見出し画像

なぜ昨日の夕飯をすぐに思い出せないのか?

初出:『真顔日記』2020年

「昨日の夜、何を食べたか?」

突然たずねられると、意外と思い出せないものである。しばらく時間がかかる。記憶を探る必要がある。

これはボケというよりは、日々の食事に関心がないせいだろう。興味のないものは忘れる。脳の正常な機能である。興味のないものまで何でもかんでも覚えていれば、駅前を10分ほど歩くだけで脳みそは爆発してしまうだろう。入ってくる大量のイメージや言葉のすべてが完全に記憶されて、一生忘れることができないならば、脳に爆発以外の選択肢は残されていない。

忘れていた記憶を思い出して号泣する。ドラマやマンガでよく見る光景だ。封印していた記憶を思い出した時、ひとつのドラマがピークをむかえる。その記憶は心の奥底に身をひそめていた。その記憶はささやき続けていた。忘れたとは言わせない、おれのことを思い出せ、と。

しかし、人は忘れたふりをする。記憶にフタをしてしまいこむ。むやみに不安にならないように。つつがなく日々の生活を送るために。

「昨日の夜、何を食べたか?」

昨日の夕飯を忘れるのは、これとは種類のちがうことだろう。昨日の夕飯を思い出そうとして、幼児期のトラウマでも思い出すかのように強烈な感情が噴出してくれば、おまえは昨日なにを食べたんだ、となる。

「カカカッ、カッ、カツカレー……」

そうつぶやいて、号泣する。

ほほをつたう涙。

ドラマティックなアホ。

実際の私は昨日、カツカレーを食べていない。それは確かである。それじゃあ何を食べたのかといえば、まだ思い出せない。いったん文字を書く手を止めなければならない。腕を組む。眉間にしわを寄せる。そのまま停止して数分が過ぎる。これもまた、人生の一断片。

思い出した。昨日は午後三時にやよい軒でおろしハンバーグ定食を食べた。それから夜の九時頃に小腹がすいて、コンビニで買ってきた豚まんと、シュークリームと、コーラ味の薄くて硬いグミ(名称不明)を食べた。

思い出したことで判明したが、どれが昨日の夕飯なのか全然分からない。やよい軒か? 夜九時の豚まんか? こんなファジーな食事をすぐに思い出せるはずがない。そもそもの生活が破綻している。昨日の夕飯を覚えているかという問いは、生活の破綻していない人間に向けられたものだったのだ。朝めし、昼めし、晩めしを、だれもが明確に食っていると思うな!

だれに怒っているのか、全然分からない。困った。かんしゃく持ちじゃないか。

私の住む町では、だれに怒っているのか分からない爺さんがたくさん歩いている。ずっと文句を言っている。独り言である。滑舌が悪い上に小声のため、発話の内容は分からない。しかし、ほとばしる怒りの波動だけは伝わってくる。色々な日に別々の場所で合計十五人ほど見た。わりとたくさんいる。なんという街に住んでいるんだ。十五人の怒れるじじいたち。反面教師にしなければいけない。十六人目になってしまう。

めしを食うか本を買います