【卒論ゼミ(9)】データとの対話とは

今回も予告通り、データを早めに取り始めることのメリットについてお話ししたいと思います。

データと言っても、すごくちゃんとしたものを取り始めると思わなくてよいです。小手調べ的なもので、最初は十分。というよりも、後に方針の変更が必ず必要になるので、むしろスタートの段階でフレキシブルな部分を残しておくことが大事です。ここでの一番の目的は、自身が研究の対象にしようとしている現象についてよく知る、ということです。それには本で読んだり、論文で勉強したり、もいいのですが、なんと言っても「現場」に直接触れてしまうのが、一番効果的です。これを「データを取る」という言い方で表しています。

「現場」と鉤括弧付きにしました。いわゆる現地調査みたいなことができる対象なら、実際にそこに行ってみるのがいいです。出版物など(過去には漫画とか絵本とか香水の説明文などの例がありました)が対象になる場合には「現場」という言い方はそぐわないですが、その出版物自体をたくさん集めてきて、内容を見漁ってみればよいわけです。現地調査というよりは個人の経験みたいなことに関心がある場合、そういう経験をしたことがある人に話をきくとよいです。あるいは、ちょっとアクセスしにくい「現場」が対象の場合は、その現場を直接知っている誰かに話をきくとよいです。

ただ、とても気をつけてほしいことが一つ。それは、調査というのは、「現場」を「荒らして」しまうものだということです。あなたの日常に他人がづけづけと入ってきて、根掘り葉掘り訊いてまわったりされたら、なんだか嫌ですよね。それをやるのが調査です。(ちょっとしたアンケートに答えるのだって、面倒ですよね?)人のプライバシーに立ち入るという性格があるので、調査の際には倫理的配慮というのが求められます。

なので、「小手調べ」の段階では、気心の知れた人にお話を聞くにとどめておいてください。これまで会ったことのない人に聞き取りをしたい場合や、メールなどで問い合わせる場合には、指導教員に一度相談をするようにしましょう。どの程度の倫理的配慮が必要なケースか、判断を仰いでください。

現地調査の場合、誰にも聞き取りをしないならなんの倫理的配慮もなしでやっていいかというと、そんなことはありません。例えば、一般に開かれたイベントに一参加者としてちょっと出てみる、というような場合。本当にインフォーマルな小手調べならいいのですが、もし後々ここで見聞きしたことをデータとして使いたい、ということになると、最低でも主催者に、場合によっては他の参加者全員に、許可を得る必要があります。

更にもっと気をつけないといけないのは、自分の身を守ることです。自分自身がトラブルに巻き込まれる可能性があるような現場には、小手調べでもいくべきではありません。せっかく卒論をやるのだから、知らない世界を知りたい、という欲求が出てくる人もいるかも知れません。でも好奇心から危険に身を晒すようなことは、絶対にしないでください。

しかし、いつまでもビクビクしていたら「対象を知る」ということが全然できなくて困ります。多少相手に迷惑をかけてでも、調査をやらせてもらう必要があります。この時に多くの場合頼りになるのが、案内役(ゲートキーパーと言ったりします)になる人物です。調査の趣旨や価値を理解してくれて、協力してくれる人をみつけましょう。大学生が卒論を書かなきゃいけないことを知っている人は多いですから、協力者をみつけるのはさほど難しいことではありません。ただ、最初にどのような形でコンタクトを取るかで、うまく協力してもらえたり、そうでなかったりしますので、指導教員に相談するのを忘れずに!

さて、今日の本題に戻りましょう。早くデータを集めはじめるといいよ、という話でした。それには、夏休みがチャンスになります。過去にも、夏休みや夏休み前からデータを取り始めた先輩は、確実にいい卒論にしあがっています。

なぜ早くデータを集め始めると、いい卒論になりやすいのでしょう。それは、実感が出てくるからです。単純に、データを取りにいくとか、卒論のためにちょっと現地調査っぽいことをしてみる、というだけで、まず時間のコミットメントが生じますから、卒論を進めるプロセスがコロコロと転がりやすくなる、というのが第一歩です。

それから、卒論のために読む本とか論文とか、ネット上の情報といったものの意味が、よりよく理解できるようになります。「現場」では常識のように流布している言葉とか知識といったものは、その現場を知らない人が文字で目にしても、なかなかmake senseしないものです。私がグラスゴーで調査した例で言えば、youth clubというコトバがありました。これは、地域の若者が集まってゲームとかサッカーとかをして遊べるような場所のことなのですが、日本の児童館とかそういったものとは、どうやらちょっと違うようでした。イギリス人ならみんな知ってるのですが、外国人である私にはどんなものなのか一向にイメージができない。調査をはじめてみると、なるほど、そういうところか、というのが分かる。そうすると、論文に出てくる文章なども、よりよく理解できるようになるわけです。

