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『嘘じゃない』とシュレディンガーの猫

はじめに

 令和6年5月23日。記憶を消して最初から見たいと思った作品に出会えたことに感謝。生きてて良かったです。もし何かの理由で死んでたら『嘘じゃない』に出会えなかった。生きててよかった。まだ見てない方は良ければ見て下さい。絶対に後悔しないと思います。嘘じゃない。


※以下ネタバレあり

ネコ

MVの中で出てくるネコ。これは公式にネコと紹介されていますが、エイリアンに侵された後の生物は定義されていません。愛情表現が少し過激で、嘘ニラのことが大好きで、自分を犠牲にしてまでも守ってくれたこの生物は、果たしてかつて愛していた本当のネコなのでしょうか?もしかしたら、エイリアンがネコの脳を喰って擬態しているだけなのかも?本当のネコは殺されていて、なり変わられているだけなのかも?そう思うと、少し気持ち悪いと思う方が多数派でしょう。この不気味さを強調するように、MV前半でネコの殺害シーンが描かれています。この何とも言えない感覚…真っ先に思い浮かんだのはつきひフェニックスでした。そして、シュレディンガーの猫、アスカノ。そして、現実の人間同士の分かり合えなさ。人間関係もそうだし、恋愛だって…。

 偽物語では、この問題をどう捉えていたか覚えていますか?

「偽物であることが悪だと言うなら、その悪は僕が背負います。偽ることが悪いことなら、僕は悪い奴でいいんです」

偽物語(下)/西尾維新  最終話 つきひフェニックス


「だけどな、月火ちゃん。阿良々木月火は生まれたときから──ずっと僕の妹だったんだ。僕の妹で、火憐ちゃんの妹だった。そうじゃなかったときは、ひと時もない。」

偽物語(下)/西尾維新  最終話 つきひフェニックス


作中で書かれているように、「ずっと妹で、そうじゃなかった時が無いならそれは自分の妹に他ならない」ということ。偽ることが悪いことではなくて、観測される事象がどう影響するかが大切なんです。MVでの「ネコのような生物」が本当のネコであるかどうかはどうだっていいんです。嘘ニラにとってネコなら、それはネコに他ならない。美容整形の話にも通じるところがあります。例えば、アスカノの宇垣美里の美容整形の話。昔はブスだったとか、本当はどうでもいいんです(遺伝子の話は置いておいて)。最初から今まで彼氏にとって宇垣美里が宇垣美里であったなら、偽物でも関係ない。本物か偽物か、本当か嘘かを暴こうとしない限り、中身は分からないんです。これは正にシュレディンガーの猫ですよね。(シュレディンガーの猫理論は簡単に言えば、「観測して初めて結果が確定する」「観測していないのならどちらもあり得る重ね合わせの状態として存在する」というもの)MVのネコも、「元のネコが進化したのか、擬態されているのか」を暴こうとしなければ曖昧なままです。なんなら細胞レベルで重ね合わせの状態になっているのかも。つまり本人が「嘘じゃない」って叫んでも実際は区別がつかない。でも、嘘ニラにとってネコなら、それはもうネコなんです。それでいい。


嘘じゃない

 嘘じゃないと人に言う時、「自分は嘘をついていない」と主張する場合が殆どですが、同時に自分自身に対しても「自分は嘘だと思っていない」と再認識する側面もありますよね。今回のMVや歌詞でもこの二つの意味が重ね合わせとして存在していると思います。明らかにネコじゃないがネコのように振る舞うこの生物を、私はネコとして認識する。自分に言い聞かせるように、自分を偽るように、「嘘じゃない」って。そう思いながら歌詞を読んでみると少し伝えたいことが分かる気がします。


残りは「好きでも嫌いなあまのじゃく」を見てから考察します!!!
最高のMVをありがとうございました。関わった方々全てに感謝します。



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