科学とニセ科学のはなし
可能な限り簡潔に行きましょう。
科学とは何か
※ある程度話を簡単にするため、ここでの科学とは、いわゆる実証科学や経験科学と呼ばれる分野に限定する
自然現象や社会現象の構造、因果関係について、調査・観察・実験などから得られたデータを数理的に解析する事で解明・追究する営み、および、それによって構築された知識の体系。
科学の方法
調査・観察・実験、などによってデータを集める。データは、専用の機器・器具や、質問紙、調査票によって測定される。測る道具・基準などを、尺度と表現する。
尺度によって得られたデータを、数理的(数学的)方法によって解析する。現象の持つ構造を、数学的な構造を当てはめて表現したり、現象の起こりそうな程度を確率論・統計学によって解析する。
データの解析から導いた理論は、その構造の良し悪しを他の研究者などからチェックされ、また、実際の現象の予測や制御などに用いられ、あるいは、技術的に応用されて、妥当である程度を確かめられる。
科学の理論
それによってもっともらしいと認められたものが、いわゆる科学理論として、科学の知見に組み込まれる。
科学の修正可能性と安定
科学の理論や方法は常に、修正・アップデートの可能性を持つ。その意味では絶対と言えるものでは無い。
ただし、物理学の基本法則など、数え切れないくらいテストされ、他の色々の理論の基盤になっているようなものは、極めて強固であって、そこが崩される事はありそうも無い、と考えられている。
ニセ科学とは何か
ニセ科学とは、
科学のような主張や言説であるが、実際の科学の知見からかけ離れているもの
である。
科学のような、とは、既存の科学の用語を用いていたり、そのものずばり、科学的に実証された、などと言っているもの。
ニセ科学は間違っているとは限らない
ニセ科学は、科学で無いという条件を有するものであって、間違っている、と即評価するものでは無い。ここで間違っているとは、成り立たない(成り立っていない)という意味。
ニセ科学なる語はあくまで、知見に似ているが実際の知見とは乖離しているものをそう呼んでいる。可能性としては、実は当たっている主張、という事もありえる。しかし、実は当たっているからといって、それはニセ科学では無い、とはならない。当たっていても、それが科学で確かめられたとは限らないからである。
これは、ニセ科学的主張が、後から成り立っていると確認された場合でも、ニセ科学である(あった)という評価が覆される訳では無い、という事も意味する。
ニセ科学は詐欺とは限らない
ニセ科学は、あくまで主張や言説に対する評価であって、それを用いようとする者の意図は問わない。従って、ニセ科学は詐欺的である、というような見かたは、必ずしも当てはまらない。提唱者は、それが成り立っている、認められるべきものである、と本気で、いわば確信しているかも知れないから。
ニセ科学の特徴、と定義、の違い
しばしば、ニセ科学は詐欺的であるとか(直前で述べた)、それは大きな害をもたらすとか、提唱者は自身を天才だと思っているとか、そのように評される事がある。これは、ニセ科学とされるものと提唱者が有する事のある特徴、といったものであって、ニセ科学は必ずそのような要素を持っている、と考えるようなものでは無い。
科学と非科学
非科学とは単純に、科学で無いもの、の事である。はじめに科学の意味合いを述べたので、それ以外のもの、と考えれば良い。
しばしば、非の字に否定的な意味合いが込められ、また、非科学なる語もネガティブに用いられる場合があるが、ここではそのような価値判断は含めない。ただシンプルに、科学で無いもの、をそう呼ぶ。
科学と非科学の区別、と、科学とニセ科学の区別、は異なる
ニセ科学は、端的に言うと、科学のようで科学で無い、と表現出来る言説・主張。
対して非科学は、直前に書いたように、科学で無いもの。
ここで、科学のようで、の所をたとえば科学風と書けば(科学的、だと、実際の科学の知見に則している、と読めるので、風とする)、ニセ科学とは、
科学風の非科学
とシンプルに表現出来る。
時折、科学哲学などの学問に触れ、科学の線引きは……などの主張がなされる場合があるが、科学と非科学の話をしているのか、科学とニセ科学の話をしているのか、それを区別しなければならない。
ニセ科学は非科学だが非科学はニセ科学とは限らない
ここまでを踏まえると、
ニセ科学であればそれは非科学
と言える(科学で無いという条件が要るから)。が、
非科学はニセ科学であるとは限らない
事も同時に押さえる。たとえば、墓参りは科学では無い(非科学)が、それだけではニセ科学と呼ばれない(科学風で無いから)。
ニセ科学を批判する事と非科学を批判する事
○○はニセ科学である、との指摘は、非科学なのに科学風である、という面を科学の立場から批判しているのであって、単に科学で無いという所を批判しているのでは無い。
科学(的)で無い事それ自体(たとえば、科学の枠内では実証しようの無い宗教的超越的概念・観念など)を批判する場合、それは、ニセ科学を批判する事とは違う。
であるから、ニセ科学を批判する者であっても、もっと広い非科学の範囲に対する姿勢は異なる場合がある。その姿勢を、ニセ科学を批判するというものと同一に捉えるべきでは無い。
ニセ科学の判断に害の程度は関係無い
これはニセ科学か否か、という判断材料として、
この言説によって見込まれる害の程度
を採用するべきでは無い。あくまで、言説・主張の構造が、現在の科学の知見に照らしてどうか、からそれを評価すべきである。
たとえば、これを信ずると、重い病気に対する適切な処置を遅らせてしまう可能性がある、といった科学風の主張があった場合、それを、ニセ科学の程度が強いかのように扱うべきでは無い。
それによって起こる害が大きいと推測される場合は、批判対象として採り上げるという判断の材料として用いられるべきものと考える。
科学と非科学に線引きが出来ないからと言って、科学とニセ科学を区別出来ない訳では無い
科学哲学には、科学とそれ以外に線引きが出来るかどうか、という難問がある。現在の所、このような条件が必要で、その条件がありさえすれば科学である、というような定義を与えるのは難しそう、と考えられている(たとえば、伊勢田『疑似科学と科学の哲学』などを参照)。
けれども、だからといって、科学とそれ以外が全く区別出来ないという事は無いし、その内で科学風なものを云々する事が無意味である、ともならない。
たとえば、いま私が、
相対性理論が誤っている事を理論物理学的に論証した
と主張すれば、その主張は、
・相対性理論は、様々な観測・実験・工学的技術的応用で確かめられている強固な理論である、という事を否定する非科学的主張
・理論物理学的に論証した、という科学風の説明
この二点をもって明らかに、非科学で科学風のもの、すなわちニセ科学であると判断出来る。※出来ないとすれば、どう出来ないか、と考えみてください
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