母さんは夜なべして手ぶくろを編む必要がない
「母さんが夜なべをして手ぶくろ編んでくれた」というフレーズを久しぶりに見て、ユニクロ行けばいいのに、と反射的に思った。なんだか嫌な現代っ子みたいだ。いやまあ、現代の人間ではあるのだが。
現代において、母さんは徹夜で手ぶくろを編む必要がない。ユニクロに行けば1000円で買える。母さんは今すぐユニクロに行け。
このフレーズは私が子どもの頃にはすでに古かった気がする。刑事ドラマで犯人の泣き落としに使われる歌というイメージだ。もっとも、その刑事ドラマを具体的に見たわけではない。とくに作品名なども浮かばない。なんなんだろう。イメージの世界で暮らしていたのか。
そもそも「夜なべ」という言葉をまじめに使った記憶がない。使うと冗談のような雰囲気が出てしまう。「よ、夜なべって!」というふうに、言葉の古さに引っぱられて自然な会話が成立しない。
言葉というのは油断すると会話の自然な流れから浮き上がってしまうもので、その浮き上がりを面白がるところまで、現代では普通の行為になってる気がする。たとえば、ダウンタウンのトークによく出てくる「○○って言いたいだけやん」みたいなやつとか。
大学生の頃、徹夜で遊ぶことを「オールする」と言って、「古ッ!」と笑われたことがあった。これは意図したのではなく天然であった。その後、友だち同士でも意見が割れて、オールって普通に言うだろ派と、オールとかもう死語だろ派に分裂して、ごちゃごちゃ言っていた。結論は出なかった。
「母さんがオールして手ぶくろ編んでくれた」と言ってみると、悲惨なかんじはしない。ママ友とジントニック飲みながら踊るように編んでるかんじがする。
「オール」問題に関しては、結局よくわからないままだったし、あれから二十年たった今では余計にわからない。今の若者はオールと言うのか、さすがにもう言わないのか。言わないにしても意味くらいは通じるのか、それとも意味さえ通じないのか。そんなことを考え出すと混乱して、脳のキャパをこえる。
「キャパ」は通じるのか?
こうしてドツボにはまる。考えすぎるのは悪いくせだ。言葉は怖い。とくに今では言葉の数が膨大だから大変で、どの言葉は古くなり、どの言葉は現役のままなのか、この言葉は今でも通じるのか、この言葉はどうなのか。そんな問いをあらゆる言葉に適用していくと、ほんとうに、脳のキャパをこえる。
「脳」は通じるのか?
おまえの頭蓋の中にある、それなんだけど。
めしを食うか本を買います