「読んで分かる」かどうかというのは、読む時のモチベーションに大きく関わります。なので、現場を知ると、先行研究などを読み進めていくペースも自ずと早まることになります。どんな知識が自分が対象とする現場にとって関連性が高いのかということも、現場に身を置くとよく分かるようになります。なので、情報の取捨選択も容易になり、その意味でも、読む効率が格段によくなっていきます。文献を読むことにも、実感が伴ってくる、というわけです。

それから、自分がやろうとしている研究がいったい本当に実行可能なのかということも、目利きができるようになっていきます。あるタイプの組織のことを調べたい、と思った時、どういう人に、何人くらい、どんな聞き取りをしていけばいいのか。一つの事例についてとりあえず一人聞いてみたけれど、どうやら想定していたよりずっとたくさんの事例をみないといけないし、一事例についても一人ではどうやら足りないらしい。そんなことが分かると、やっぱりもっと問いのサイズを小さくしなければ、となるわけです。

データを取得して、分析する、という作業に、どれぐらいの時間がかかるのかが分かるのも、大きいです。研究計画上、20人にインタビューします、と書いたとする。インタビューを一件やるために、依頼文を作り、依頼を出し、アポイントメントが取れ、細かい質問を準備し、、、という準備の時間が要ります。一件1時間のインタビューをしたら、その文字起こしに数時間かかり、分析してまとめるのにまた数時間かかり、と、いうことが分かってくる。そうすると、どうも20人に話を聞くというのは、とてつもなく大変なことだぞ、と分かるわけです。そうしたら、投入時間を増やすのか、そんなに人数をかけないで済むようにデザインし直すのか、というような検討が、具体的にしやすくなってきます。

現地調査やインタビューでなく、内容分析のような方法でやるときも、同じです。どういう種類の文書を集めるのか決め、集めたデータを分析できる形に加工し、一貫した方針で分析していく。これはなかなか一筋縄ではいかないプロセスです。だから、やっぱり小手調べから入りたい。定量的な分析をしたいけれど、どんな方針で数値化をしたらいいかわからない。そうしたら最初はやっぱり定性的にどんなパターンの言説が多く出てくるか、なんてことの考察を重ねてみる方が得策です。

夏のうちにこのプロセスをはじめておくと、軌道修正がしやすいというのも、大きなメリットです。実は、よくあるパターンは、次のようなものです。とりあえずデータを集め始めてみたところ、どうやら大変そうなので、別のテーマに変えてみる。しかし、それもなんだか上手くいかない。というわけで、最初にデータを取っていた対象に、また戻ってくる。一度、別の方向に行こうとした後だと、比べるものがありますから、自分がやっている研究が他のテーマよりことさら大変なわけではない、ということが分かっている。そうすると、迷いが消えて、粘り強く研究を続けられるようになります。

このように、データを早く集め始めることのデメリットといえば、拙速に始めて倫理的な問題を起こしてしまう危険性を除くと、ほとんどないように思えます。過去にも、全く卒論に方向性が見出せなかった学生さんが、ひとまず現地調査に足を運んでみたところ、芋づる式にどんどん知りたいことや調べたいことが出てきて、ずんずん卒論が進んでいくようになった、みたいな例が、たくさんありました。実感が伴うと、知る喜びが研究を進める原動力になってくれるようです。

私はよく、卒論では三つの山を越えてほしい、ということを言います。一つ目の山は、まず「量」としての卒論に向き合うこと。一定以上の時間と労力をかけないと卒論は進まないということを受け入れて、インプットを惜しまなくなることです。二つ目の山は、自分だけの「問い」に出会うこと。学生生活の最終盤の貴重な時間に、熱意を持って探究するに足る自分だけの「問い」。インプットの総量が増えれば、これに自ずと辿り着くことができます。この二つの山を越えるのに、「現場」に触れ、データを集めてみることが、とても大きな役割を果たします。自分しか出会わない現場には、自分にしか解けない問いが必ず落ちています。現場と文献の行ったり来たり。この対話を通じて、問いを鍛えていきましょう。

最後に三つ目の山は、データから「わかったこと」を超えて、それが「意味すること」にまで答えを出すことです。この三つ目の山は、なかなか超えにくい。データの山に埋もれ、それをなんとか形にする。ここまででも、なかなかいい卒論にはなります。しかし、そこから先、自分のみつけたことは、もう少し広い意味では、どんな意義や価値があるのか。そういうことまで考えられると、研究結果の提示の仕方もまた変わってきます。一旦分析し終わったデータと、改めて向き合い直す。この意味での対話も、とても大事です。データを取り始めるのが遅いと、なかなかこの三つ目の山にチャレンジできない。これは結構、勿体無いことだと思っています。ここが実は一番、エキサイティングなところだったりもするからです。

最後の点は、きっとまた先でお話しする機会があるでしょう。今回は、なるべく早く「現場」に赴いて、データを集めてみよう、という話でした。これでしばらく、この卒論ゼミも夏休みに入ります(番外編があるかもですが)。再開するときには、一つ目の山を越えて、二つ目の山がみえてくる。そんなタイミングになっていることを期待しています。

では、よい夏を!

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