Twitterをやめて起こったこと
たった数日前ですが、Twitterを卒業しました。大好きだったのですが、大好き過ぎて没頭していました。
時間を浪費しましたし、目の前のことを大事にできてないかも知れない感が、かなり前からありました。
Twitterって、フォロワーさんの記事だけでなく、興味のない記事もタイムラインにたくさん流れてきて、それでついつい、時間を消費してしまうのです。
ある日、衝動的に卒業宣言をして、辞めました。
卒業してからは、Twitterを気にしない楽さはありましたが、強烈に淋しくなりました。
淋しさを眺めていると、この淋しさは、今はじまったことではないと気づきました。SNSやその他諸々で紛らわしていただけなのです。そして、これは私だけでは無く、人間はほとんど皆、そうなのかも知れない、と思いました。
皆、淋しいから遊ぶ。淋しいから喋る。淋しいから買う。淋しいから怒る。仏教でいう渇愛でしょうか。
皆、淋しいのだとしたら、人間とはなんと可哀想な存在なのだろう、と思いました。仏教でいう慈悲でしょうか。
芋づる式にいろいろなことに気づき、母に対しての感謝の気持ちが湧きました。
今まで、してもらえなかったことばかり恨んでいたのに、してもらったたくさんのことを思い出したのです。
母に感謝の気持ちを伝えることができました。
あまりにたくさんの物、こと、に囲まれていると見えなくなる。何かを手放すことで気づくことがある。そう感じた出来事でした。
自分が文章を書くことが好きなのだ、というのも、Twitterをやめたことで気づきました。
性懲りも無くnoteを始めて書き散らしています。
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