今太閤に思うアンティークのこと

今太閤といっても、ピンとこない方も多いだろう。だが、羽柴秀吉といえば「あー、あの選挙で有名な」とうなずく方も多いのではないだろうか。羽柴秀吉さんこと三上誠三さんは、青森出身の起業家で、いわゆる成金である。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200216-00000021-nkgendai-bus_all

この記事を読んで、私がまず思ったのは、吉幾三の存在感である。やはり、成金同士でも「田舎のプレスリー」のほうが、堅実なのである。それは、また改めて紹介しよう。

まず、お宝探偵団の取材であることは、一目瞭然だ。だから、真贋入り混じっていたほうが、番組的に盛り上がるのは間違いない。そして、私がこの取材で注目したいのは、日本の書画骨董は、ほとんどが偽物であるということだ。鑑定書がついていても、時代がついて(※1)いても、それはいくらでも騙せるのだ。

※1 時代がつく これは骨董用語で、その制作年代っぽく古めかしく偽装することである。

比較して、海外から購入したサザビーズオークションの絵画は本物である。ただし、オークションなので、鑑定眼のない人間が落札すると、そのもの価値以上の価格になるだけである。バブル時代の1987年、安田火災海上保険株式会社(現損保ジャパン日本興亜)が、ゴッホの「ひまわり」を53憶円で落札したが、これは現在「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」https://www.sjnk-museum.org/ で、企画展の機会に観ることができる。

このように、パブリックアートになっていることと、それを一企業のメセナ活動として、広報的経済価値に換算すると、53憶円も無駄ではない。かつては、それが常設展示として無料で観ることもできた。現在は常設は行っておらず、入場料もかかるが、これも時代の流れだろう。

さて、話をアンティークに戻す。お宝取材では、もうひとつ本物(とされる)があった。これは、フェラーリという自動車である。数千万円~数億円の価値があり、それは購入価格よりも上昇しているという。ただ、今回の鑑定人は、あくまでも書画骨董の専門家であり、自動車の鑑定人ではない。アンティークフェラーリのレプリカに気づかなかった可能性も高いとボクは読んでいる。

これを本物と仮定して話を進める。現在のアンティークブームは、実は19世紀以前のいわゆるアンティークではなく、腕時計、カメラ、自動車、オーディオ、家具、雑貨、超熟ウイスキーやオールドボトルといった、産業革命以降20世紀中ごろまでの工業製品が多い。ものによっては、1970代まで含まれる。

たとえば、私の得意分野のクルマで話をすると、1973年型ポルシェ911RS https://www.webcg.net/articles/gallery/36161 は、ミントコンディションだとすると、現在3億円以上する。これが、サーキットの狼という漫画が流行する以前の新車時代では、1000万円以下だったのである。バブル時代に急騰するが、その後2000年前後には価格は下落し、高くても2000万円前後で取引されていた。リーマンショック以降も価格は下落し、2010年ころでも、やはり2000万円前後だった・

それがいまや3億円なのである。これは極端な例でもあり、わかりやすくポルシェを引用した。なぜかといえば、現在はポルシェバブルといわれており、タイプ911シリーズは、どの年代であっても非常に高価になっているからだ。

なにが言いたいかというと、現代のアンティークは、工業製品であり、骨董品ではないということだ。使おうと思えば、いつでも使用に耐える実用品でもあるということ。そして、その価値は、多くの資料によって担保されていることだ。

もうひとつ、私の経験を話しておこう。
私は、古いアルファロメオをレストアしたことがあるのだが、これには10年と約1000万円の費用を要した。かんたんにいってしまえば、年間100万円である。

この間、パーツ集めに始まり、優秀な鈑金職人、エンジン関連の工場、足回り関連の工場など、多くのメカニックや職人たちと出会えた。玉石混交で、ぜんぜんダメなところもあれば、非常に優秀かつ安価に請け負ってくれるところもあった。
それ以上に大きかったのは、人脈形成である。古いアルファロオメオをきっかけに、多くのいろいろな職業の方と出会うことができた。これはプライスレスである。

もうひとつ、大きいことがある。これは、以前に持っていたタイプR107のメルセデスベンツSLからなのだが、個人輸入の経験を積んだこと。
個人輸入は、90年代前半からはじめた。まだ、ネットのない時代である。情報集めは、もっぱら洋雑誌の広告であり、問い合わせはFAXだ。まず、日本に送ってくれるかどうか、からはじめなくてはならない。英語の翻訳サイトもない。辞書を引き引き、Windows3.1の一太郎(ワープロソフト)で、英文を作成。FAXで送信。返事もFAXという時代。

1995年になって、Windows95が発売されたことによって、インターネットは広がっていくが、それはコンピュータ関連の人だけの世界。普通の人々は、まだまだネットに接続するという概念はなかった。海外は少し先行しており、イギリスやアメリカ合衆国あたりでは、自動車屋でも部品屋でもメールでやりとりできるようになってきた。ただ、回線は遅く、ネットカタログで選んで注文などとは、ほど遠い時代だった。

これがきっかけで、個人輸入は私にとって身近なものになった。現在では、世界中のECサイトを利用しているし、それを糊口をしのぐ一部にも使っている。この経験もまた、プライスレスなのである。


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