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堀内たかおの府議会ウォッチ 18「町から消えるフリーゾーン」

町から消えるフリーゾーン

 11月23日に公開された「なんば広場」。
 御堂筋のどん突き、高島屋前にあたる場所だが、以前ここは交通のロータリーになっていたところ。機能的には、中央がタクシー乗り場、待機場になっていて20台くらいが駐車可能。入口はバスの停留所、両側が歩道で車道も通っていた。本来はフリーゾーンとして使われていて、スタンディングや路上ライブなど、自由にできていたところが無くなった。
 現在、バス停がどこに行ったのか、わかりにくく、うろうろされる方も多い。また、タクシーもどこで拾えばいいのかがわかりづらく、以前と比べると、遠くまで歩かなければならなくなっている。
 また、高島屋から日本橋に抜ける道は、閉鎖されている。以前は人通りも多かったが、まったく人は通らなくなっている。車両の通行は禁止となっていて、片側1車線の道路にあった、路上駐車のできる60分パーキングも撤去され、利便性もなくなっており、さびれた状態。難波の高島屋から日本橋の通りがあんなにさびれるとは、思いもしなかった。

お金が無いと、にぎわいが作れない広場

 「なんば広場」とされている場所は、用途も限られていて、許可も必要、費用もかかる。中を人が通ることはできるが、立ち止まって何かしようとすると、スッとガードマンが寄ってくる。
 いつも見られている感覚。以前は自然な雰囲気だったものが、ブロックタイルが敷き詰められていて、植栽もなく、無機質な空間が広がった感じ。そこを常時ガードマンが監視しているという、経験したことのない空間に感じられた。
 広場になる前は、植栽があり、樹木も植えられていて、バス停があるという、空間に変化があり、目にもやわらかい感じがあった。それが今は、ブロックタイルだけの平面、平坦な空間になった。何百メートルもの空間に、例えば買い物でつかれた人が座るベンチなども、ひとつもない。そういう空間は、どうなのか。自由な空間でもなければ、日常の風景として、市民が集えるようなところでもない。グループで立ち話していると目立つ上に、ガードマンが寄ってくる。
 市民が自由に集まれない広場、となっている。市民が集えるような場をつくってこそ、活気もできるし、にぎわいも作れる。1日に百万円前後のお金を支払わないと、にぎわいが作れない空間、広場でいいのか。

まちづくりのあり方を問い直す時では

 まちづくりから見ると、人とクルマの導線を分ける歩車分離という考え方があるので、これまでのように歩行者エリアに車が入り込んだ状態から比べれば、そうしたマネージメントはできていると言えるのかもしれない。
 しかし、歩車分離で言えば、こういう事例も見ました。御堂筋の側道をつぶして、自転車レーンというものが作ってあり、広場までつながっている。自転車の人は、そのままレーンを伝って広場に入るようになっているので、広場に突っ込んでくると、ガードマンが寄ってきて、降りるように指示している。自転車を通さない空間に誘導するような導線(歩車分離)って、ほんとうに考えた上でつくられているのか全く不明。
 広場の使い方も、周辺の商店街や会社に丸投げでなく、これまで使っていた市民や、できれば路上ライブをやっていた人たちの声も聞いて、誰もが使いやすい市民の広場にするのが、ほんとうじゃないか。

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