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ミュージカル『刀剣乱舞』 陸奥一蓮 初見の(あまり愉快ではない)感想

先日“刀ミュ”ことミュージカル『刀剣乱舞』の新作・陸奥一蓮の初日に行ってきました。
刀ミュに関しては「ボジョレーかがや」と友だちに笑われてたくらい、新作が発表されるたびに「今作はここがいい。過去最高の出来」って絶賛しまくってたんですけど、今回初めてそうじゃない感情が自分の中に生まれてしまって、ちょっと驚いています。

まだ自分の中でいろいろとっ散らかっている部分もあるので、自分の中の整理も兼ねて、初見(まあ厳密にいえばディレイ配信もみてますけど)の感想を書き記しておこうかな。と。

今作はタイトルからも予想できる通り、陸奥=東北を舞台にしたお話でした。平安初期への出陣で、さらには歴史上の人物としてラインナップされているのが、阿弖流為/母禮/坂上田村麻呂ってことで、蝦夷征伐周りのことが描かれるだろうなというのは、想像に難くなかったです。

なぜこの時代を選んだのかについては、今作のパンフの茅野さんと麻璃央くんの対談の中で「阿津賀志山異聞」や「つはものどもがゆめのあと」などの東北の物語の“源流”となったからだという言及がありました。
さらにはこの時代の史料は非常に少なく、争いの勝者が書き残した史料しかないからこそ「史実」「事実」「真実」をきちんと分けて考えたいとも。

さて、それを踏まえた上で、今回の物語。

この時代のさまざまな研究(さらには東北各地に残っている伝説)はあれど、史料として拠り所にするのは結局「続日本紀」と「日本後期」くらいしかなかったかなと思います。悪路王(=阿弖流為?諸説あり)に関しての記述があるのは「吾妻鏡」でしたっけ。史実として扱えるのはそんくらいなのかな。
当然ながら、前述の通り「争いの勝者が書き残した史料」であり、いわば大和朝廷史観によるものです。「蝦夷征伐」で「東北を平定した」なんて言ってますけど、これ、言ってしまえばシンプルに「侵略」なんですよね。
※追記
その後、古代東北の豪族に関する本をあれこれ読んでるんですけど、「侵略」っていうよりは「支配」に近いような印象でした。いずれにせよ、外の人が入ってきたからそうなったわけではあるんですが。

でも、その視点がごそっと抜けていた。
「生きてきた土地を奪われたと取るか 未開の地を開拓したと取るか」
「互いに向ける~無理解の刃」って歌ってててだな……

いや、なんで両者に戦う理由があってだな~みたいな話になってんのよ!

わかるよ、山姥切国広が当たった史料はおそらく前述のものだろうから大和朝廷史観になってしまうだろうよ。彼らが守らなければいけない歴史は、勝者が残した歴史なんだろうよ。でもさ、でもさぁ、刀ミュくんがずっと描いてきた歴史観ってそうじゃなかったじゃん……。

さらには「なまじ武器があったから抵抗して戦になった」(≒抵抗しなければ戦にならなかった)とまで男士に言わせちゃうんだ。武器である己に対する自罰的な発言なのかもしれないけど、いや、そもそも自分たちの土地に踏み込まれたら、そりゃ抵抗するに決まってんじゃんよ……!

パライソで鶴丸は「真実なんてどうでもいい。大事なのは事実だ」って言い切って、守るべき歴史に余計な感情を抱かないようにしていたんですけど(どこまでも心根が優しい男士だよね……)そんな鶴丸から見たこの歴史の「事実」って何だったんだろうね? 
三日月と折れた男士(暫定)絡みのことでそれどころじゃなかったって言われたら、まあそりゃそうでしょうねってしか言えないけどさ……。

結局のところ蝦夷とはなんだったのか。もともとそこに住んでいた人たちは“日本人”じゃなかったのか、みたいなことはいまでもよくわかってないし(でも、調べてる限りだとアイヌ説は弱そうですね)なんなら阿弖流為ってほんとにいたのか、みたいなことも含めてアタシレベルでは妄想の範疇を出ないからここに関しては一旦置いておくけど、それを持ってしても、蝦夷征伐ってのはその後の東北の戦の歴史とは、全くもって毛色が違うものな気がするんだよね。

現実ではウクライナがロシアに侵攻され、ガザではジェノサイドが起きている。
そんな中で「どっちもどっち」みたいな当たり障りのない描写しかできないのは、これまでの刀ミュに対しても、演劇としても、不誠実だと思うんだよな……。

そんなこんなで、アタシ含め似たような気持ちを抱いていた人たちがXで荒ぶってたら、「史実として残ってんのは勝者の歴史しかなく、確定がない以上はそれを頼りにするしかない」っていう有識者のもっともらしいポストが流れてきたんですけど、いやいやいやいや、そうだけど、そうじゃなくてだな……!
あくまで歴史フィクションじゃないですか、刀剣乱舞も刀ミュも。
“確定していないこと”を想像し、創造し、“史実”にどう着地させるかって話じゃないの?
『三百年』なんてでたらめにでたらめを重ねているのに、演劇としての嘘はなかったじゃん。
『パライソ』は「天草四郎には諸説あります」「島原の乱が起きた理由は、どうやらひとつだけではないっぽいです」をうまく利用して“史実”に帰結させたじゃん。

「この地で生まれ、この地で生き、この地を愛し、朽ち果てる それが全て」

本当にそれ以上でもそれ以下でもなかった。奪われたものに寄り添う眼差しが何もなかった。「見方を変えれば、朝廷に本気を出させた蝦夷もすごい」って、いや、寄り添うってそういうことじゃないじゃんよ……。
多分、それが東北生まれ東北育ちのアタシには、ものすごくショックだったんだろうな。
ショックついでに言うと、二部の歴史人物の歌のときに阿弖流為が持っていたのが朝廷側の刀だったのも見栄えを重視したにしても、ちょっと悪趣味だな~って思っちゃいましたね。蝦夷の象徴でもある蕨手刀ではなく、侵略して奪った側の武器を持たせて歌わせちゃうんだね……。

なので、両手をあげて「今度の新作は過去最高です!」っては言い切れないんだけれども、あの、ここまで言っておいてなんですが……刀剣男士の物語としては最っっっ高に面白かったです!(情緒)

ってなことで、歴史描写に関しての違和感はこれにて終了!
物語全体の考察や刀剣男士たちに関しては別記事に書こうと思います!
うす!

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