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24の正月の記録

今更だけど正月に描いた日記です 

「おめでとう」と言いつつ言われつつ、言われる側がなんとなく、いやとかじゃなくてなんとなく、下手。おめでたいと言ってもらえるとこまで持ってくまでの勢いがそこで一区切りついて失速しちゃうんじゃないか、とその場足踏み的な気分になるのと、常にある「もっと頑張ればもっとできるのに」精神が暴走しそうになるのと、あと単純に照れ臭すぎてどんな顔すればいいのかわかんない。最後のが一番でかい。おまけに「私ってセーカク悪いなあ」まで上乗せされる。でもいろいろ踏まえた上で返す「ありがとう」は、そういうめんどさマシマシ且つ感謝純度高めの本心なのだ。

 そういうの全部関係ないから正月が好き。正直何がめでたいのか完全にはわかってないけど手放しにおめでたがっていい感じがいい。個人に関してないのにただお互いめでてえめでてえ言い合えるいい時期。心が明るくなる。
 あけましておめでとうございます!!

 今までずっと年末年始は親戚と集まって過ごしてきた。蕎麦食べて紅白見てゆく年くる年見て年越しておもしろ荘見て夜更かしして、元旦は寝ぼけ眼でお屠蘇飲んでおせちつっついて。

 うちってお母さんが4人兄妹だから、従姉妹やら叔父やら叔母やらみんな集まるとすんごい人数多くて、ホントにサマーウォーズみたいになるんだよ。さらに最近従姉妹の子供たちも参加するようになったもんだから、キャッキャバタバタの音も増えてたのしい。去年は私、彼らと一緒にテレビゲームしていただいたりして、うーん、この年になっても子供チームが落ち着くんだよな。でも後2年くらいで遊んでくれなくなっちゃうのかな。そしたら私どうすればいいですか...?

 話が逸れた。今年はそんなわけにもいかず。2人の姉とともに、姉の家で年越した。なんか新鮮。上の姉がカードゲームにやたらとハマってて、いろんな種類のを持ってきてくれて、紅白横目で見ながらそれやったり。

 3人だから寂しくはないけど、あの、親戚だらけの正月ウォーズがまるで夢のことみたい。たった一年前のことなのに、遠い昔のいい思い出話のような。父と母、祖父と祖母にテレビ電話かけてみたりもしたけど、まあまあ普段からしてるし、「会う」とか「話す」とか「集まる」とかの細かい感覚が曖昧になってきた気がする。


 実際テレワークが広まって、なんだ家でもできることだったんじゃん、というのがわかってよかった、という人が結構いるし、私もそう思う。(そう思うっても、何屋かも曖昧な私にはほぼ関係ない話なんだけど...)。でも「オンライン帰省」とか「オンライン忘年会」は普通に電話だよな、それって。しょうがないんだけどさ。しょうがないんだけどよ。良さげな言葉で寂しさや恋しさを紛らわさなくてもいい時って絶対あると思う、紛らわさないことも、尊重していきたいぜ。とか言いつつ時々そんなワードの波に乗ってみたりもします、都合よく。とにかく都合よくいきましょうね!この未曾有の世の中。

 色々予定が二転三転して、三が日しっかりお休みになってしまったので、たくさん食材を買ってお雑煮作ってみたり、三日分のお惣菜をわーっと作ってみたりした。年中無休の西友に感謝。近所にいい感じの渋~い古本屋を見つけて、前を通るたびに買ってしまうので読むのが追いつかず、いい機会なので昼間からグリーンラベル飲みながらその積読を消化したり。今3缶目開けたとこです。
 こんな24の正月でいいんかい委員会

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