見出し画像

幻想の世界を笑って楽しむ♡


 3月30日、パートナーが休みをとったので、朝からどこかに行こうとウキウキしている感じでした。「まつや」という境港の近くにあるお店で、海鮮丼とか猛者海老とかおいしいから、ランチしようとか、いちご狩りに行こうとか…私は、朝の瞑想をした後だったんだけど、なんとなく朝起きた時の気だるさを感じつつ、その話を聞いていました。今考えると、自分に微妙に一致してないなあと感じつつ、パートナーのせっかくの休みなので、今日は付き合おうと思ってました。本当は、私は、柴犬の源ちゃんとパートナーと近くの桜満開の公園でのんびりするのがいいなあと思ってました。結局、家から北東方面の島根半島の先端、美保関灯台のある地蔵崎や美保神社、青石畳通、関の5本松をみて、「まつや」で遅めの昼食をとりました。

 いい一日でしょう。でもね、こんなことがあったんです。最後に訪れた、関の5本松。なんとなく疲れちゃったから、帰ろうかなあと思って行くのをやめようとしたんだけど、その場所を通りかかると狸がひょっこり出てきてなんだかそれに誘われてるみたいでね、やっぱり登っていてみようってことになったんです。私は、下駄を愛用してるので、何の迷いもなく山のぼり。山に入るのだから、心の中で精霊たちのご挨拶してから歩き始めました。竹の杖をパートナーが見つけてくれたのでそれと共に。

 ゆっくりと、パートナーと柴犬の源ちゃんと登っていくと、途中、リフト乗り場を見つけましたが、平成4年から運休。枯れ枝に覆われていました。そこから登ること30分。つつじがたくさんあってそのころ来るといいだろうなあと思っていると、「関の5本松」を見つけました。でも「関の5本松」はもうなくて、3代目の松が植えられていました。2代目の種で育ったものって書いてあったかなあ。この辺は日本海からの風が強いのでねえ、そりゃしかたないわあと感じました。そして、平和の塔がある展望台へ。その塔はセメントでできていて空に工場の煙突みたいに太く大きく伸びていて私はなんとなくそこには近寄りませんでした。そして、ウッドデッキでできた展望台に上がると、南に大山、北には日本海や隠岐の島。壮大な景色でした。

 そして、下山。杖を上手に使い、ひょいひょいと降りていき、そのうち、「なんば歩き」だとやっぱし楽だなあと調子に乗ってとんとんと降りていました。途中の若芽にも「ありがとう」と心で声をかけたりしながら降りてたんです。

 パートナーは先に降り、柴犬の源ちゃんがそんな私をなんだか心配そうに何度も振り返ってみてくれます。源ちゃんに「大丈夫だよ、ありがとう」と声をかけながら、下山していました。

 ほとんど降りてきたころ、セメントと小石でできた階段が苔むしていて私は、そこに足をとられ、突然、前方にこけました。けがもなく、足首もひねりましたが全然大丈夫で、やっぱし日ごろ歩いてるからケガしなかったぜっと自分の体に感謝するというより過信していました。

 そして、また調子に乗って軽やかに降りていました。その時も、源ちゃんは何度も私を心配そうに見ていました。縦横1メートルくらいで段差が10cmくらいの階段があと3~4段。あと少しで下山できるところに、大きなゴムのマットが敷いてあり、うん?なんだろうなとそのゴムマットを踏んで次のステップに降りたとたん、すってんと空に浮き、とっさに両手を後方につきました。どお~ん!!!生まれて初めてというくらいのしりもちをつきました。両手で支えたので、両肩と首に負担がかかり、これはやったかな、けがしたかなと思ったんです。でも同時に、ど~んと、しりもちをつくとき、両肩や体全体が何かに持ち上げられたような感覚もありました。私は、しばらく、あまりの衝撃にダメージを受けて身体も心もぶわぁ~~んと震え、なんとも言えない世界にいました。パートナーは「もう下駄はやめんちゃい」って声をかけて助けてくれたような気がします。そう、この時パートナーの言葉をかりて自分にいってたんでしょうねえ。  

 そして、ぶわぁ~んとなっている時、あ~精霊たちに助けられたんだな~って感じました。3次元的には、そりゃ~下駄で登山なんて、ケガするに決まってる、気づけよって後で思ったり。

 あとで考えると、なんだか、柴犬の源ちゃんが、何度も振り返っていたのは、「ケガしないでね、気を付けてね」って言ってくれてたのに、それを真摯に受け止めず調子に乗って降りてたなあと感じました。そして、あのすって~んと転び、しりもちつく瞬間、上に引っ張り上げてくれる感覚を思い出すとき、「精霊さんありがとう」と思える自分がいました。

 その晩、下駄は好きだけど考えて履きましょうと思ったり、精霊さんに感謝したり、あと、こんなにダメージを受けたのに、ネガティブな発言や思い、行動をそのあとしなかった自分にま~るをつけて寝ました。そして、自分に過信していることを素直に認めて寝ました。

 もし、転んでダメージを受けた出来事がなかったら、「不幸中の幸いだったなあ」と感謝したり、その時、自分の意識がネガティブなものになっていなかったなあと気づいたり、自分にとって驚きの出来事を「はっはっは」って笑えることはなかっただろうと思いました。

 だから、次の朝、とても気持ちよく目覚め、身体が軽やかなことに喜びを感じました。そして、思ったほど身体の痛みはなく「からださんありがとう」と心から感謝しました。

読んでくださってありがとう♡         つきまる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?