【日本100名城】 41 駿府城

日程

静岡駅11:02着→今川義元公・竹千代君像→静岡歴史博物館→駿府城公園→大河ドラマ館→静岡浅草寺→うなぎランチ→久能山東照宮→静岡16:41発、というハードスケジュールで周ります!

往路はDEAN & DELUCAのコーヒー

竹千代君・今川義元公像

JR静岡駅北口徒歩30秒!竹千代君・今川義元公像。竹千代は、徳川家康の幼名で、8歳〜19歳の間、駿府の今川義元の元で人質生活を送りました

静岡駅前には、「今川から徳川へ」の看板。徳川家康公之像もすぐそこにあったのだが、事前調査不足で寄れず、帰りに寄ることに。

「今川から徳川へ」 ちょうど切れてますね

静岡市歴史博物館

時間がないので、静岡駅からタクシーで歴史博物館へ。2023年にオープンした歴史博物館では、徳川家康と駿府の歴史を展示しています。展示は撮影禁止ですが、廊下の外はOKとのことで、東御門・巽櫓をパシャリ。

「戦国時代末期の道と石垣の遺構」
博物館の建設に先立つ調査で見つかり、そのままの姿で展示されている。
東御門・巽櫓

駿府城公園

博物館から歩いて駿府城公園へ。https://sumpu-castlepark.com/ 
徳川家康が1585年に築城し、大御所として晩年を過ごした駿府城の遺構で、現在は東御門・巽櫓、坤櫓が復元されている。園内には家康公の銅像や家康公手植のミカン、天守台発掘調査などもある。スタンプは東御門の先ですぐにゲット。

概要:
駿府周辺の五カ国の大名となった徳川家康は、天正13年(1585)から居城として駿府城の築城をはじめ、天正17年(1589)に現在の二ノ丸以内の部分を完成させました。慶長8年(1603)征夷大将軍となった家康は江戸幕府を開き、慶長10年(1605)将軍職を秀忠に譲り、翌11年(1606)より再び駿府城の修築に着手し、駿府の町割りや安倍川の治水事業に取り掛かりました。
慶長12年(1607)に本丸が完成しますが、同年12月失火焼失してしまいます。直ちに再建に取り掛かり、慶長13年(1608)本丸御殿完成、慶長15年(1610)天守を完成させました。家康は、江戸幕府を磐石なものとするために、「武家諸法度」「禁中並公家諸法度」「元和一国一城令」などを制定するとともに、駿府城において、アジア諸国をはじめオランダ、スペイン、イギリスなどとも交易を行うなど外交も行っていました。元和2年(1616)家康が薨去こうきょしたのち、寛永元年(1624)、秀忠の息子の忠長(家光の弟)が城主となりましたが、寛永8年(1631)5月に、忠長が甲府(高崎)に蟄居ちっきょを命ぜられ、駿府城の城主は不在となり、幕末まで城代が置かれました。(駿府城公園HPより)

東御門
奥には静岡県庁が見えます
「大御所」として駿府に移ってきた頃の家康の姿を表した銅像です。
家康は晩年の65歳から亡くなる75歳までの約10年間を駿府で過ごしました。
静岡県の天然記念物として指定されました。
このミカンは徳川家康公が手植えしたと伝えられており、駿府城公園内で市が管理しています。
日本一大きい駿府城跡天守台の発掘調査
坤櫓(ひつじさるやぐら)
干支が方位に用いられた築城当時、
南西は未(ひつじ)と申(さる)の間であるため、坤(ひつじさる)と呼んだことが由来です。
坤櫓(ひつじさるやぐら) 外観

大河ドラマ館

駿府城公園から徒歩10分、大河ドラマ館(浅間神社内)。
開館期間 令和5年1月27日(金)〜令和6年1月28日(日)。。ということで、なんと最終日に奇跡的に間に合いました。30分待ちの激混み。「どうする家康は」全作見ましたが、どちらかというと出演者のサイン色紙や、小道具などがあり、若干ミーハー感も。

