【書評】【超監視社会】1984年 ジョージ・オーウェル

 非常に面白かったです。監視社会の怖さを訴えるだけの本かなと思っていたのですが、それだけに止まらず、国家の統治法はどうあるべきか、国家と個人の関係はどうあるべきか、個人は何を幸せとすべきか、といったテーマについて、読み進めるほど考えが深まっていく、気づきが得られる本でした。

(ちなみに、あの有名な「サピエンス全史」でも引用されています。)

 「一九八四年」は冒頭、次のような書き出しから始まります。

「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」

 この書き出しにより、この本の中の世界が、常に「見られている」環境にあることを強烈に印象付けられます。そして、読者である自分もまた、本を読み続ける間、「見られている」ことを前提として、生活や思考を組み立てざるを得ない主人公の生き様を追体験することになります。

 また、主人公は決して政府に従順な性格ではなく、政府の監視に抗い、自由を求め、奔放な若い女性に恋をし、一時は失った希望や健康を再び取り戻し、反政府地下組織「ブラザー同盟」の一員に出会い、政府との闘いを決意する、といった起伏のある人生を生きています。

1.国家の統治法

 この本のみどころの一つは、「全てを監視する国家」を超えて、「全てを統治する国家」とはなんだろうか、を考えさせられるところにあります。

 ・個人の生活を隅々まで監視すること
 ・領内に入ってくる情報を管理すること
 ・歴史はいつでも書き換えられること
 ・国家の本音と、国民への建前は全て別であること
 ・国民にすべてを知らせないこと
 ・不穏な国民は処分してしまうこと
 ・「党の中心」「党の周辺」「その他大衆」に3分割し、「党の中心」を教育することが大切であること。「その他大衆」にはその日暮らしをさせておくこと。

 この本で示唆された点をざっと羅列しただけでもこれだけ出てきます。

2.二重思考

 <二重思考>とは、すべての党員にとって望ましくかつ必要な精神の訓練であり、その目標は矛盾する二つの事柄を同時に等しく信じるようになれることである。

 もちろん、これは取り立てて目新しいことではない。我々みなが行なっていることだ。社会心理学の分野では、「認知的不協和」として古くから知られていた。

この本に度々出てくる<二重思考>というキーワード(上の引用は、本の最後の(解説)からです)。国家が提示するモノと、自分の考えが異なるとき、前者を否定することなく、それはそれとして、受け入れる考え方のこと。

 本の中で、この〈二重思考〉を受け入れられなかった主人公は、この〈二重思考〉を受け入れた他の登場人物と異なり、政府への抵抗を試みます。

 私たちは普段、「まさか自分が<二重思考>には陥るわけないだろう」と思っていても、私たちの<思考>は、果たして自分の<思考>なのだろうか、政府、大企業、有名なコメンテーターのメッセージやセリフに違和感を覚えつつも、そのまま受け取ってしまっていないだろうか、ふっと反省するところがあるかもなと思います。

3.自分の思考をストレッチさせてみる

 この本は、1949年に書かれたものとは思えないほど、現代でも「あり得る」と思わせるような、政治システムや技術が盛り込まれており、作者は21世紀のどこかの国を見てから昔に戻ってこの本を書いたのではないかと思うほど。

 もちろん多少誇張して書かれていますし、全てを情報管理する国家なんて、と思うかもしれませんが、私たちは本当に自分たちの思考や行動について完全に自由でしょうか。

 自分たちが監視されている/監視されていない、という問題だけでなく、

自分たちが監視されている(誰かに見られている)かもしれないことを前提に、思考や生活を組み立てていないでしょうか。

 自分の考えを、土台の部分からしっかり積み上げていくことが必要だな、と気づくことができた一冊でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?