課題02.「子供」・「大人」について
あぁ、今日もやってしまった。と午前中のバイトでのミスを思い返しながら、私は三条通り沿いにぽつねんと佇む喫茶店へと向かう。木製の扉を開けると、黒のベストを羽織った年配のマスターが笑顔で迎えてくれる。席に着くが、メニューは手渡されない。その代わりに、「いつものでよろしいでしょうか」と聞かれ、私はそっと頷く。そして、十五分ほどすると、ランチタイム・セットⅡ(紅茶、ホットドッグ、ヨーグルト、フルーツのセット)が運ばれてくる。
大学生になってはや一年が経とうとしているが、自分が大人になったと感じたことはない。未だに親に叱られない日はないし、提出物は期日ギリギリにならないと取り組めない。朝だって一度も時間通りに起きられた試しはない。でも、あの喫茶店の中でだけ、私は「大人」になれる。喫茶店の常連になったってだけなのに? だが、それが私にとっては、なにか認めてもらえたような、「大人」の一員になれたような気がするのだ。(そんな価値観を持っているあたりが、子どもなのかもしれないが。)ここにいる間は、バイトでのどんなミスも忘れて、渋く、落ち着いた雰囲気に酔える。親が吸っているとけむたい有害物質でしかない煙草の煙も、「紫煙を燻らす」なんて昔の人はうまく言ったもんだ、なんて考えてしまうほどに。また、この喫茶店は松竹撮影所が近くにあり、映画全盛期の頃は多くの役者が立ち寄ったらしい。今では周辺の商店街はシャッターの降りた店ばかりで、閑散としている。私は昔を知らないが、紅茶を啜りながらカウンターを見て、当時に思いを馳せたりもする。そんな自分にも酔ってたりなんかして。
珈琲が飲めない私は、カフェではない、喫茶店(・・・)という店に入るのをためらっていた。しかし、バイトの昼休憩に立ち寄れるほかのチェーンの飲食店は混雑していて、一人では入店し辛かった。申し訳なさにも似た気持ちを抱え、緊張しながら始めて入店した時は、まさかマスターに顔を覚えてもらえるとは思ってもいなかった。そして、何度も通っているうちに、大切な場所になった。まだまだ子どもな私が、唯一「大人」になれる場所に。
今度行くときは、いつもの紅茶ではなく、珈琲を飲んでみようか。
振り返り
喫茶店は実在します。マスターが素敵。
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