最終日 長蛇の列
大河ドラマ館 館内
中村七之助さん、いい役だったなー
ついでに静岡浅間神社も見学
古くから駿河国総社として歴代幕府の崇敬を受けて信仰され、竹千代が元服式を行ったことから、江戸時代には特に徳川氏の崇敬を受けました。

ランチ

うなぎを食べたい!ということで、浅間神社から一番近い「うなぎのかがりび」さんへ。https://r.goope.jp/unagi-kagaribi/ 店内はテーブル3つ?カウンター3名、ですが、かなり混んでました。

お持ち帰りコーナーも充実
「松」を注文
鰻はふんわり柔らかくて最高!

さて、ランチを食べ終えて既に時間が13:30。ここから久能山まで行き、静岡駅16:41発の新幹線に乗るため、ここはタクシーで。GOタクシーもUBERも全くつかまらず、電話で呼ぶと5分で到着。タクシーで25分、料金は4,500円くらいでした。

こんな距離感(あとから画像だけ)

久能山東照宮

家康公を祀る日本で最初の東照宮で、建築史上特筆される絢爛豪華な社殿は国宝に指定されています。1159段の石段からの風光明媚な景観は有名。
久能山東照宮は徳川家康公の息子である秀忠公により創建されました。一方、日光東照宮の現在ある社殿等は崇拝する祖父家康公の為に、家光公により 幕府の全面バックアップの元で大改装されました。

家康の遺言は、
遺体は駿河国(静岡)久能山に葬り、
江戸の増上寺(家康が関東入部とともに徳川家の菩提樹)で葬儀を行い、
三河国(愛知)の大樹寺には位牌を納め、
一周忌が過ぎてから、
下野(栃木)の日光山の小堂を建てて勧請せよ」。
そして、神に祀られることによって「八州の鎮守になろう」
と指示しました。

日光東照宮へ勧請なのか、改葬なのか、ということは今も不明のようです。

静岡はいちごも有名で、紅ほっぺは最も多く栽培されている。
いちご狩りのビニールハウスの上に久能山東照宮が見えます。
参道入口
1159の石段へ
石段途中から見える駿河湾
楼門(ろうもん)(重要文化財)
徳川家康の手形
「天下取りの相」とも言われる強運を表す「マスカケ線」
実割梅(みわりうめ)は徳川家康公が駿府城で自ら育てていたもの
神廟(しんびょう)(重要文化財)
神廟は家康公の御遺命により西向きに建てられています。西の方には、公の御両親が子授け祈願の参籠をされたという言い伝えを持つ鳳来寺があり、さらにその西に岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、家康公誕生の地である岡崎城があります。そしてその延長線は京の都へと続いています。
逆さ葵
徳川家の家紋の三つ葉葵が一番左だけ逆さになっている。
これは建物が未完成であつことを表し、さらなる発展への願いが込められている。
久能山東照宮博物館
重要文化財『洋時計』 がありました。
慶長16年(1611)スペイン国王フェリペ3世から海難救助のお礼として徳川家康公に贈られた洋時計が神宝として残されています。

久能山から急ぎタクシーで戻り。
行きに寄れなかった静岡駅前の家康公像を拝み、駅でお土産購入。

手に「采配」(さいはい)を持つ凛々しい姿
帰路は疲れていたのでグリーン車で。帰りはSaruta Cofeeで。

お土産

駿河湾の海鮮系、有名なわさび(生産量だと圧倒的に長野県)、安倍川もちなどをゲット。一部、大河ドラマ館で購入。

安倍川もち
安倍川岸で、徳川家康が茶店に立ち寄ったところ、そこの店主がきな粉を安倍川上流(梅ヶ島)で取れる砂金に見立て、つき立ての餅にまぶし、「安倍川の金な粉餅」と称して献上した。 家康はこれを大層喜び、安倍川にちなんで安倍川餅と名付けたという伝承がある。(wikipediaより)

家康が生涯3度、合計25年も暮らした駿府は歴史を感じる場所でした。

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