死生観(続き)

タイトルはたいしたこと書いてるけど、内容はほんのちょっと
前の記事の続きで、死ってあまりにも未知過ぎて、唐突にやってくるものだし、実は、他人の死(特に家族)も同じくらい、想像するだけで恐ろしい。
で、いろいろ考えたけど、今この瞬間は何も起きてないわけで、結局は、想像でしかない。なんでそういうかというと、私は中学時代に祖母が亡くなった。それまでは、おばあちゃんが死んだらどうしようってビクビクしてたのに、実際にその訃報を聞いた時、ああ死んだのか、て思って終わりだった。なんだかあっけなかった。そりゃ、泣いたけど、その日の夜には、もう気持ちは落ち着いていた。まあ、祖母は病気だったから、そう長くはないだろうなつて覚悟してたし、ほぼ毎日会いにいってはいた。だから、もう最後は、何もしゃべれない祖母をずっと見ていたわけで、なんか寝ている時間がだんだんと多くなっていってた時は、どうしようって思って、なんとか話そうとしてたんだけど、これは、きっときついんだろうなって思うようになってからは、ただ会いに行って、そばでテレビだけ見たりするようになってた。
たぶん、祖母の場合は、だんだんだったから、なんとなく自分も気持ちの整理がついたんだと思う。でも、これが突然死とかだったらどうなんだろう。でも結局は、時間と共に気持ちを整理していくしかないんだと思う。
でも、やっぱり今でも生きてたらなって思うし、夢にもたまに出てくる。
ただ、考え過ぎは良くなくて、悪い方に考えるときってそれがエスカレートしちゃうもんなんだよね。だから私がこうやって考えれば考えるほど、結局、死を実際以上に恐ろしくさせているんだよね。

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