生活がしたい

一人暮らしをはじめたころ、生活が楽しかった。洗濯機を回したり、料理したりといった生きるためにする作業それ自体が楽しかった。
今もその気持ちは変わってない。

が、仕事をしていると、なぜだかそれら生活を構成する営みが、時短でやるべき作業に分類され、効率化の対象になり、忌むべき時間となっていく。
本来、生きることの素地というか、すごくコアな部分を楽しめるって大切だよね。社会が高度化(?)して、各個人が専門的作業により時間を振るべきだからこうなっているのだろうか。子供のころのワクワクを大人になっても 失わないというと馬鹿にされるかな。しかし、人間のコア部分って子供のころにすでに確立しているし、それをないがしろにしていては幸せに離れないと私の心が言っている。

どうあがいたって今の日本で私が、子供を幸せにして、家族を明日の飯の不安なく食っていかせるためには、お金が必要だ。しかし、そのためにどこまで生きるペースを上げないといけないのか?ということはちゃんと考えて、軌道修正が必要な時期に来ている。あげれるだけペースを上げて、考えなしに生きるというのは不幸になる。

どうでもいいが、保険見直すの面倒だが、やらなければ。。。面倒。

自分からのアウトプットをもっと自然にできるようになりたい。呼吸をするように。アウトプットできる人って、それだけで幸せだよなぁ。
自分を出せるコミュニティ があるっていうのはとても幸せなことだ。自分には今それがない。例えば、過去は大学のサークルがそれだったし、学校生活もそれだった。
今は職場では全く出せてない。ずっと取り繕ってその場をしのぐ日々。すごくしんどい。金銭的なコスパだけはいいが、果たしてこんなんで幸せに寄与しているのか。いや、してないことはわかってるんだけどなぜ分切れないのだろう。
→お金の問題やはり 向き合って結論出さないと行動に移せないね。なんとかしよう。

やりたい雇われ仕事なんてきっと存在しない。そう仮定しよう。
そう仮定したときに、では幸せな状態になるにはどういう選択肢をとるのが合理的だろうか。

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