毎朝5分の自分語り 2023/07/19
ちょっと前にテレビで物価は高騰しているがモヤシの価格はそれほど上がっていない「物価の優等生」なのでオススメだという紹介がされていた。
別の番組ではモヤシの生産会社が紹介されていた。
番組に出ていた社長は、世間が物価高に喘ぐ中なのでなんとしても価格を維持して庶民の暮らしに貢献したいということを力説していた。
工場ではほとんどの工程が自動化・無人化されていた。 生産から加工・袋詰めをへてトラックに積み込むためのパレットに乗せるところまでを無人化。
そのおかげで価格を維持しているという説明があった。
世の中の多くの商人が少しでも安く仕入れて少しでも高く売ることを法則として活動している中、頭が下がる思いがした。
と同時に血の滲むような効率化の末に辿り着いた低価格を「物価の優等生」だの「モヤシの価格は上がりにくい」などという見方で、ある意味軽く扱っている番組との温度差にもやっとした。
社長の真意はさておき。
我々のようなエンジニアもただ単に儲けるためではなく、サービスの維持をどれだけリーズナブルに提供できるか?という課題に向き合うことがある。
品質やサービスの水準を高ければ高いほうがいいという単純な見方ではなく、それはコスパとして最適なのか?という問いをする。
ある意味で、自分個人や会社の利益と相反する部分も出てくる。
脳死で時間をかけてやることを見つけようと思えば、無限に近い課題やも話題点を見つけて取り組むことができる。
サラリーマンであれば必要性そのものはある仕事に時間を費やして、その分の時間外労働手当を額面で受け取れる。
長時間労働に対しての見方は多様化しているが、仕事をたくさんやっている人に対しての組織内の目は基本的には好意的だ。
それらを蹴って世の中の最適に貢献するということに対して、評価はもっとされて良いと思う。
だが、冒頭の社長に対してはどう評価されるべきなのだろうか?
金銭での評価は社長の意図するところでは無いはずだ。
商品の価格が上がってしまっては本末転倒だ。
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