創り手として、ともに生きる

先日、月1で開いている「ともいきcafe」に、
学生時代私も活動していた教育NPOの仲間が訪れてくれました。
私は一緒に活動したことはないけれど、一緒にcafeをやっている相方、あやのんのつながりで知ってくれたようです。

訪れてくれた一つのきっかけは、「生産者でありたい」という想い。
彼女が言うには…

会社員になって、大切な仕事を務めているようには思うけど、
自分は何かを生み出していない。生産者でありたい。

そこで、会社員として働くかたわら、
ある種の生産者・創り手として、cafeの場をつくっているあやのんの元に、
訪れてくれたということです。

彼女の話をきいた後、「創り手として生きること」について、
少し書き留めたくなったので、noteに書いてみる。


創り手として生きる

思い出したのは、1年前に『Creative Calling(クリエイティブ・コーリング)』という本を読んだこと。
コロナ禍の中で、自分の暮らし・生き方・働き方を見つめ直している時、Creative Callingを生きるっていいなと思い、読んでみた。

私たちが仕事や職場の中で、自分らしいクリエイティブな表現を求められることは多くない。仕事の多くは、顧客・組織・上司が求めることに応えるための営みだ。

しかし、人間としてクリエイティブに生きる喜びというのは、
自分の内側に秘められた声・想い・世界観を表現することにある。

残念ながら、私たちの今の暮らしの中心は仕事。
本当はもっと、クリエイティブに生きる時間、創り手として生きる時間を、増やせたらと思っている。

創り手として生きるための、ともいき

ただ、このnoteであってもそうなのだけど、創り手として生きるには、不安や虚無感が伴う。
それは…

自身のクリエイティブな表現が、周囲から拒絶されるのではないか。
誰の心にも届かない、単なる自己満のものではないか。

といった不安・虚無感である。(ここらへんは、以前のnoteで長く書いた)

それを乗り越えて、創り手としての自分を生きるには、
ともいきな場やコミュニティがあるといい。

創り手としての自分に関心を寄せてくれる仲間、
あるいは、クリエイティブな表現の贈り先としての仲間である。

お互いを創り手の存在として育んでいく、
ともいきの輪を大切にしたいと思ったのでした。

おまけ: Creative Callingを生きるための習慣

『Creative Calling(クリエイティブ・コーリング)』の著者 ジャービス・チェイスは、創造的な活動をするときに役に立つ習慣として、以下のようなシェアリングサイクルを回すことを勧めている。


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言われてみれば普通でシンプルだけど、大事だな〜って思う。

※なお大変恐縮なのだが、この本は少し断長なので、そんなにオススメしているわけではない(笑)

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