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[HipHop] KANDYTOWN と偉大なリーダーYUSHI

少し前にBADHOPにYZERRという優れたリーダーがいることを書いたが、東京都世田谷のKANDYTOWNにもYUSHIという一風変わった素晴らしいリーダーがいた。YZERRはまるでアメリカのIT企業のリーダーのような人を引っ張ていくようなリーダーだが、YUSHIは人と人をつなぎ合わせるようなリーダーだった。残念ながらYUSHIは2015年に若くして亡くなっている。

KAYNDYTOWNはYUSHIを中心に東京都世田谷の喜多見や経堂周辺の地元の友人たちで作られたHipHopクルーだ。YUSHIのグループBANKROLLメンバーと、2歳くらい違いの後輩のグループYaBastaのメンバー、その他YUSHIの友達たちで構成されている。それぞれのメンバーたちはYUSHIが引き合わせたらしい。BANKROLLのメンバーでKANDYTOWNでもリーダー格のIOとRyohuは元々、殴り合いの喧嘩をするくらい仲が悪かったようだが、YUSHIが1年も同じ集まりに二人を呼び続けて最終的に友達になった。

KANDYTOWNのメンバーの多くは和光学院出身で幼稚園からの付き合いも多い。YUSHIも和光学院出身だ。和光学院は芸能人の子息も多い余裕のある家庭が多い。メンバーの多くは留学したり、卒業後に数年海外で暮らしたりしている。また、親たちもディスコ世代でソウルミュージックの愛好家だったり、家に趣味の音楽スタジオがあったりと洒落た人が多かったようだ。
メンバーのKIKUMARUの父親はブルックスブラザーズの愛好家で、ブルックス ブラザーズ 青山店改装時にヴィンテージのバッグを寄贈したとのこと。

BADHOPのメンバーが住む川崎工業地帯とは数十キロしか離れていないが別世界の環境だ。HIPHOP的なメッセージを打ち出すときにどちらか良かったかは分からないが、BADHOPのメンバーも好き好んで苦しい環境に生まれたわけではないし、KANDYTOWNのメンバーも好き好んでで金持ちの家に生まれたわけではない。アーティストとしては手持ちのカードでどう生きて、どう表現することができるか?ということなのだろう。

そんなわけでKANDYTOWNの音楽は都会的でソウルフルなメロディが特徴になっている。アメリカのHIPHOPの真似事ではない彼らのオリジナリティ溢れる音楽だ。ラップも歌詞のメッセージ性ではなく、音の乗せ方のスムーズさに特徴がある。

例えば Prove (feat. GOTTZ, KEIJU & MUD) という曲のKEIJUの歌詞を読むとメッセージ性は皆無だ。しかし曲を聴くと日本語をこんな風に音に乗せることができるのかと驚くのではないだろうか?


毎日付ける首元 金の Jewel
空飛ぶヘリ 大丈夫 and doin' well
ペン先に Power 待つ Heaven or hell
まず Worry but yourself 諦めは負け
yea, wassup next 何回か得る
でも Bounce back 遊べ
外に出てまだ学べる
カモミールでも飲んで心落ち着ける
算数は苦手でも金は数えれる
Under men やらねえことはやらねえ
馬鹿見る 昔言われてた言葉飲み込める
馬鹿見たのはお前じゃん Look at me now
What your think 東京はレペゼン
てっぺん東京タワーより更に上でケンケン
貞治みたいな片足 不安定
うまくやり 奴等と待ち合わせ
目指す場所へ So fxxk what they say
(歌詞 KEIJU /KANDYTOWN)

さて、YUSHIに話を戻そう。
YUSHIは子供の頃から型破りな人物だったらしい。そして人の可能性を引き出し、他のメンバーと引き合わせていくタイプだった。

「一番ヤンチャで目に付く人というか。YUSHIが何かやったら何かが始まる、みたいに先頭切って行くような人で。でも、リーダーという感じではなかったんですよね。人から注意されることもあったし、『何やってるんだよ』って思われることもしてたから。ただ、何も恐れてなかったというか、自分を持ってた人でしたね。ラップも、彼から無理やり強要されたりとかはなかったです。とにかくビートがかかってて、彼から『フリースタイルやろうよ』みたいな軽いノリで巻き込まれていったというか(笑)。どっちかというと、引き出してくれるような人でした。家や車で聞いてる曲がカッコ良くて、会うと大体『この曲は何!?この人は誰!?』って訊いて教えてもらってました。幼稚園からの付き合いだったから、俺にとってはホントお兄ちゃん、と思ってます」(中略) YUSHIはランドセルの裏にNASのポスター貼ってたらしいし、中学生でラジカセ担いでるヤツとかいなかったですもんね(笑)。『学校の問題児』ってなると、名前が挙がるのはYUSHIの集団だったし。俺も彼らにかわいがられていただけに、当時の学校の先生とかには『YUSHIの真似したりしちゃダメだ』ってリアルに言われてましたよ(笑)。

