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続・闘病ノート①

前回、胆嚢にドレーン管を繋いだまま退院したのは5月27日のことであり、今回胆嚢摘出手術のため入院したのは6月23日のことであった。27日間の不便さは、シャワーを浴びる時にドレーン管接続部に防水保護処置を施すのが面倒だったくらいで、あとは急な体調悪化を避けるために只管消化の良い飲食を心がけていた。毎日の主食は粥と葛湯にした。これが意外と腹持ちが良い。青汁も毎日摂取していた。魚肉野菜等はよく咀嚼してから嚥下した。前回の入院時に病院食を見て感じたのは、人が生命を維持するのに必要な栄養を得るための食事量は、自分が今迄食べていた量に比べて極めて少なくて良いのだという事である。如何に無駄な物を欲望のまま無批判に体内に流入させていたことか。
(その成果は、今回摘出した胆嚢内から採取された胆石を見たときに改めて見せつけてられた。まさに固い石である。直径3cm大のものが2個、直径1cm大のものが1個、その他細かいものも多数あったという。胆石は多過ぎるコレステロール等が結晶して出来るのでだという。一体何年かけて作られたのか。こんなものが体内にあっては堪らない。私の不摂生の結果が可視化された瞬間であった。)

今回の入院に先立って血液検査とPCR検査が行われた。その翌日から入院すると翌朝まで絶食。(昼食が出ては来たが流動食に慣れている身体では消化に心配があったし、手術時になるべく胃腸を虚空にしておきたかったので手をつけなかった。)
手術に備えて腹部、下腹部、左太腿の体毛を剃ってもらい、持参したT字帯と服帯を看護師さんに渡し、貴重品を事務方に預ける。下剤を飲んで腸内をきれいにする。薬剤師さんが来て薬の服用状況やアレルギーの有無を確認。夕刻と翌朝には執刀医の先生が病室まで来て声をかけてくれた。

6月24日午前9時、いよいよ手術室に入る。手術台に横臥して酸素マスクを装着、点滴を注入される。全身麻酔。手術時間は4時間の予定であったが3時間程度で終わった模様。全身麻酔で昏睡していた患者からすると一瞬のことだった。目を見開くと多くの人たちの安堵の表情。手術は無事成功。

病室に戻ると色々な装置を付けられたまま安静状態に置かれる。鼻には酸素吸入チューブ、点滴はそのまま、心電図を録る機器、左手の人差指を酸素の値を測る器具が挟んでいる。それに導尿管。
腹部には血液等を排出するドレーン管。両足には血栓を防止するために定期的にマッサージする機械がついている。これらと共に一夜を明かすのは横たわっているとはいえ、なかなか難儀であった。深い眠りに就くことはできない。指示された通り、意識してできるだけ深呼吸をする。
翌朝(6月25日)執刀医の先生が回診し、術後経過に異常がないことを確認すると、離床可能と判断され、点滴とドレーン管以外は取り除かれて身体が軽くなった。点滴も昼過ぎには外してもらえた。あとは、なるべく歩くこと。内臓が傷口に癒着しないようにするのと、腸の蠕動運動を再活性化するためである。痛む手術傷を庇いながら病棟の中を何周も歩く。

時々看護師さんが来て、血圧と体温を測り、腹に聴診器を当てるが、なかなか腸の蠕動運動が活発化しない。まだガスも出ない。翌6月26日の朝になると、腸の音も少し大きくなってきたそうだ。さあ、今日も一日張り切って歩こう。(つづく)

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