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日記らしい日記 3/3

初出:『真顔日記』2021年8月〜9月

9月16日

先日の日記で『金田一少年の事件簿』の犯人の二ツ名を「七番目のミイラ」と書いたが、翌日、目覚めた瞬間に「七人目のミイラの間違いではないか」と気づいて、検索して確認して修正した。

こうした脳の働き方は不思議で面白い。目覚めた直後に何かに気づく。私はよくこの気づき方をする。寝ている間に脳が仕事をしているのか。公開する前に気づいてくれよ、という話ではあるのだが。

夜中に近所を散歩した。真夜中の酒造工場の勝手口の灯り。じじいみたいな眼をした白猫が目の前を横切った。しばらく歩いて遠出を決めた。うねるような坂道をはじめて降りる。坂道の左側が階段になっていた。歩幅と段幅が合わず、ちまちま歩かされて苦労した。坂を降りるとY字路に小さなコインランドリー。三角形の土地に建てられたプレハブに二台の洗濯機と乾燥機。コインランドリーの前には木製のベンチと自動販売機が置かれていた。最低限のミニマムな設備。

散歩を継続した。すれちがったカップルからメロンソーダの香りがした。夜道を歩く飼い犬の首輪で点滅する赤い光。民家と民家の間に空き地があり、雑草が生い茂っていた。空間を埋めつくす秋の虫の声。

9月17日

午前二時起床。夜型生活を突き抜けて朝型生活に移行した。起床時間を書くと、こいつどんな生活してんだよ、と自分で思う。毎日すこしずつ起床時間が後ろにずれているだけで、体感としては安定したリズムなのだが。

久しぶりに日中に外に出ると日ざしがきつく、セミの鳴き声が聞こえた。半そでで汗だく。ほんとに九月半ばか?

台風クラブ『初期の台風クラブ』を聞いた。2017年リリースの一枚目。はじめて聞いた時、これは絶対に京都のバンドだと感じ、調べてみると実際に京都のバンドだった。くるりの一枚目を思い出した。共通しているのは、ぶっきらぼうな叙情性か。

9月18日

ジモコロの雑念日記が更新された。毎回三本のコラムで合計3000字ほどになる。それぞれの内容は無関係だが、なんとなくバランスを考えている。ちなみに今回のコラムは、

・文字列ループのサイコ感
・あいみょんの分裂
・どうぶつビスケットで動物園を作る

の三本です。

こうして紹介してみると、サザエさんみたいだと感じる。タイトルが三つ並ぶとサザエさんだと感じるように幼少期から刷り込まれているのだろう。もっとも、サザエさんに「文字列ループのサイコ感」という回はありえない。あれば屈指の珍回になる。「あいみょんの分裂」もありえない。「どうぶつビスケットで動物園を作る」はぎりぎりいけるかもしれない。カツオにそそのかしてもらって、タラちゃんイクラちゃんあたりに奮闘してもらえば。

午後に散歩。近所のゴミ捨て場の掲示板に、毛筆で荒々しく「火曜日容器包装プラ」と殴り書きされていた。守らないとただじゃおかねえ、という凄みが感じられた。文字には呪術的な支配力がある。肉体に眠る古代の記憶。

9月20日

アイスコーヒーとミニようかんを買いにコンビニに行った。まだ日ざしが強い。セミの声は聞こえず。とうとう、いなくなったのか。この夏最後のセミの声をその時点で判断することは不可能だ。後にならなきゃ分からない。

手ぶらでコンビニに到着した。アイスコーヒーは手持ちでいいし、ミニようかんはポケットに入れればいいと考えて袋は持参しなかった。しかし店内で食品に囲まれ、さらなる食欲がわいてきたため、アメリカンドッグとポケチキのプレーンも購入した。すべてをむきだしのまま持ち帰るのは大変だし、何よりバカみたいなので、久しぶりにレジ袋を購入した。3円。吹けば飛ぶような値段だ。レジ袋は記憶よりもペラペラだった。布製の買い物袋に慣れたせいか。

帰宅した。6個のポケチキを食べ、アメリカンドッグを食べ、アイスコーヒーを飲んだところで完全に満足した。ミニようかんが余分だったが、フォルムがよいので許した。つるんとしたきれいな直方体に弱いんだ。

9月22日

夕方、コンビニでアイスコーヒー。マシンの前で抽出を待つ。先にいた小太りの男が隣のマシンでフラッペを作っていた。私のアイスコーヒーのほうが時間がかからないから、二人のマシンが同時にピーッと完成を告げた。なんなんだ、この無意味な偶然は。美しく重なる二つの音。照れちゃうよ。

男のマシン側にストローやフタの棚があったため、その後しばらく二人の男が言葉もかわさず気をつかいあい、互いの位置どりを模索していた。気まずさと照れくささの混じりあった奇妙な空間。あたふたした。奇跡の浪費だ。運命のむだづかいだ。変なところで偶然の出会いを演出するな。

9月23日

夕方に短いジョギング。途中で公園に寄って鉄棒で筋トレ。汗を流すと気持ちいい。日々の運動量によって、起床直後の身体のすばやさが明確に変化する。ジョギングしていると機敏になる。初動が変わる印象だ。キビキビ動くようになる。運動不足だと、のっそり動く。

運動すると飲みたい物も変化する。帰りに寄ったコンビニで、ドリンクの棚を前にして小さな葛藤が起きた。コーヒーではなくスポーツドリンクが飲みたいが、アイスコーヒーを飲みたがる惰性の力も強く残っている。昨日までの自分と、今日からの自分に心が引き裂かれていた。怖ろしく小さな葛藤。プランクトン演じるシェイクスピア悲劇。オペラグラスのかわりに顕微鏡で観劇するたぐいのものだ。劇場はプレパラート。

