うば丸

楽しい気持ちも悲しい気持ちも全部忘れてしまうから

うば丸

楽しい気持ちも悲しい気持ちも全部忘れてしまうから

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楽しい気持ちも悲しい気持ちも全部忘れてしまうから

noteのプロフィールの自己紹介文を「楽しい気持ちも悲しい気持ちも全部忘れてしまうから」に設定した。 私は感情の変化が激しくて、さっきまでの楽しかった気持ちも、よく分からない腹の底から上がってくる不安感にかき消されてすぐに真っ暗な気分になる。逆に辛いことがあっても、友達と飲みにでも行けば一時的にではあるがすっかり忘れてしまう。過去の自分と現在の自分が、感情の面では分断されている感覚がある。 私は気が向いたときに紙の日記を書いているのだが、過去のものを読み返すときは、そのとき

    • 一人暮らししてダメになりたい

      タイトルの通りである。 一人暮らししてダメになりたい。 一時期二人暮らしもしたけど、そのときは一人暮らししたいなんてこれっぽちも思わなかったから、「実家から離れたい」が正確な表現なのかもしれない。 一人暮らししているときは良い意味でも悪い意味でも自由だった。 いつ食事をとってもいいし、いつ帰ってもいい。 どこに出かけるのか聞かれないし、テレビのチャンネル争いもない。 なんだかそんな生活が懐かしく思えてしまう。 当時は寂しくて死にそうだったのに。 人間ないものねだりである。

      • 忘れるのがずっと怖い

        小さい頃から忘れてしまうことが怖かった。年をとっておばあちゃんになって、いろいろな思い出とかは仕方ないにしても、自分の名前すら分からなくなってしまうのではないかと恐怖を感じていた。 忘れることに対する不安は私が幼稚園生だった頃にはすでに始まっていて、絵を描いたら裏面に描いた日付け、自分の名前をフルネームで書き残していた。大人になって絵を見たときに、いつ描いたか分かるように。自分の名前も忘れてしまっても、見て確認できるように。 段々大人になるにつれて、諦めがつくようにはなっ

        • 私の心の病(?)

          精神科に行って薬をもらってから3か月くらい調子が良かった(ほとんど泣かなかったし、これから書く症状が出なかった)のだけど、おとといくらいから久々に調子が崩れているので、今の心境というか状態について書き残して置こうと思う。 まず、集中力が持たない。 4月になり大学の授業も始まったが、90分座っているのがすごく辛い。 本を読もうとしても数ページで飽きてしまう。 趣味のギターも20分持たない(調子が良ければ3時間は飽きない) インスタ、ツイッターですら私の興味を引きつけておくこと

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          私の髪型の話 前編 ~心に男の子を宿す~

          心に男の子を宿すと言ってもそんな大仰なことではなくて、ただ単に髪を短くする(していた)という話。 一時期、ツーブロックを入れて襟足も刈り上げて男の子みたいな髪型にしていたことがある。なんとなく強くなった気がした。基本的に人にどう思われているか気にしているビビりな自分だったが、そいつは心の隅に追いやられ、新たに「負けないぞ」って気分の自分が誕生した。一体全体何と勝負しているんだ、という疑問は一旦置いておいて、とにかく髪型を男の子に寄せたことで心持ちが変わったのだ。 しかし、

          私の髪型の話 前編 ~心に男の子を宿す~

          「上達したら○○する」って結局いつ?

          文章書くのうまくなったらnote投稿しようとか、絵描くのうまくなったらインスタ投稿しようとか、そういうことばかり考えていると私はいつまでも投稿できなくなるので、考えるのをやめた。 その代わり、そのときそのときのベストを尽くして作るようにしている。 中途半端なものを世に出してしまって申し訳ないような気持ちと、うまくなったとしても永遠に発展途上なのは変わりないでしょ!という開き直った気持ちが渦巻きながら、毎回投稿のボタンを押している。 どこからが人に見せられるレベルで、どこ

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          世の中の理不尽を許す

          頑張っていれば、みんなに愛されると思ってたんだけど、 1)頑張っていて愛される 2)頑張っていて愛されない 3)頑張っていなくて愛される 4)頑張っていなくて愛されない この全部の可能性があるってことがやっと腹に落ちた。 他人の評価は自分がコントロールできるものじゃないって頭では分かっていたけど、心の底から納得できるようになるには時間がかかった。 今までは、「頑張る」という手段を使って「愛される」という目的を達成しようと一生懸命になっていたけど、これが分かってから自分の目

          世の中の理不尽を許す

          めんどくさいことはめんどくさい気持ちが育つ前に仕留める

          こんにちは。 早速ですが、めんどくさいことってたくさんありますよね。 家事、宿題、買い物、などなど、みなさんそれぞれめんどくさいと感じることがあると思います。 今回、私はそんなめんどくさいことを最小限の力で仕留める方法を見つけたので紹介したいと思います。 それは、『めんどくさい気持ちが育つ前に仕留める』です。 気が進まないことって、ついつい始める前から「あぁやだなー」って考えてしまいませんか? 私はよく考えてしまうんですけど、これって考えれば考えるほど嫌な気持ちが育って

          めんどくさいことはめんどくさい気持ちが育つ前に仕留める

          大皿料理取り分けるのって緊張しない??

