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日曜日のクルーメイト #0046 Oeufcoque & UBUcoque!!

ハロー、クルーメイト! 2022年3度目の日曜日、いかがお過ごしですか?

冲方にとって、年始は「体調悪化が止まらない」ことが多かったのですが、一つ一つ原因を探っていった成果が実り、今年はすこぶる元気なのです。

すでに連載を二つ片付け、今日から『マルドゥック・アノニマス』の最新話に取りかかる予定。
などと言いつつ、調子に乗ってつまづかぬよう、石橋を叩いて渡る気持ちでおります。

過去に調子を崩したなら、喉元過ぎれば熱さを忘れるのではなく、せっかくしんどい思いを味わったことを活かし、その後の快調の礎としたいもの。
クルーメイトも、健やかで爽快な日曜日をお送り下さい!

では、今週も元気に参りましょう!

ウフコックとウブコックのコラボが実現!

そろそろバナーの衣替えをするため、サミットのマスコットキャラである「ウブコック」を特別に制作して頂きました!

ウフコックのフィギュアのほうは、以前アニメ化された際のグッズです。

UBUcoque

こちらが、冲方サミットのマスコット・キャラの、元デザイン。
イベント時に、少年画報社の担当さんがデザイナーさんと相談して作って下さいました。
「ウブコック」はたまた「ウブエッグ」などと呼ばれております。
イベントではナンバー付きの缶バッジを配布したりしましたね。

後日、背景に最新刊を並べたものなど撮影し、新バナーにする予定。


しかし可愛い。こういうマスコット大好き。
鳥の巣風のカゴに入れてみました。裏側にはハートマークが。可愛い。

ぬくぬくして孵化する気がまったくなさそうです。
UBUKATA TOWをフルネームで入れると立体だと読みづらいため、UBUを顔っぽくあしらって頂きました。

さてさて。
これを機会に、ウフコックについてのあれこれを改めてご紹介。

ウフコックとは、『マルドゥック』シリーズに登場する「心優しく、煮え切らない、万能兵器として生まれたネズミ」の名です。
フルネームはウフコック・ペンティーノ。
ペンティーノは五つの理解行為、目的、論点、仮説、検証、示唆を意味する、名付け親による造語。

「正義とは何か?」「有用性とは?」と、いちいち考え込み、煮え切らない性格のウフコック。ここ数年の連載では、辛く苦しい潜入捜査で地獄巡り状態でしたが、いよいよ彼の「心を嗅ぎ取る力」が、都市に台頭するハンターへと、鋭く向けられんとしております。

ちなみに。
フランス語で、「ウフ(エウフ)Oeuf」が卵の単数形「コックcoque」は卵の殻のこと。英語で言うシェルですね。
なお、Oeufsと複数形になると、「ウ」としか発音しません。字数が増えるほど発音が減るフランス語ならでは。

で。
「Oeuf à la coque」=エウフ・ア・ラ・コッキュで、「殻つき半熟卵」となり、それを縮めたのが「ウフコック」だとか。

冲方がまだ学生で、デビューしたての頃、過去にフランス暮らしをされていたご一家のお宅に居候していた時期が、かれこれ四年半もありました。

ご一家の方々が、朝に出る半熟卵のことを「ウフコック」と呼んでいたのがきっかけで生まれたのが、万能兵器ネズミなのです。
リアルに半熟卵を食べているときに、「ラジオになったり銃になったりする金色のネズミ」が、ぽん、とインスピレーションの泉のどこからか飛び出してきたのを覚えています。

当初、英語の「固ゆで卵=ハードボイルド」と、フランス語の「半熟卵=ウフコック」というキーワードから連想して、大男とネズミのコンビなんていいなあ、とぼんやり考えていたのですが、そこにフィリピンの「殻ゆで雛=バロット」が加わったことで、一つの物語が生まれたという次第。

なお、ウフコックのメンテナンスを担うイースターは「復活祭の卵」から連想しました。
ドクター・イースターは、物語のイメージが生まれたあとで、導入を担うキャラクターとして誕生し、今でも一歩引いたところから全体を眺める役として活躍してくれております。

ところで。
スペルを間違えないよう、Oeufcoqueで検索したら、アニメ版のウフコックがけっこうヒットして嬉しい。

日本アニメを紹介する海外のサイトで掲載されていたりして、半熟卵の逆輸出という感じで嬉しいですね。

そういえば。アニメ版『マルドゥック・スクランブル』が制作された頃、ちょうど『シュヴァリエ』の仕事もしており、フランスで「KAZE」社さんという日本の作品の翻訳をされている出版社の社長さんに、仕事で赴いた旅先でお世話になったりました。
フランス人とイタリア人のハーフで、ダブル・ラテン系でノリノリの若い社長さんでした。