9月24日

大通りを歩いていた時、向こうからくる自動車の運転手がハンドルを握っていなかった。ハンドルを放置したまま、運転手は奥歯に詰まった肉の繊維を必死で取ろうとしていた。運転手の未来に不安を覚えた。左折あるいは右折の必要がある時までに、奥歯の何かが取れますように。

帰宅後音楽。今日はトム・ヨーク。ソロ三作、Atoms For Peace、Radioheadの近作を聞いた。現状のバンド最新作『A Moon Shaped Pool』はリリース当時よく分からず、今もあまり印象は変わらないのだが、ピンとこない理由だけは理解した。私はレディオヘッド的なものを、特徴的なドラムパターンと不穏なベースラインによって認識しているのだが、このアルバムはそのあたりが強調されていないのだ。高音域でガスのように音が漂っていると、ピンとこないことが多い。リズムが強調されないと私の耳は反応しないようだ。

音楽を聴くことは面白い。耳は他人で、心臓も他人だ。どれだけ理詰めでアプローチしようが、分からないものは分からない。

9月25日

コンビニでアイスコーヒー。この日記、コンビニでコーヒーを買ってばっかりだ。日記らしい日記を書くと生活の単調が丸裸になる。

コーヒーの抽出を待つ間、腕を組んで右手の中指で左腕のひじの骨をトントンとたたく癖があることを自覚した。

夜、ビールを飲みながらYoutubeを漂流。関連動画から関連動画へと流されて、ブルゾンちえみに辿りつく。ブレイク当時のキャリアウーマンのネタ。久しぶりに見たブルゾンちえみは異様なほどに面白かった。冒頭の「どうもキャリアウーマンです」からすでに面白く、最後の「35億」で転げるように笑った。静かな部屋に反響する自分の笑い声。「どうも、キャリアウーマンです」って、怖ろしく抽象的な自己紹介だ。高度にアホらしい。

9月28日

Two Dotsを進めている。iPadの画面をタッチして同じ色のドットをつなげていくゲームなのだが、レベルが上がるにつれて、自分がドットをつなげた後、連鎖的にドットがつながっていくのを無言で見つめている時間が増えてきた。連鎖の快感。連鎖を見つめているだけで喜びがある。指の一振りで次々と反応が起こることに、脳が歓喜の声をあげている。創造主の喜び?

それにしても、このゲーム、頭を使っているようで使っていない気がする。自分の力で解けたのか、偶然の連鎖が重なってクリアできたのか、判断できない。

半年前、Slay the Spireというゲームをしていた。これはシビアに頭を使うゲームで、運の要素もあるが、テクニックとランダム性のバランスはテクニックに大きく寄っていた。しかし、Two Dotsはランダム性の要素が大きく、疲れていてもプレイできる。これはもう解くのは無理だろうとあきらめて投げやりに指を動かした時、あれよあれよという間にドットの連鎖が始まって、クリアに至り、それをぼんやり見つめている自分がいる。

神様も、こんな感じだったんだろうか。適当に指を振って生命を誕生させたら、あれよあれよという間に多様な造形の生きものが動きだして、今では地球のあちこちを徘徊している。

結局、レベル780付近まで遊んだところでTwo Dotsは停滞。再開するかは微妙な所。レベルは3000以上ある。先は長い。神様は宇宙に飽きた。

9月29日

午後、川向こうのスタバ。カウンター前に並んだ二人の客がニューバランスを履いていた。N、N、N、Nというふうに、四つのNが床近くに並んでいた。しばらくするとそれぞれ注文を終えて、四つのNも二手に分かれた。

鮮やかな緑色のニットを着た女がいて、スタバのストローと韻を踏んでいた。ガラスごしに外のテラス席を見ると、中年の男、中年の女、大きな犬が当たり前のように座っていた。毛むくじゃらの大型犬で、舌を出して椅子に座っていた。ドリンクは飲んでいなかった。

私の近くの席の子どもは、鉄塊でも入っていそうな重たそうなリュックサックをイスの背もたれに引っかけようと頑張っていた。肩掛けの片方をうまく引っかけて、無事にリュックサックの位置を安定させると、先にレジへ向かっていた母親のもとへ走っていった。リュックサックには三匹のゾウの絵が描かれていた。しばらくすると、青いシャツを着た彫りの深い顔立ちの老人がやってきた。老人の右腕に走る青黒い血管を視線でなぞる。それはひじから始まり、薬指の途中で終った。

川べりの道を歩いて帰った。向こう岸にある中学校からブラスバンド部の太鼓の音がきこえた。すき家に寄って、ねぎ塩レモン牛丼を食べた。店内にはT.M.Revolutionの『HOT LIMIT』をジャズ調にアレンジしたものが流れていた。「ダイスケ的にもオールオッケー」のメロディをサックスで優雅に吹かれた時の感情には、まだ名前が付けられていない。

9月30日

午前九時起床。午後に外出。近所の服屋の前を通りすぎると墨汁のにおいがした。なぜ?

日記らしい日記を書きはじめて一ヶ月と十日が過ぎた。今回の日記を入れて合計31本。ちょうど一ヶ月分の日数になった。ちょこちょこと空いた日もありつつ、ほとんど毎日更新できた。この方式だと一回500字前後になるようだ。

「午前九時起床」というふうに書きはじめると「いや知らねェよ」と反射的に思ってしまう自分がいることに気づいた。精神構造として、日記らしい日記には向いてないのかもしれない。ここで一区切り付けることにする。今のやりかたは今日でおしまい。読んでくれた人ありがとう。

日記らしい日記シリーズ
ある夏の日記
日記らしい日記 1/3
日記らしい日記 2/3
日記らしい日記 3/3

めしを食うか本を買います