見出し画像

13年前の今日のこと by おしお


居間の隅で祈りをあげる友達の姿が忘れられない。13年前の今日、私は中学2年生だった。

あの日は、午前中に1学年上の先輩たちの卒業式に出席していた。会場だった体育館があまりにも寒くて、当時私は頻尿に悩んでいたから、早く終われ早く終われとずっと呪文を唱えていた。

午後になって、香川に住んでいるパキスタン人の友人・シャーくんが訪ねてくる。毎週金曜日、徳島のモスクまでお祈りに通っていた彼は、その日も帰りがけにこちらへ寄ってくれていた。

母と私とシャーくんの3人で、おしゃべりしながらお茶を飲む。いつも通りのんびりしていたのに、急に彼の携帯電話が鳴り止まなくなった。部屋から出たり入ったりを繰り返す慌ただしい彼の姿を見ながら、私たちは「どしたんだろうね」と何気なくテレビをつけた。

そこでそのとき何が起こっているのかを初めて知った。

私たちが映像に釘づけになっている間も、シャーくんの元には祖国やアメリカにいる家族から、身を案じる連絡がひっきりなしに届く。ひと段落すると、彼も加わり、3人でずっとテレビを見ていた。終始無言で。

どんなタイミングか忘れてしまったけど、シャーくんが「ここでお祈りをしてもいいか」と言って、私も母も、ぜひそうしてほしいと答えた気がする。テレビを無音にした。

居間の隅に立ち、小さな声で言葉を唱える。床に頭を伏せたり、立ち上がったりを繰り返す。

それをじっと見つめるでもなく、かといってテレビに向き直る気にもなれなくて、お茶のカップの前でただただ座っている私。ひたすら流れる地震や津波の映像に理解が追いつかず、すべのない自分自身が頼りなく感じた。本当に大事なときには何の呪文も浮かばない。彼の呼吸や、立ち座りでわずかに動く空気を感じながら、自分も正しい祈り方を知っていればいいのにと思った。

その日のことは、他に何も思い出せない。あの日、シャーくんがうちにいてくれて良かったと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

東日本大震災の発生から13年を迎えます。わたしの更新日が今日だと分かったときから、どうしようかなと考えていました。自分があの日、どのように過ごしていたか、今まで誰かに話したことはほとんどなかったから。

これまでは、「東北地方にゆかりもないし、被災もしていない自分は、当事者の語りを聞く側だ」と、なんの疑いもなしに立場を決めていたように思います。ただ最近、能登半島地震をきっかけに『10年目の手記 震災体験を書く、よむ、編みなおす』という本を手に取りました。


いろんな立場の人が震災のことを自分の言葉で書くこと、そしてそれを読むこと。その行為の積み重ねが持つ意味を体感し、私の「あの日何してた?」をここに残しておこうかなと思って書きました。

おしお



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?