今思うとその頃は、なぜか仕事でもプライベートでも、フランスに行くことが多かったですね。
たまたま、2005年の「大暴動」のときも、そのまっただ中にいたことを今でも覚えています。

いったい何が起こっているのかもわからないまま、交通機関が全て麻痺してしまう中、その日のうちに目的地へ移動せねばならず、焦りまくり。
ホテルのフロントが「大丈夫、大丈夫、いつものことだから、タクシーが来るから大丈夫」と請け合うので、ひたすらロビーで待ちました。

そうしたら、そのフロントは仕事が終わると普通に帰宅してしまい、こちらは完全に待ちぼうけ状態に。頼まれたことを平気で放り出せるメンタル、すごいな、とむしろ感心しました。

その後、なんとか運転手と車を手配してもらいましたが、町中で車が燃え上がる光景に、「フランスはまだ革命の途中なのか」と思わされたものです。

フランスの田舎町のほうは、親切な人ばっかりで楽しく過ごしましたが、パリではけっこう、「区別」と称する差別的な対応をされたりもしました。
黄色人種用の船に乗るよう言われたり。
カフェでコースターを放り投げられたこともありました。アジア人のサーブは嫌だと。
今ではどうか知りませんが、都市部での格差がものすごかった印象です。小学校の裏で、平日の朝から、子どもがカフェでパンを売っている。学校にも行かずに働いているのかと。格差が固定されてしまっているのを感じましたね。
おっと失礼。途中から、完全に昔話の余談になっておりました。
えー、さて。
今週の宣伝に参りたいと思います。

宣伝 連載四誌

先週に引き続き、連載四誌の宣伝です。

『マルドゥック・アノニマス』第40話 SFマガジン
『骨灰』第6話 野性時代
『マイ・リトル・ジェダイ』第3話 別冊文藝春秋
『剣樹抄』第15話 オール讀物

来月には、『マルドゥック・アノニマス』第41回と、『骨灰』第7話をお届けできる予定です!

また今春には、『マルドゥック・アノニマス7』が刊行される予定です!
ぜひお手に取って頂けましたら幸いです!

コメント・トーク

今週は、つい思い出話に字数を振ってしまいましたが、かつてあるモチーフから物語が生まれ、そしてその物語がかれこれ20年近く、読者によって生かされ続けていることには、感謝しかありません。

さて。
先週のお題は、「個性ってどうしたら手に入るの?」でした。
冲方はついぞ悩んだことがないため、クルーメイトにご意見を求めたわけですが、ご回答ありがとうございます!
いろいろなお考えが提示され、冲方も興味深く拝見しております。

それらをご紹介する前に、まずはこちらから!

normal3さんからのコメントです!ありがとうございます!

史料によると義仙さん、当時はまだ20代。
他方で柳生十兵衛はすでに亡くなっており、これは困ったと。
江戸初期のチャンバラ諜報もので、柳生家直系の剣士が一人も出てこないのはどうなのかと思い、何とか義仙さんにご登場頂きたかった次第。

これまでの様々な作品における人物造形としては、ばりばりの悪役であることが多いのですが、どうも冲方としては違うように思えまして。
「いっそこういう描き方をしてみては」と思い切ったところ、すんなり『剣樹抄』の物語に入り込んで来てくれただけでなく、了助の導き手になってくれたので、個人的にはかなり手応えを感じさせられました。

それはともかく、館ひろしさんの義仙、かっこよかったですね!
口調に説得力があるので、短いシーンでも物語を次の段階に進めてしまう。終盤は、最強戦士でしたね。光圀にさりげなく諸国漫遊を勧めるところも、にくい。

そして。そう、歩くって、そうなんですよねえ。
冲方も、「趣味は散歩」でした。プロットを考えていて頭がごちゃごちゃしてくると、すぐさま散歩に出たものです。
思えば、コロナ禍でその習慣が途切れてしまっていたのですが、五体満足に「歩ける」ことの幸運を自覚させるためにも、そろそろ散歩習慣を取り戻したいところ。

また、歩いているときの人間の脳は、いつ何が起こるかわからない状況であるため、机に向かっているときとは違う状態になるそうです。
未知に備えることでバイアスが希薄となり、新たな視点を得やすくなるとか。そのため、作家だけでなく、数学者などにも「散歩は職業的な義務」と言う方もいます。

他方、古くから歩行は心のケアにもなるとされ、『天地明察』でも、ひたすら歩き続ける北極出地の描写をしているだけで清々するものがありました。

了助の歩みは、いずこへ辿り着くのか。
書き手も読み手も、ともに歩みながら、ぜひ、その行方を見届けて頂ければと思います!

