので調べた。そして iD というのを知った。これを導入して生活が変化した。Suica に自動チャージの機能を付ける選択肢もあるようだったが、これは手続が面倒でやめた。結局、iDがよかった。コンビニで買い物する時は iD で支払いをする。すると月末にクレジットカードの請求と一緒に引き落とされる。チャージする手間が省けた。

コンビニのセルフレジで買い物することが増えている。使うたびに、信頼されていると感じる。がばがばじゃないか。万引きは大丈夫なのか。俺は立派な人格を持っているから盗みをしないが、立派でない人間もこの世にうようよいる。これは悪を誘惑する仕組みだ。実際、セルフレジでの万引きは問題になってるようだ。そういうニュースを見た。

ただ、あいかわらず有人レジを使うことも多い。たとえば、アルコールは無人レジで買えない。ホットケースのフランクフルトを食べたい時もセルフレジではだめだ。ホットコーヒーを飲みたい時は店員に伝えると店員がレジの奥からカップを持ってくる。そうした色々が重なって、結局はセルフレジを使わないことが多い。

そして、 iD で会計を済ませる。自分が iD を使うようになると、現金で支払いを済ませている人間は原始人に見える。縄文時代から一歩踏み出しただけの生き物だ。紙のお金は石のお金と変わりがない。私はすでに電子の世界にいる。Suica の頃は、すこし原始人だった。いちいち紙のお金をおろしていた。今は、それすらなくなった。しかし、iD を利用して食べるのがフランクフルトだと思うと、私もまた原始人だ。これは、串刺しの肉=原始人といった程度の感覚で、ものを言っている。

日常生活におけるカネの説明をしてみると、カネが物理世界と離れていることに気づかされる。紙幣や硬貨が過去のものとなってゆく。変革期を生きているのか。紙幣に偉人の顔が描かれていることも歴史の一ページになってゆく。紙幣の存在がなつかしくなる。そこには無表情の中年男性の顔が描かれていたのだ。たまに、無表情の老人だった。だれも笑っていなかった。それが子孫に伝える紙幣の情報だ。1947年、太宰治は『女神』という小説の中で、大笑いしている女の顔を紙幣に印刷しなさいと書いた。しかし、その後も印刷されるのはムッとしたおじさんの顔ばかりで、たまに微笑を浮かべてはいたが、破顔は禁じられていた。公共の場で歯を見せることは、性器を見せるかのように下品なのだ。

iD で支払った時の音は、Suica で支払った時の音とは違っていたが、もはやSuica で支払った時の音を思い出すことができない。記憶は上書きされた。別の音が鳴っていた。たしかに別の音が鳴っていたんだ。まったく聴いていなかったことに後から気づく。

スマホでも会計できるようなのだが、そもそもスマホは持ち歩かない。スマホはどうも気に入らない。パソコンやタブレットに慣れていると、画面が小さくて使いにくい。しかし、たまにスマホの利便性を実感する。人と外で会う約束があり、待ち合わせ場所が未知の場合、スマホの機能が最大限に発揮される。まずは GPS で、この肉体の位置が宇宙をただよう人工衛星によって捕捉される。その位置は瞬時にグーグルマップに反映され、画面上に青い光としてあらわれる。この時、私とは青い光のことである。地上の情報がすでに地図となってスマホに格納されているからこそできることだ。これが利便性の実質であり、テクノロジーの叡智である。

少し前にスマホの機種を変更した。Rakuten Hand というのにした。私は楽天モバイルを長く使っていて、これまでは月額1800円だったのだが、機種変すると月額1000円になった。これまではドコモの回線を借りていたが、これからは楽天の回線を使うことになり、結果として料金が安くなったのだ。

これは、わけもわからずに書いている。回線を借りるとか、回線を使うという意味は、よく分かっていない。正確な意味を理解しないまま書けてしまう所が、言葉のあぜんとする所だ。

そもそも私はスマホは使うことが少なく、充電を忘れることも多く、たまにブッと絶命の声を出して、スマホの電源が切れる。待機電力だけで死んでしまう。かわいそうな存在だ。しかし、使うタイミングがない。家にばかりいる。室内ではパソコンとタブレットが有利だ。スマホは小さくて持ち歩きやすいことを本質としている。持ち歩く機会がないと、長所が生きない。まれに必要になるため、仕方なくスマホを所有している。そのため、月額が安いなら安いに越したことがない。機種変すれば安くなると知っていたが、これも面倒で放置していた。

本の仕事がひとつ終わって、暇ができて、ようやく実行した。新たな機種の選択肢が色々あったが、もっとも安い Rakuten Hand を選んだ。端末の料金は3000円ほどだ。それでも六年前に買った端末よりは進化していた。ホームボタンが物理的に存在せず、画面上にタッチパネルとして存在している。その結果、画面が大きくなったようだ。端末は細長い。適当なウェブページを表示してみると、不思議な表示のされ方をする。デバイスのぎりぎりまでページが表示されていて、左右の余白が削ぎ落とされていて、面白いんだ。

結論だけ言えば、Rakuten Hand は面白い。これが3000円だ。未使用の楽天ポイントが総動員されて、2500円になった。これは安い買い物だ。Rakuten Hand にしてから、少しスマホが好きになった。前の端末は挙動がのっそりしていて、画面にヒビも入っていて、うらぶれた悲しいスマホだった。

もっとも、画面のヒビは自分のせいだ。最初は入っていなかった。それは前のスマホの名誉のために言っておきたい。胸ポケットから元気に飛び出して、地面に直撃した。この世に重力がなければよかったのにね。そのままどこかへ飛んでゆけたのに。

めしを食うか本を買います