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酒場とコミュニティ 01「地獄谷冥土BAR」

 大阪市福島区にある昭和時代のスナック街で、行ったら帰ってこられなくなることから通称が「地獄谷」と呼ばれているエリアがあります。その地獄谷で「地獄谷冥土BAR」の店主をしている横田です。

 大阪市福島区にある昭和時代のスナック街で、行ったら帰ってこられなくなることから通称が「地獄谷」と呼ばれているエリアがあります。その地獄谷で「地獄谷冥土BAR」の店主をしている横田です。
今回、前回と収録しているのはその「地獄谷」と呼ばれるエリアの「地獄谷冥土BAR」というお店からです。

地獄谷の原型は戦後の闇市

 「地獄谷」は戦後のどさくさに人が集まって出来た「闇市」がその原型なので、入り組んだ路地に狭小で既存不適格な建物が連なっています。
未だにこの地域を「地獄谷」ではなく「マーケット」と呼ぶ人たちが残るのは、そのことが由来です。
 その闇市にとって代わって出来てきたのが寿司屋やラーメン屋といった飲食店と、「スタンド」、今でいうところのカラオケのないスナックのような女性が立つ店などが、ひしめき合っていました。
昭和30年代から40年代の高度成長期には、それらの店を目当てに来る人たちが路地に溢れかえっていたそうです。
 しかし、近くの大型の会社や工場などの撤退により主力客であった労働者たちも減少し、地獄谷も冬の時代を迎えることになりました。
客の減少により店舗の撤退が相次ぎ、ついには空き家対策に店舗が住宅化されるようになってしまい、更なる「地獄谷」の衰退を招いていました。

極めて複雑で地上げのしようもないエポックから

 バブル時代、当然のように様々なエリアで地上げが行われ、野田阪神駅から徒歩3分のこの地獄谷も本来はスクラップされ、マンションが建つ立地なのですが、この極めて小さなエリアに昭和57年の地積測量図段階で500名以上の地権者がおり、地上げによるスクラップアンドビルドが行われなかったというエポックメイキングなのが「地獄谷」です。
 そのように、かつて繁栄してしかもボロボロになった路地裏のスナック街を逆にレトロで面白く思った若者たちが、数軒店を出し始めたのが今から十数年前のことです。

新しい妄想は酒場から始まる

 当時、UCOの山口さんや僕たちは福島区の「まちづくり委員会」や「区制会議」に参画していましたので、福島区の将来や大阪市のビジョンについて話し合っていたのが、このうちの一軒のお店でした。
 連日三人で深夜まで飲んでいましたので、自分たちで店を持った方が安上がりになるのではないかと提案されたのが山口さんでした。
 よくあるお酒の席での冗談だと思っていましたが、突然、山口さんがお店を契約してきたと言われて驚いたことを懐かしく思います。
そこから一気に話が進みそうですが、実際は解体工事も自分たちでするようなセミセルフビルドで作りましたので、お店が出来上がるまで半年以上かかりました。
 その分、お店には人一倍愛着はありますが、周りの方たちは長い間一体何をしているのか疑問に感じていたそうです。まあエイリアンそのものですよね。

お客様と作り上げる小さなコミュニティ

 山口さんは、このお店を狭小物件のモデルケースとして、地獄谷にあるお店の数軒を設計、建築されましたが、作り手としては全てが納得できているわけではないでそうです。
 ただ、設計者としてはそうであっても手掛けられたどのお店も長く続いているのは、そのお店が愛されている証拠だと思っています。
当初はお酒も十数本程度しか並んでなく、お酒の素人がカウンターに立っているだけのバーとは名ばかりのお店がここまで続いているのは、もちろんお客様あってのことですが、素人なりに真摯にお店に向き合っていたからだと思っています。
 もちろん、今でもその姿勢は踏襲していますし、今後も「話し場」「遊び場」や、「コモンズバー」のように機能していく、お客様とともに楽しめるエリアとして、小さなコミュニティですが、いろんなことに挑戦していきたいと思っています。

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