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進化する自治を構想する 19「幻想と現実。夢洲カジノの真価とは」

 今回は、地獄谷冥土バー店長の横田さんが、公営ギャンブルファンであることから、特別編として、公営ギャンブル愛を語っていただきました。また公営ギャンブルを愛する横田さんの夢洲IR観を伺うことができて有意義だったと思います。

ギャンブルの何が問題なのか

 ギャンブル=賭け事は、何も生み出さない、お金が右から左に動くだけの世界で、その間でピンハネしていく産業だとよく言われていますし、実際そうなのかもしれません。
しかし何も生み出さない、時間とお金を浪費することが悪で、なにか生産すれば善なのでしょうか。
 また、人の不幸の上に幸福は成り立たないんだから、あなたの儲けは。誰かの損であるギャンブルに正義はないという方もおられますが、FXやビットコインも、リターンとともにリスクがあり、本質的にはギャンブルと何も変わらないと思います。
 ビジネスについても、資本主義社会においては、食うか食われるかであり、サービス業は、仕入れて販売し、その差益を利益としているわけで、売れなければ大きな徒労となったり、ロスとなったりするわけです。
 人間は、霊長類とかいって、自然や様々なものを破壊しつつ、人間の幸福を追いかけている、賭け事をやっている存在というところまで拡大解釈すれば、生きていることそのものがギャンブルだと言えなくもないと思っています。

万博+夢洲IRがもつ予兆

 今回、横田さんの公営ギャンブル愛に触れてみて、実は私自身、今の公営ギャンブルに行ったことがないことを改めて感じました。百聞は一見にしかず。一度足を運んでみる必要があると思いました。
 ですが、夢洲IRカジノ程度の規模で、ラスベガスのように毎夜世界中の素晴らしいショービジネスのメッカになるとは想像がつかないです。私自身、海外でカジノに行ったこともありますし、ルーレットをやったことがありますが、世界のIRを観てきた方々は口を揃えて、夢洲程度の規模で、しかもMGM一社で、世界中から観光客が集まるIRカジノにはならないだろうと話しています。横田さんも同様でしたね。
 普通に考えたら、夢洲にIRを誘致するという暴挙は思いもつかないはずです。それを思いつき、なおかつ実行しようとしているということは、おそらく、普通では考えられないような何かが起こっているのではないかというのが私の経験です。

モデルが古い現在の万博+IR

 横田さんとの話で改めて気がついたことは、大阪が推進しようとしている大阪・関西万博も、IRカジノも、随分古い、20世紀以前のモデルであるということです。古いからこそ、人間の本質に問いかける真実があるのかもしれませんが、産業博覧会としての万博は、1970年の大阪万博が最後だったのではないでしょうか。夢よもう一度、という幻想を掴まされ、普段の暮らしから程遠い場所である夢洲に建設するという、悪魔的なアイデアにより、ひどい計画が、大阪府民市民の生活とは関係ないところで進行してしまうことを許してしまうことになってしまっています。
 さらに、大盛況で品のなかった公営ギャンブルが、人数も限定し、様変わりできたのには、ネットでの参加が可能となったことが非常に大きく影響しています。その場に行かなくても成立する賭け事として、公営ギャンブルは新しい進化を遂げているともいえますが、IRカジノも全く同様のモデルになるのではないでしょうか。
 つまり、ネットカジノがスタンダードとなり、どうしても現地の雰囲気だけ味わいたい人だけが、夢洲IRカジノに訪れるというスタイルです。となると、巨額の費用をかけて、地盤沈下や災害リスク、経営不振のリスクを抱えてまで、夢洲にIRカジノを建設する意味自体が、根幹から崩れ去っているということです。

いまこそ問われるその存在の真価

 夢洲IR+万博については、執行側の秘密が多すぎます。税金を投入して、大阪の明暗を賭けてやろうとしている割に、どうも裏でコソコソやっている感じが否めません。もっと正々堂々とやればいいのに、情報公開は極力しない。
選挙で勝ったのだから、全て付託されていると勘違いして、傍若無人にふるまっていくのか。その責任の重要性からしっかり情報公開して、府民市民のコンセンサスを得て、進めていくのか。その真価が、いま問われているのだと思います。

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