          自分の目の前に大皿料理が来たときに、これは私が取り分けるべきか!?取り分けるべきだよな!?というような、客観的に見ると小さいけど、私にとっての大問題が発生している。 あー私のところクルトン少なかったーとか、もう少し混ぜてほしかったーとか思わせたらどうしよう!とか考えてしまう。 いやでもこれ、クルトンこれくらいでどう?とかもっとちゃんと混ぜる-?とかちゃんと会話をすればいい話じゃないか。今書きながら気がついた。 大皿取り分け問題は、私の会話をせずに完璧な状態を作りたい性質

          大皿料理取り分けるのって緊張しない??

          精神科の予約をとった

          今まで辛いことがあるとひどく落ち込むことはあったけど、うつ病というほどでもなくて、逆にテンションが高すぎることもあったけど、躁エピソードと呼べるほどのものでもなく、そのほかにも精神由来の辛さを感じる場面が多々あって、自分の精神状態をひとことで言い表すことができればいいのになと思っていた。 最近、心理学を学んでいる友人に「境界性パーソナリティ」について教えてもらって、めちゃくちゃ私っぽい!と思った。ちゃんとしてそうなサイトから診断基準を引用しつつ、私の話をさせてもらおうと思っ

          精神科の予約をとった

          私的に嬉しかった古着屋さんの接客

          先日、洋服好きの友人に勧められて、下北沢にひとりで古着を見に行ってみた。「駅からどう進むと古着屋さんある通りに行ける?」という質問が本当に無意味だったなと感じるほど、駅の周辺には古着屋さんが乱立していた。 「よろしければ鏡もご覧ください」とか、「こちらの商品オススメで~」とか、ド定番の台詞を受け取りながらいくつかの店舗を回った。ちなみに私は服選びのときの接客は大歓迎なタイプである。そもそも知らない人との交流が好きだからわくわくするし、プロというか服が大好きな人から話を聞ける

          私的に嬉しかった古着屋さんの接客

          起きていないことを考えすぎ

          パソコンのキーボードをたぱたぱするのが楽しい。 今日はたぱたぱしたいからnoteを書くといっても過言ではない。 本日のたぱたぱするためのネタは「起きていないことを考えすぎ」です。 誰しも未来のことを考えて不安になったり楽しみになったりすると思うんだけど、私の場合不安になることが多すぎる。 ・これ言ったら嫌われるかな ・レポートうまく書けないかもしれない ・テストで合格点に届かなかったらどうしよう ・電車乗り遅れたら困るな ・病気になったらどうしよう … 挙げ出せばキリが

          起きていないことを考えすぎ

          心がどっか行っちゃった

          前兆は確かにありました。もともと苦手な内省がいつも以上にできなくなった、いつもなら踏ん張れそうなところを踏ん張れなくなった、よく泣く、多分ほかにもある。そういうのを薄々感じつつ放置しておいた結果がこれです。 気がついたのは昨日です。私の感覚的には心は心臓のあたりに存在しておりまして、何かあったときは意識のなかの私がうつむいて胸をのぞき込むんですね。いつもならそこに、「楽しい!」とか「悲しい!」とか「辛い!」とかって感情がごちゃ混ぜになって詰まってるんですけど、昨日見てみると

          心がどっか行っちゃった

          人前で泣ける人はいいよね

          辛くなったときに、その気持ちを打ち明けられる相手は限られてくる。辛い気持ちが強ければ強いほど、その言いにくさは増す。 気持ちを打ち明けてしまうと、相手にもそれを背負わせてしまう。相手が僕の気持ちを重い、受け入れられないと判断すれば、案外簡単に見捨てられてしまう。見捨てられはしなくとも「考えすぎだよ」、「大丈夫だよ」と軽率に励まされ、大丈夫じゃないんだよとさらに凹むこともしばしば。 本気で弱っている姿は人に見せられない。文字として表出する僕は、最低限の身だしなみを整えた僕だ

          人前で泣ける人はいいよね

          「好き」と「うまい」は関係なくて良い

          私、3歳から中1まで、だから10年くらいですかね。ピアノを習っていたんです。でも練習が嫌いで嫌いで、ほとんど上達しなかったんですね。ピアノを弾くのは週に1回のレッスンの時間だけ、みたいな状態で。先生は優しい人で、練習しておいでねとはしょっちゅう言われてましたけど、それを怒ったりはしなくて。でも、自分では練習してないくせに上手になりたくて、できないと目に涙をいっぱい溜めてたりしていました。今考えると馬鹿な話です。練習しないから上達しないっていう当然の帰結が分からないんですかね。

          「好き」と「うまい」は関係なくて良い

          無防備な生活感

          たとえば夕方の住宅街を自転車で走る。カーテンを閉める瞬間が目に入る。どこからともなく、夕飯の匂いがしてくる。家の中から子どもたちの声が漏れてくる。 こういうものに触れたとき、よく分からない安心感にも似た温かい感情が湧いてくる。 他人の家族や生活の一端が見えるのが良いのかと思ったが、ファミレスでよその家族を見ても、スーパーで買い物をしている人を見てもなんとも思わない。 自分は一体なにに心惹かれているのかなぁと頭のすみっこで考えていたら、最近自分がなにに反応してるのか気がつ

          無防備な生活感