Kei.さんからのコメントです!
あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願いいたします。

確かに、「好奇心」は個性そのものと言っていいかもしれません。
その人が備えた五感が、何におのずと反応するのかは、まさに人それぞれ。
また、反応した結果が記憶として蓄積されることで、より好奇心も複雑に、その人ならではのものになっていくのでしょう。

好奇心は、ときに個人の欲求を優先することで、残酷さや独善ともなりますが、それもまた、好奇心こそが強いエネルギーを発揮するトリガーであるからこそ、と言えるでしょう。
人間の良い面も悪い面も、好奇心というものから紐解くのも面白いですね。
ご回答ありがとうございます!

森人さんからのコメントです!
こちらは、模倣から新たなものが生まれる、という学習の基本によって個性が育まれる、という考え。
クリエイティブな活動は、全てそうです。スポーツも学問も、まずは「学ぶにしくはない」のです。

そして個性のもう一つの問題。自覚した自己がどんどん「個性的」になっていくと、当然ながら周囲と隔たってゆきます。
自分は最高に面白いと思って発言しているのに、目の前の人々は、ぽかんとなって白けてしまったり。

別に悪いことではなく、それが人間というものだと思うのですが、そうしてひとたび疎外感を抱いてしまうと、自分が悪いのか、周囲が悪いのかもわからなくなりがち。

やがて「これが自分なのだから何も悪いことはない」と納得した上で、「これが彼・彼女なのだから何も悪いことはない」と他者の個性も受け入れていくことで、より深くお互いを認め合う状態になっていくのだと思います。

疎外は恐れるべきものではなく、ちょっと長い時間をかけて乗り越えるものだと思うことで、本来の個性を迷わず発揮できるようになるのでしょう。
個性を得てのちのことも思案させられるご回答、ありがとうございます!

TSUTAYA円盤予約さんからのコメントです!
こちらは、内省による個性の発見。
どこからどこまで、自分で判断し、感じ、考えたことがらなのか、一つ一つ、他から区別していく。
そうすることで、自分の本来を発見し、その本来にもとづいた目的を設定し直す。

ちょうど、船がある地点へ赴こうとするときの、航路の修正と同じですね。船は、常に海や川の流れの影響を受けてますから、航路がちょっとずつずれてしまう。
激しい波風を受ければ、本来の航路から大きく遠ざけられてしまうこともあります。
そのため、航行する際は、海図とコンパスと速度計で、現在位置と進行方向を確かめ続けねば、広大な海でさまようことになりかねません。

今では誰もが、独自の海図とコンパスと速度計を頼りに、生きねばならない社会になりつつあるのだと思います。
情報化社会がもたらす目に見えない波風の影響を知り、一人一人が本来の航路を見失わず修正し続けることは、これからの時代、個性や個の生活を保つ上で、ますます重要になることでしょう。
これまた示唆に富むご回答、ありがとうございます!

薔薇肉船舶さんからのコメントです!
こちらは、「他人という鏡を通して得る自己」です。
自分で自分を把握するのは限界があるため、多くの人々の視点を頼りにせねばなりません。
イエスマンだけを残して、反対する者を一掃してしまった経営者などは、まあ驚くほど、ろくなことになりませんね。

欠点というのは、まだ何かが未熟な状態であるか、さもなくば偶然その人の何かが、ある集団の中では不利に働いている、ということを示しているのだと思います。
それらを指摘し合うことで、ただ成長するだけでなく、欠点をむしろ長所とみなしてくれる、別の集団に属するきっかけを得ることもできますね。

自分を知るため、まず他者の言い分に耳を傾ける。
様々な感情を刺激されることを恐れてはできないことですが、これまた「自分が自分であることは何も悪いことではない」と思えるよう、時間をかけて乗り越えていくものなのでしょう。
これまた違った角度からの視点、ありがとうございます!