https://amebreak.jp/interview/4006


OKAMOTO'Sのハマ・オカモトとは幼馴染の関係で、ズットズレテルズというバンドを組んでいたこともある。小学校の修学旅行の逸話が最高に面白い。

KANDYTOWNのメンバーたちにとって曲作りは遊びの延長的な部分があったらしい。作りためた曲をたまたま発表したところ反響が大きくグループとしての活動がはじまる。という矢先にYUSHIが亡くなってしまった。

YOUNG JUJU(現KEIJU) 『KOLD TAPE』を出して反応があったから、「じゃあやってみよう」みたいな感じで『BLAKK MOTEL』を作ったんです。そしたら初めてインタビュー取材のオファーをもらって。『KOLD TAPE』を出した俺らがどういうグループか紹介するための撮影をスペシャ(SPACE SHWER TV)がしてくれるっていうんで、みんな喜んでたんですよ。「休みとっとこう」って。
IO そう。
YOUNG JUJU でも、その収録の前日にYUSHIが死んだんです。そのくらいからみんなの中で「しっかりやろう」って気持ちが出てきました。
ーYUSHIくんが亡くなったことで、解散みたいな話にはならなかったの?
IO そういうのはなかった。
DONY JOINT 逆にまとまった。
YOUNG JUJU でも「YUSHIの分も〜」とかそういうんじゃないんです。俺らがどんなに頑張ったってYUSHIには追いつけないし。
IO ただ、ひとつの方向を向いたことは確かですね。

アーティストとしてのYUSHI活動期間は短いし、その多くは発表されていない。ただ、KANDYTOWNのメンバーのインタビューを読めば必ずと言っていいくらいYUSHIの話は出てくるし、彼らは亡くなった今も彼を愛している。彼らの価値観の一つは「YUSHIに認められたい。かっこいいと言ってもらいいたい」なんだと思う。死んだ後も、そんな風に人に影響を与え続けられる人がどれだけいるだろうか?

KANDYTOWNのファーストアルバムにはYUSHIの絵が使われた。


僕がYUSHIを知ったのはすでに亡くなった後だ。偶然に聴くようになったKANDYTOWNやメンバーたちのソロを聴くうちうちに興味を持ち、過去のインタビューを読み知るようになったのだ。
「同年代の友人たちからこんなにも尊敬を集める人間というのはどんな人だったのだろう?」と、YUSHIに興味を持つようになった。
きっと、どれだけインタビューを読んだり調べたりしてもYUSHIという人間の本当のところは掴めないのではないかと思う。
ただ、彼は忘れ去られてはいけない人間だったように思える。また、YUSHIのように多種多様な人たちをつなげるようなリーダーはこれからの時代に必要だと感じた。

KANDYTOWNは毎年、YUSHIの命日の2/14に何かしらのリリースをしている
2016/2/14 IO アルバム「Soul Long」発表
2017/2/14 KANDYTOWN MV 「1TIME 4EVER」発表
2018/2/14 KANDYTOWN 「1TIME 4EVER」配信開始
2019/2/14 KANDYTOWN 6曲入り音源「Local Service」発表
2020/2/14 KANDYTOWN MV「Until The End Of Time」発表、BSC MV 「BIRD」発表
2021/2/14 KANDYTOWN ミニアルバム「Local Service 2」配信

また、2019年のツアーの最後もYUSHIの姿をバックスクリーンに映し彼を忍んでいた。こんな風に友人を想い続けることができるKANDYTOWNは素晴らしいと思う。


配信・Youtubeなどで聴けるYUSHI

 Spotify (PCだと15時間無料で聴けます。Facebookで簡単に認証できるのでぜひ)

Neetz, BANKROLL : Still Livin`
最後のバースがYUSHI


BSC, yushi : SummerX`mas 


IO,Yushi, Young JUJU: Check My Ledge 


 Youtube

42st
Youtubeで聴けるソロの曲


THE YESTERDAY liveでラップするYUSHIの姿が見れる

https://youtu.be/U-jssWkjn00?t=199


Untitiled

R.T.N 
KANDYTOWNの代表曲 熱いときに憧れた、飛ばす246 はYUSHIの声 楽曲もMIKIと共同で制作

最後にYUSHIが亡くなったときに捧げられた曲





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