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スタドラからみるお姫さまという呪縛からの解放。【前編】

前の記事では、その最終話の素晴らしさにテンションMAXなリビドーで書き上げてしまいましたが、一晩寝て落ち着いたので、今度は冷静になって作品全体の考察をしてみます。

改めて本作は、2010年10月3日から2011年4月3日まで放送された作品。約10年前の作品で脚本は榎戸洋司氏が担当。

STAR DRIVER 輝きのタクト
日本列島の南に位置する南十字島。この島に活発な少年ツナシ・タクトが「青春を謳歌する」ためにやってくる。しかし、この島にはある秘密があった。島の地下には「サイバディ」と呼ばれる人型の巨大兵器が安置されており、「綺羅星十字団」を名乗る組織が封印されたサイバディの力を解き放つため、封印を守る4人の巫女を狙っていたのだ。彼は巫女の一人であるワコを救うべく綺羅星十字団のサイバディを全て破壊することを決意。綺羅星十字団との戦いへ身を投じることとなるのだった。

・誰を視点に物語を考察していくか。

はじめに、誰を視点に物語を考察していくかなのですが、本作は『星の王子さま』がモチーフになっているというのが定説らしいので、そこを出発点にしてみます。

星の王子さまとは。
物語は、飛空士である「僕」と別の惑星からきた「王子さま」の物語。フランス人作家サン=テグジュペリが1946年に出版した「Le Petit Prince」を日本語訳し、1953年に出版されたものです。

さて、この『星の王子さま』は別の惑星からきた<王子さま>が主役なんだけど、主人公視点となる語り手は<僕>というな独特な構図があります。

これをスタドラに照らし合わせると、第1話を観て分かる通り、他の惑星からきた<王子さま>は「ツナシ・タクト」になるので、主人公である<僕>は「アゲマキ・ワコ」という構図が見えてきます。スガタが<僕>であるという可能性もありますが、最終話でワコがナレーションをしているところをみても、ワコが<語り手>も担った主人公であると思われます。※後述しますが、スガタは対比としてのもう一人の王子さまを担っています。

物語は主人公視点をベースとして作品のテーマやメッセージを受け取れるような形式が多いので、上記理由から今回は「アゲマキ・ワコ」を主人公とし、表向きのテーマと思われる「青春」を軸に物語を考察しています。

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・ワコが無意識に求めていた非日常。

さて、主人公の「アゲマキ・ワコ」(以下、ワコ)は本作のメインヒロインです。わかりやすくビジュアルが良かったり、幼馴染で超絶イケメンのシンドウ・スガタ(以下、スガタ)と許嫁の関係であったり、学園生活も楽しんでいる様子をみると、まずまず充実している日常生活を送っているようにみえます。

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一方で、巫女という立場上、基本的には島からでることができません。そのため、歌手を目指して東京でアイドルになるという夢を諦めたり、別の人格になれる演劇部に所属してみたりと、閉ざされた日常から無意識に抜け出したがっている、いつもとは違う何か(=非日常)を求めているように見受けらます。

そんなときに突如現れた王子さまこそが「ツナシ・タクト」
(以下、タクト)だったのです。タクトはいつもの日常ではない、“非日常の王子さま”としてこの島を訪れます。タクトが非日常の王子さまであるのならば、スガタは”日常の王子さま”という対比も見えてきます。


・非日常の繰り返しは、"新たな"日常へと回帰する。

ワコの日常はタクトが現れたことで非日常へと変わっていきます。「綺羅星十字団」という組織が登場したり、時間の止まった世界である「ゼロ時間」での戦いに巻き込まれ、毎回登場するサイバディとの死闘を繰り広げていきます。(正しくは見守るだけ。)

しかしながら、稀に起こるからこその非日常であり、毎日繰り返していてはそれは日常になってしまいます。

作品の構図も意図的なのか、毎回新しいサイバディが登場するも颯爽登場するタクトに簡単に撃破されてしまうという反復が不気味なくらい行われます。リアルタイムで見ていたときは10話程度で挫折してしまったのですが、今思えばこの代わり映えのない繰り返しに飽きが来てしまったのではないかと思います。

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→後編に続きます。

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