黒井真さんからのコメントです!
こちらは、先人の経験から学ぶことによって得られる個性。
いわゆるロールモデルという、模倣とはちょっと違う、先人の本質的な態度を受け継ぐことで、やがて自分の個性の発揮を得るというもの。

経験は、まさに点と点が結びついたときに有用なものとなるため、より多くの本当に興味がある「点」を、そのつど求めることはとても大事ですね。

ちなみに冲方にとって高校時代のロールモデルは『天地明察』の主人公、渋川春海さんでした。
京生まれの碁打ちであり、ずっと天体観測に興味を持ち、算術が大好きで、勃興する新たな神道の概念に惹かれるなど「大好きなこと」を色々するうち、やがてそれらの点が全てつながって、一つの事業を任されるに至る。

どれも最初は、「ただ好き」であることが、非常に大事なのだと思います。
なぜそれが好きなのか疑いを抱くほどもなく好きだという確信が、強固な土台となるので、その上に何が建とうと、何が起ころうと動じない。
そうした「好き」を、将来つながるであろう「点」として、より多く見つけてゆきたいものです。

これまた本質的な視点をありがとうございます!

今日こそ明日から(とんかつ)さんからのコメントです!
こちらは、自分と他者の違いをあるがまま受け入れるという、きわめて基本的な態度による個性の獲得。

この態度を促してくれるのは、まず家族であり、友人であり、そして社会的な活動をする上での同僚たちということになります。
こうした人々が、「周囲と違っていていい、あなたがあなたであることが大事」というメッセージを送ってくれることが、自信となり、劣等感から守ってくれるのだと思います。
このメッセージが不足してしまうと、周囲と違うことが自分で許せなくなってしまったり、自分を発揮することを恐れるようになるのではないでしょうか。

とはいえ、社会に出ると、たいてい一人で自分を支えねばならなくなるのですが、そうしたときに大切なのは「コントロールは無理」と認めることですね。
メンタルは、「自分が請け負える範囲を超えた何かを押しつけられる」と打撃を受けるので、「どうしようもない」と早々に放り出すに限ります。

たとえ他者から、自分の個性について何かうるさく言われても、「雨が降るのと同じくらいどうしようもないし、どうせそのうち晴れる」くらいに思うのが肝要。

個性を得るとどんな試練を受けるか、わかっていれば怖くはない、という点での示唆、ありがとうございます!

normal3さんからのコメントです!
こちらも、「好き」をあるがまま発見することによる個性のはぐくみ。
つまり個性とは、塩の結晶みたいに、「好き」の濃度が達すると、ころころ生まれてくるものだという考え方で、非常にその通りだと思います。

自分の中に「好き」を溜めることで、何かがいずれ転がり出てくる。
その出てきたものが、とっさに自分で受け入れられないこともあるでしょうし、あまりに過激なものが出てきてしまうと、社会的に攻撃されたり封印されたりしてしまう場合もありますので、ちょっと工夫が必要になります。

とはいえ、この社会は幸いなことに、政治的・宗教的・文化的なタブーがそれほど厳格ではなく、「自分が自分であることは悪いことではない」と基本的には認めてくれますので、自分だけでなく他者も納得してくれるすべを求めることが肝要です。
具体的な「好きの濃度の上げ方」、ありがとうございます!
冲方もそのうち一帯を練り歩きながら好きの濃度を上げたいと思います。

クルーメイトのコメントが面白く、気づいたら7000字近く書いておりました。
大トリは、新条拓那さんからのコメントです!

そう。個性を得るに従い、ただその発揮をするだけでなく、より他者に理解され、よく思ってもらえるための工夫が必要となるのも、社会というもの。
上手く自分を言葉で語れないから、流行の品や、ファッションで補う、という人もいるでしょう。

しかし適切に自分を説明し、表現する努力をすることは、自分と他者の「違い」を、みなが許容できるものとするためにも、大事な行為です。

とりわけ、「何を、どう」話すかは、日常でも仕事でも恋愛でも避けては通れない課題であり、作家にとっては人生そのもの。

とはいえ、いきなり巧みに自分の個性を説明できるはずもありませんので、これまた時間をかけて、模倣を試み、ロールモデルを求め、他者に意見を求めながら、磨き上げていくものでありましょう。
大事な観点をありがとうございます!

あとがき

さすがはクルーメイト。
全てのコメントが、それぞれ異なる視点による指摘であり、まったくかぶっておりません。
ここまで視点が重複しないとは正直思わず、一つ一つ楽しむあまり、びっくりするくらい長文になってしまいました。

これから個性を少しずつ獲得していく方も、得た個性をもてあます方も、多くを受け入れて今の自分に満足されている方も、今の自分の航路を確かめる契機となりましたら幸い。

繰り返しになりますが、多くの示唆をありがとうございます!
またぜひクルーメイトへのお題を出させて頂きたい!

どうか、溌剌と、迷うことなく「好き」に満ちた日曜日を、お送り下さいますよう!
冲方丁でした。

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