毎朝5分の自分語り 2023/08/20
くも膜下出血を発症したときの記憶はないが、その後の入院生活では全てを失ったと思った。
肉体はいうことを聞かず、頭も働かない。
言葉もゆっくりしか出ない。
液体を飲み込むと肺に行ってしまう。
私は手先が器用だった。
魚の骨を外して食べるのはかなり綺麗にできると自負していた。
手先だけではない。
私は比較的器用に様々なことが出来た。
視力も両目とも1.2以上で元々良かったが、手術後には眼球に血が溜まって視界に靄がかかっているような感じで上手く見えなくなった。
体力も比較的あった。
しかし満足に動かせないどころか歩くことすらできない。
それは病気によって全て失われた。
こういうふうにひとつひとつ出来なくなったことをあげつらったら「全てを失った」と認識してしまった。
しかし、最終的にはそんなことはなかった。
それどころか「失ったことを得た」とも思った。
まず、全てなど失っていない。
大事な家族もある。
命もある。
不便な体だが、仕事をすることもできるようになるはず。
言葉をよく知らない者は表現が極端になり、相手ばかりでなく自らの認識も極端になる。
人は話さなくても書かなくても言葉を使って思考する。
人の思考や感情は頭の中で使っている言葉に引っ張られる。
「全てを失った」などと極端な理解をすると、全てに絶望してしまう。
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