錦江町で和ろうそくを創る!
はじめまして。内田と申します。普段はメーカーで営業をしているサラリーマンです。今年に入ってこれまで何となくやりたいな~と思っていた事を実行に移すべく、意識的に色々な方と関わるようになりました。コロナ禍で思うような動きが取れない日々が続いていましたが、その状況でも多くの素敵な出会いがあり、自分のプランをさらに大きなモノにしていきたい気持ちが強くなりました。そんな自分への宣言という意味もこめて今回はじめてnoteを書いてみることにしました。なぜ和ろうそくなのか?なぜ錦江町なのか?といったところを今回簡単に書いてみようかと思います。
■「これだ!」という確信
自分の求めていたものが「これだ!」と思ったのは本当につい最近、今年から始まったaeruさんのオンラインサロンで開催された、和ろうそくの工房見学でお話を聞いたことが大きなきっかけとなりました。それはまさしく自分の心に火がついた瞬間でもありました。
和ろうそくを意識したのは、5年前に初めて行った宮地の和火というイベントでした。イベントで使用されていた蝋燭は一般的な洋ろうそくでしたが、参加されていた方から「和ろうそくで照らすともっと素敵な光になりますよ」というお話を聞いていからでした。それまでは仕事ととして照明に関わっている関係で、「光源」としての蝋燭は理解していましたが恥ずかしながら「和ろうそく」と「洋ロウソク」の違いはその時点では理解できていませんでした。
以降「和」を意識した全国のライトアップイベントに参加するようになり、無意識的に蝋燭の灯りに心地よさを感じるようになりましたが、大きな進展はなく毎年灯りのイベントに参加するにとどまっていました。それがこの工房見学において和ろうそくの持つ魅力、伝統工芸を支えるモノ、そしてそれらが作りだす文化や豊かさといったキーワードが強く私に刺さりました。その中でも特に私に刺さった「魅力」を和ろうそくそのもの魅力と伝統工芸を支えるものとしても「材料や道具・技術」という2つの視点でお話してみようと思います。
■和ろうそくの魅力
和ろうそくの魅力は「力強くゆらぐ光」、「時間と余白」この2つにあると思っています。「ろうそくの灯り=やさしい」というイメージがあると思いますが、和ろうそくは、力強くまぶしい灯りを創りだします。そして、時々現れる「ゆらぎ」が力強さの中に優しさを内包することでこの炎の魅力をより際立たせるアクセントになっていたりします。これは同じ光源としての洋ろうそくや白熱灯、LEDにはない魅力であり、和ろうそくが唯一無二の灯りといえる要因でもあり、まさに「これだ」と思えた理由でもあります。
もう1つの魅力は「時間と余白」です。和ろうそくは「灯り」としてしての性質の他に、もう1つ「時間」をいう役割も持っています。例えば3匁の蝋燭であれば約1時間燃焼します。「約」がポイントです。57分のものあれば1時間3分のものもあるということです。日常生活のなかではどうしても決められた時間があり、それを守ることが必要となりますが、和ろうそくの作り出す時間には「余白」があります。私はこの「余白」を生む和ろうそく時間がとても好きです。そして「余白」を楽しむことができる文化的な豊かさを和ろうそくを通じて発信していければと考えています。
そしてもう1点、aeruさんのサロンで紹介頂いたのですが、和ろうそくはハゼノキの実から取れる蝋分を加工するのですが、同じ材料からハンドクリームが作れたりします。これは保湿性のハンドクリームなのですが、じつは原料のハゼノキは葉に触れたり、人によっては近づくだけでも皮膚にかぶれが出てしまう人もいる植物なのですが、それとは真逆に効果を持つ商品を作り出すこともできるのです。とても素敵な事だと思いませんか?
