あちら側に立つ勇気

アーティストになる理由は人それぞれ。

きっとなんらかのタイミングで歌手の姿を目にしたこともきっかけになっていると思います。

そのアーティストに憧れることもあれば、肩を並べたい、コラボしたい、超えていきたいと思うことも。

僕はチャゲアス、米米CLUB、ミスチル、ウルフルズ、イエモン、玉置浩二、平井堅、森山直太朗などなど、どっぷりJ-POPで育ちました。

CMの曲を聴いてQUEENにハマり、アルマゲドンやボン・ジョビの来日のタイミングでロックにもハマり、その合間にブラックミュージック、特にモータウン、フィリーソウル、ニューソウルなどを好んで聴いてきました。

ライナーノーツを読むと暗号を解く感覚で音楽のヒストリーが結びついていき、とりあえず近所のTSUTAYAの洋楽コーナーで、A行から順にアーティストのベストアルバムを借りていきました。

中2〜高2くらいまでそんなことをやってました。

テレビのオーディションを受けて最終に残った高2の夏。

結局落ちたんですけど、その時にふと気づいたんですが、僕が「こちら側」にいるうちは、憧れの彼らのいる「あちら側」には絶対に行けないんですよね。

つまり、僕はリスナーやファン、素人感覚のまま、「あちら側」に行けると思っていたら、そうじゃなかった。

プロとは何なのか、僕が憧れる彼らはどんなスタンスでアーティストをやっているのか、インタビュー記事や雑誌などでヒントを探して読み漁りました。

まぁホントに憧れてたんですね、今思うと。

すると、「憧れの存在はいるけど、ある所を境にその感情は捨てた。というか、知れば知るほど、彼らに近づくには、輝いている部分より、そのもととなった辛い部分こそ真似るべきだと知った。」みたいな記事を読んだんです。

純粋だったからか、それから僕は憧れのアーティストや有名人の下積み時代の話や苦労話を調べまくりました。

それを胸にアーティストとして活動を始めると、今度は色んな方にアドバイスをもらうようになったんですが、中でも響いたのは、

「宇田川くんね、今流行ってるものを見てカッコイイとか追っかけようとした時点で、君はアーティストとして終わるからね。」

という言葉。

それはつまり、そこで起きてることは、もう何年も前から仕込まれた結果なので、それを新しいと思った時点で遅れているうえに、それを追おうとした時点でアーティストとしてのオリジナリティを放棄しているということです。

その上で、「最新の物と、昔ながらの一流のパフォーマンスを両方見ておきなさい」とも言われました。

それはつまり、流行が過ぎ去った後のアーティストの在り方を知り、長く愛される存在やクオリティとはどんなものかを見据えて活動しなさいということです。

いずれにしても「本気で真のプロになるつもりなら、本気で悔しがれ」ということを教えてもらいました。

それも10年近く前の話なので、制作スピードも上がり、音楽ビジネスも変化している今なら、ちょっと違う考え方も必要かもしれません。

でも、僕にとって憧れを抱くうちは素人だな、というのは今でも感じることです。

昔ブログで謙遜して好きなアーティストをベタ褒めしてたら、ファンの方に「そんなこと言わないで。私にとってスターのガリバーくんがそんなこと言うなんて嫌だ。」みたいなコメントをもらって、震えるほど嬉しかったこともありますし。

今は他のアーティストに対して、あちらが優れているとか憧れとか、そんな感情は一切ありません。

リスペクトは大切。
でも、その土俵に立った瞬間、真剣勝負。

スポーツと同じように分析の対象であり、いかに違いを見せて上に行けるかを日々真剣に考えます。

「アーティストです。」と名乗った瞬間に、ブルーノマーズやEXILEと同じ側に立ったという、宣言をしたことになるんです。

世間にそう見られて、「ブルーノマーズカッコイイっすよねー」なんて心から言っているとしたら、プロじゃないと思います。

言葉ではそう言っても、「オレだって負けない!」「マジで悔しい!」「どうしたら認めてもらえるんだ!」と死ぬほど悔しがらなきゃいけません。

自分の音楽を聴いてもらうこと。
アーティストとして生きていくこと。

その責任と覚悟があるか、または甘さが残っているか。
それは普段の意識、言動、物事の考え方に現れます。

ちょっと寂しいこともありますが、心から憧れた世界でプロとして生きることは、つまりそういうことだと思います。

たまーーーーに、「あ、オレ音楽好きだな」と自然な感情が滲み出たとき、とても幸せな気持ちになります。

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