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声 2019年夏

小さい頃、とても山深い田舎に住んでいたので小学校まで山を一つ越えて通っていた。

段々になった田んぼを横目にぐねぐね道を歩き、あぜ道みたいに細い坂道を下って、橋幅60センチくらいのセメントでできた橋を渡って、車も通れる広い道に出て、またひたすら歩く。鶏小屋を過ぎると(趣味で鳥を飼う家が何軒かあった。烏骨鶏もいた。あと闘鶏のとか。)、少し大きな川があって橋を渡る。三本杉?っていう名前が付いていた。そこから山を削った道を歩いて、ネコバスと呼ばれていた投棄されたバスを横目に(捨て猫が多くて猫が住み着いてた)山道を下る。台風が来ると、だいたい土砂が崩れて通れなくなる(笑)基本ずっと坂道。

竹やぶのカーブを過ぎると家が多くなる。唯一の国道が見えて、急に拓けた感じになる。そこからしばらく歩くと小学校だった。春になると、小学校の手前の田んぼの石垣から、毎朝蛇が出てきていてとぐろを巻いていた。たぶん、日向ぼっこをしていたんだと思う。

街灯も少なくて、小学校から帰るのが遅くなると真っ暗な中を帰る。同じ地区の人に、車で拾ってもらえる事もある。軽トラに拾ってもらうと、荷台に乗せてくれて坂道を登るのが気持ちよかった(笑)

両親が小1で離婚して、母が出て行った。

学校でも小6まではあんまりうまくいかなかった。父は怒ると手がつけられない。祖父は優しかった。

でもなんだかその頃の私は今思うととてもタフで、学校には毎日通ったし、居場所とかそういうもので悩むとかそういうこともなかった。イジメはつらかったけど(田舎のイジメはマジで陰湿)

暗い道を歩きながら(明るい時間に下校しても家に着く頃には暗くなる(笑))、ひたすら歌を歌っていた。歌ってると足も早く進むし、周りを気にしなくてよかった(家も街灯もない山道だから、とても怖かった。)

歌が上手だと褒められてからは尚更歌った。

中学でも合唱をやって、大人になってからは歌ったり歌わなかったり。集団に所属したこともあったけど、周りと合わせて歌うより、一人で自由に歌うのが好きだとわかった。

そういえば、一人で歌いたくて、伴奏できるようにとウクレレを習ったんだった(笑)と集団を抜けてから気づいた。

いつでもその時々で好きな歌が頭の中に歌が流れていることを、最近改めて自覚した。

その歌で、自分の状態も分析できるんじゃないかと思う。

小さい頃、田んぼに座って『何でわたしのことを私って言うんだろう』『わ を わ と発音するって誰が決めたんだろう』『わ と た と し を並べて、私って誰が決めたんだろう』と考えていた。聞いてみたらバカにされたのか、ひたすら一人で考えていたように思う。私という意識が、体に収まりきっていない感覚というか、そういうのが『私』なんだろうけど、じゃあどこからどこまでが『私』なんだろう?と出ることのない答えを求めてぐるぐるしていた(笑)

今でも考え事をついついする。子どもにも、すぐに返事ができなくて文句を言われる(笑)

少し前に、ラジオを聴いていて、『たくさん考えるのは癖!趣味なんだ〜🎵』と言った方がいて、『あ、考えてもいいんだ!(考えすぎってよく言われるし自分でも思って嫌だった(笑))』と肩の力が抜けた。

ふと、ふわふわといろんなことを考えて、思い出したりして、時々胸が苦しくなったり、ニヤニヤしたりしているけど、それら、なんかうまく表現できないいろんな思いを、うまいことまとめて投げることが出来るのが歌なんじゃないかと思う。

世の中にある歌はすごい。いろんな人のいろんな部分にフィットして、いろんな作用をしてくれる。好きな歌を口ずさむと、その歌詞やメロディが声を伝って広がって、そこでもいろんな作用が起こる。体は水でできているから、音の振動がダイレクトに作用するんだろう。そこに愛が乗ってたりすると半端ない作用が起こって、自分でも収集つかなくなるくらい感動したりもする。

で、ふと、自分の声が歌によって変わることに気づいた。もともと何となくモノマネがうまいんだけど。

自分の声ってどんなんだっけ?と思った。

つづく


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