悔しいは肥やし

人間は弱いもので、何かと自分に都合の良いように考えてしまいます。

若いうちは義務教育をはじめ、周りの先輩や大人がたしなめてくれることで、それ自体の成否はさておき、自分を見直す機会も多いです。

しかし、自分にとって居心地が良いところを好んで進んでいるうちに、いつしか免疫がごっそり無くなってしまい、批評や、時に善意のアドバイスにさえ傷ついたり反発するクセがついてしまいます。

アーティストも、オーディションを受ければ審査員にあれこれ言われ、SNSでは誤解と戦い、プロデューサーには曲や詞に赤ペンを入れられる経験をします。

それでも、ある程度ステータスを積んだと思った時点で、それを煩わしく思ってしまうこともあると思います。

これは非常にもったいないことだと思います。


というのも、僕は恐らく同年代の中でも群を抜いてオーディションを受けまくってきた自負があるのです。

クラブやライブハウスで活動しながら、毎月10社デモを送る時期もあったし、暇さえあればオーディションを受け続けていたし、謎の勧誘や、危ない人、胡散臭い人たちとも沢山会いました。

足りないことばかりに気づかされ、皮肉や中傷や卑下も受けてきました。
いつだって僕の原動力は、悔しさでした。

でも、これこそ、今の僕の礎となっているような気がしているのです。

「悔しい」は「肥やし」なのです。


まず、気づきが沢山ありました。

例えば、ダメ出しは誰でも見つけられるようなことを、誰もが口を揃えて言います。
「ハイハイまたそれね」と思うこともあれば、「こんなに口を揃えて言うんだから、それ直せば間違いないな」と改善の方向に向いたこともあります。

それよりも良かったのは、稀にいるポジティブな部分を教えてくれる人との出会いです。
50人に会って1人いるかどうかですが、僕だけにしかない物を教えてくれます。


次に、言い訳をしなくなりました。

「もっと時間があれば」「体調が悪くて」「バイトが忙しくて」と出来ない理由を並べるのはご法度ですよね。

仕事をする相手にしたら、全部「やる気がない」でバッサリです。

やる気というのは、言葉通り「やる気があります!」という曖昧なことではなく、「責任を持って実現させる前提で、自分のあらゆる都合を調整して取り組む」というアクションのことです。

当然のことも、自分の信頼に響くと感じてやっと、身についていきました。


また、プロセスやマインドを評価してもらおうという淡い期待もしなくなりました。

結果が出なかったら、「そのプロセスやマインドでは結果が出なかった」という結果が残るだけで、同じやり方で次回に臨んでも成功する確率は限りなく低いからです。

実際、何か形にしたことを評価してくれる人は、新たなステージへ進むチャンスを与えてくれました。

また、プロセスやマインドに共感してくれる人達は、心の面を支えてくれる存在になりました。

どちらも一度でスネたり諦めていては得られない存在です。


そして、悔しさから学んだ一番大きな学びがあります。

それは、自分の価値観や、自分の中から湧いてくるものを過信しなくなったこと。

自分が考えつくことは、きっとやり方を間違わなければ、それこそやる気さえあれば絶対に実現できます。

だから、やれば済むことはやるだけだし、やることをやらないで結果が出ないのは当然なので、悩んだりもしなくなりました。

ただ、1つ1つを実現させていくと、どうしても自分の考えでは通用しない領域が出てきます。

政治的なものや、ビジネスの話です。

これは経験はもちろん、そこで戦うための勉強を都度していかなければ、進めません。

結構大変ですが、ちょっと感覚がバカになっているのか、そういう所にこそ自分の伸びしろがあると見つけるたび、ワクワクしてしまうんです。

「おめー強えなぁ!オラ、ワクワクすっぞ!」です。サイヤ人の下級戦士です。

こうしたことを経験してきたからか、いまだに悔しさを味わいそうな場に、わざわざ探してでも足を運んだり、理由を作って人に会いに行きます。


思えば、タレントさんでも芸人さんでも役者さんでも、番組に出たり役をもらうためにオーディションを受けるのは日常ですよね。

他人に評価され、批評されてこそ、自分が磨かれていくのだと思います。

一般の方もプレゼンなどの機会はあると思いますが、アーティストは常に人前に立ち、作品を作っては発信をし、トライアンドエラーを日常的にできる貴重な職業です。

一般の方以上に試され、悔しさを味わえる強みを生かすべきだと思っています。

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