見出し画像

コーチングの価値を届ける入り口に立つむずかしさ。#ぼやきnote

コーチングを知っている人にしかコーチングが届いていかない。

語弊を恐れずに言うと、こんなハードルを感じてる。


実際には、興味を持ってコーチングを受けてみたり、noteを読んでくれたり、「実は、、」と連絡をくれたりする人もいる。
全くと言っていいほどコーチングを知らない人が、(どういう経緯か)僕のHPに辿り着いてくれて、継続クライアントになったケースもある。

だけど、多くの場合(肌感では90%以上)はまず説明の入り口に立つことすら難しい。
コーチングはサラッと説明してわからなくて、体験してみないと価値はわからない。

例えるなら、コーチングは、全員が視力0.1の世界に人知れず現れたメガネのようなもので、実際に使ってみないとどれだけ価値のあるものなのか、言葉ではなかなか良さを伝えることができない。


僕が使っているSNSはX(旧Twitter)とFacebook。
Xの方はほとんどがコーチ界隈の人との繋がり。他にもXのアカウントを持っているけど、タイムラインの温かさや受容の空気感が全くと言っていいほど違う。

Facebookは地元や大学の友達など、コーチングと全く関係ない繋がりも多い。
そんな中、Facebookでコーチング関係の投稿をした時のコーチ以外からのリアクションの薄さと言ったら、一歩間違えたら胃が痛くなるレベルで寒々しい。


コーチングの価値って胡散臭く聞こえますか?

・自分らしく豊かな人生を歩むために、自分と向き合うことが大切
・常識や周囲の目を気にして生きるのではなく、自分の価値観に従って主体的に生きた方が後悔が少なく、やりがいや喜びが大きくなる
・そうやって生きていくことで、充実感や喜びを感じるだけでなく、自分の価値がより発揮されるので、周囲の人や社会にもそのプラスの効果が還元される

コーチングの関わり方やそこで生まれる結果は全く操作的ではなく、主体性を存分に発揮していくもの。
全てはその人の内側から出てくるものだから、怪しさなんて欠片すらあるはずもない。

・・・と、コーチ側の僕は思う。

だけど、そうではない人たちからしたら、「人生とか言っちゃって、やばいやつなんじゃない?」と思われたり、「価値観に従うってどういうこと?別に我慢せずに普通に生きてますけど」みたいな声も聞こえてきそうだ。(コーチングの説明を少しした時に、実際にそんな風に言われたこともある)

“自分らしく生きる“
僕はこれをほとんど絶対的な是として捉えているけれど、見方によってはこれも一つの考え方と言ってしまえるかもしれない。
一つの考え方なのであれば、正しい訳ではないかもしれないということ。どうなんだろう。

(でも、もしそうであるとするなら、ちゃんと届く人にだけ届けばいいということになるのかな)


価値を広げるための活動

今の僕は、コーチとしては本当に全然影響力がない。
曇りなく真っ直ぐ進んでいるつもりだけど、なかなかに道は険しい。

だけど、僕はコーチングの価値を本当に信じているし、人がもっと自分に素直に、もっと豊かな人生を歩んで欲しいと心から願ってる。

先生に言われたからとか、普通そんなことしないとか、やってみたいけどどうせ無理とか、まあこんなもんじゃないとか、
マジでうるせーよ!!!って感じ。

人はいつか死ぬし、人生は一回きりだし、死ぬ間際になってから後悔したって文字通り後悔先に立たずだよ。
人生はそんなに適当に扱っていいもんじゃない、、、


ちょっと取り乱しましたが、そんな訳でちょっとでもコーチングを広げていきたいなと、弱小なりに頑張ってる訳です。

活動する上で一つ意識していることは、内輪で気持ち良くなる方向にベクトルを向けない、ということ。

コーチングを学びたい、届けたいと思ってる人はたくさんいる。オマケにコーチ自身にもコーチをつけた方がいいと言われている。だから、コーチングを学んでる人にはコーチングは届きやすい。ぶっちゃけ、その方がクライアントは見つけやすいと思う。

でも、そこに活動の焦点を当てていたら、結局コーチングの価値は広まっていかない。
だから、弱小でも外に目を向けているつもりです。


これまでの活動としては、

  • noteの毎週投稿(多分今回で89週連続)

  • Facebookでの不定期投稿(リアクションの薄さにいつも血吐いてるけど、粘り強さが売りだと自分に言い聞かせて)

  • 学生たちへのプロボノコーチング(ざっと40人くらい)

  • プロフィール写真撮影前のカウンセリングと称したコーチング的関わり(ほんの少しだけでも「すごく良くてびっくりした」という声も)

  • コーチング的なテーマじゃなくても、相談されたら真摯に対応する(どんなテーマ、スタンスだったらいいか、なかなかわかりにくいですよね)

  • 気軽なコーチング体験会の主催(これから複数回実施予定)


東京に向かうバスに揺られながら遠い目をして景色を眺めてます。

僕には時間はたっぷりある。
収入の安定していない僕は、仙台から東京へはバスで移動する。

西日が美しい16時。
畑や木々や雲が柔らかいオレンジ色に彩られていく。


先日仙台で知り合った人とは、すごく波長が合った気がした。
「是非洗顔の体験に来てください!」と言われ、あまり美肌意識は高くないけど、フットワークだけは軽いので二つ返事で「行きます!」と言って3日後の午前9時にはそのサロンに行った。

洗顔は妻がして、2時間ばかり楽しくワーワー雑談した。

「自分らしく生きたい!」みたいなお客さんもたくさん来るとのことだったので、最初に知り合ったスタッフさんにコーチングを体験してもらいらいと思った。その先にいる潜在的なニーズに届けばいいな、と。
ところが、返信は「今の私には必要ないかな。誰かいたら紹介しますね!」

、、、

いや、紹介できる訳ないでしょ、知りもしないものを。
こちとら移動+2時間かけて家族連れで体験に行ったのに、、

とまあ良くない被害妄想をしてしまったのだった。

行きたければ行けばいいし、受けたくなければ受けなきゃいいだけのはずなんだけどね。


難しい。
コーチングを届けるのは本当に難しい。
元々ハイキャリアの人がキャリアコーチングをするのはそもそもニーズがあるだろうし、「目標達成コーチ!」みたいにコンサル的なゴールを掲げていれば結果を期待しやすいだろう。
だけど、僕は「マジで勿体無い生き方すんなよ!自分らしく人生生き切ろうぜ!」という気持ちがあるので、そこに向かおうとすると本当に難しい。

もっとシンプルに稼ぐ方法はいくらでもあるし、そういう「マジで勿体無い生き方」してる人を横目に見て、「まあ、俺の人生じゃないし、知ったこっちゃないわ」と気にしない選択だってあるんだと思う。

だけど、僕自身が自分に正直に、偽りなく生きていきたい。
だから、大変だとしても、この道を進んでいく気持ちに揺らぎはない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?