■材料と道具。それを支える技術
この話をきっかけにこれまでと明確に意識が変わった点がありました。それが「材料」と「道具」の2点とそれにかかわる技術です。和ろうそくの材料はハゼノキや漆の実から取れる木蝋ですが、国内産のハゼの実は生産が安定しない状況もあり、不足してしまうことも多く、材料としての値段も高額になりがちです。この事実は恥ずかしながらこの話を聞くまで全く知りませんでした。そして、この原料を作るという技術も、何もしなければ失われてしまうかもしれない状況にあることも知りました。
さらに、「道具」に目をむけると例えば、和ろうそくの作るために使う灯芯用の竹串、和紙を漉くために使用する「漉き簀」や板干し用の「板」などすでに新しく作る技術者がほとんどいない、または既に作る事ができない状況にある道具があるなど、材料以上に「伝統的な道具を使った工法」が難しい状況になっています。もちろん新しい道具も開発され和紙を乾かす点では既に鉄板での乾燥が一般的な状況でもあります。
両者に共通しているのは、現場の職人さんにお話を聞いていると国産材料や伝統的な技法、伝統的な道具を使いたい。あるいは守っていきたいというお話をお聞きします。しかし、このままですとその技能が消えてしまうかもしれません。材料や道具が失われる事は結果として伝統工芸品だけでなく、そこに内蔵されたいた文化やを失わせるてしまう事につながります。
伝統工芸や文化に触れていく中で、表に見えているものだけでなく、それを作り出しているもの、作り上げてきた場所や文化・歴史にも強い関心が向くようになりました。その結果、まず和ろうそくの歴史をたどる旅に出ることになったのです。
■なぜ錦江町なのか?
最後になぜ錦江町なの?というお話です。実は日本におけるハゼロウの発祥は錦江町を含む根占地区だといわれています。この「発祥の地」というのが1つ目の理由です。これが和ろうそくをめぐる旅の初めの発見でした。
「発祥の地」というのは、理由としてすごく強いのですが、実は、錦江町では現在ほとんどハイマケ(ハゼノキの鹿児島での呼び名)を見ることができません。庭先に1本だけ生えていたり、山の中腹に少し残っていたりする程度です。実はこれには大きな原因があります。薩摩藩は19世紀中ごろまでとにかく借金の多い藩であり、特に島津重豪や調所広郷がとった奄美での黒糖に対する苛烈な政策に代表されるように、対外貨幣を稼ぐことができる農作物に対しては非常に厳しい取り締まりをおこなっていました。
ハゼも黒糖ほどではないですが、この地が島津の直轄地であったこともあり、非常に厳しい取り立てが行われていました。ハゼ貯州の専門官を配置し、農民1人9本のハゼノキ作付け義務を設けるなど当時の農家を苦しめました。(収穫時期が他の作物と被る事も負担が大きかった理由でもあるようです)そのため、明治末期に入りハゼロウの需要が冷え込むと同時に強制作付けが終わると、これまでの反動か、ハゼノキをほとんど伐採してしまったのです。これが今日において錦江町周辺でハイマケが見れない大きな理由です。ここまで読むと錦江町で大丈夫なの?という疑問も出るかもしれません。しかし、私としては2つの想いをもってこの地で実現したいと考えています。
1点目。実は錦江町の大根占地区は商圏的に南大隅(錦江町・南大隅町、鹿屋市南部)の中心地としての役割を持っています。そういった場所で伝統工芸の復興を通じてその地域の新しい文化や仕事が創造できないか?あるいはそれを通じてもっとこの地域の魅力を発信できないか!?そして「南大隅の中心地」としての新たしい時代の街づくりができるんじゃないか!(ちょっと話が大きくなりました。すみませんw)しかし、かつて明治維新を支えた要因の1つは薩摩藩の軍事力であり、それを支えたのはこの地で作られたハゼロウで得た資金でもあったはずです。新しい時代の原動力として改めて活用できるのではないか!と思っていたりします。
そしてもう1つ。旧田代町に盤山地区というエリアがあります。この地区は満蒙開拓を断念し帰国したものの、島に戻ることができなった与論島の方が入植・開拓した土地です。この開拓の土地でかつて農家を苦しめたハイマケを改めて育てていくことで、今度は現地の人たちのための新しい火を作りりだし、新しい文化を創り出していけるんじゃないかな!という想いです。余談ですが、とてもよさそうな場所を見つけました。何より田代の空気はとても心地よかった。大体ひとめぼれする質ですが今回も素敵なひとめぼれでしたw
■最後に
錦江町とのご縁は今年の仕掛人市でした。とにかく夕日が綺麗な街というイメージで、一度町の人とお話をしてみたいな。というのがきっかけでした。実際この時点ではまだ具体的なイメージは何もありませんでした。しかし、和ろうそくを追いかける過程でまた錦江町にたどり着くことで一気に具体的なイメージを得ることができました。10月31日からは実際に錦江町を訪問することでイメージの輪郭がさらにクリアになりました。お忙しいなかサポート頂いた皆様に感謝です。乗り越えるべきハードルはまだまだありますが、一歩ずつ歩んでいければ思っております。
2000字ぐらいにまとめる予定でしたが、、、最後まで読んでくださいありがとうございます。また懲りずに書いていこうと思います!
錦江町のみなさんと!!
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