[満洲の記憶を追って]
中国東北地方の旅から戻って3年になる。
1940年に渡満して奉天市(現在の瀋陽市)で子ども時代を過ごした母がその頃を懐かしむようになり、当時父祖が住んでいた家と奉天の街が今どうなっているか見てくることが旅の目的だった。
現地で見聞したことは、自分が満洲国(現地の人は偽満洲国と呼ぶ)時代について何も知らないまま生きてきたことに気づかせてくれた。
祖父母は満洲のことをひと言も話さずに亡くなった。
帰国後にファミリーヒストリーをまとめようとしたが、子どもだった母の記憶は限られており、資料も図書館に行けば揃っているわけではなく、そもそも何を見ればよいのか、はじめは手当たり次第だった。
ある程度見当がつくようになった頃、自分が育った土地から満蒙開拓団を送り出され、ソ連参戦時に取り残された人々が避難途中でほぼ全滅。開拓村から召集され復員してきた団員を除いてわずか数名が生還しただけだったことを知った。
中国残留孤児の肉親探しが始まった頃、それが自分につながるとは知らずにそれを報じているテレビをぼんやり眺めていた。
なぜ自分は満洲のことを知らなかったのだろう。知らされなかったのだろう。
家族の歴史調べがいつのまにか満洲の記憶探しになった。
探し物の途中で気づいたこと、考えたことも忘れないようにメモしておこう。
2020年8月8日
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