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“TINY TURN”東京公演

2021年7月1日はサンダルテレフォンの“TINY TURN”東京公演でO-WESTに行ってきた。丁寧に作り込まれたステージだった。

この日の場内SEはDJによるプレイだった。ワンマンとはいえ、O-WESTの規模でDJが場内SEを鳴らしているのを初めて見た。選曲はダルフォンが意識する90年代~00年代のヒット曲で、Wink、SPEEDの楽曲に混じって、「シンクロナイズド・ラヴ」(武富士のCM曲)が流れていたのが面白かった。

ダルフォンの楽曲群を勝手にワンワードで表現するなら「ネオ平成」と名付けると思う。90年代~00年代のポップスを今風のダンスサウンドに進化させた曲が中心だからだ。流行から半周遅れたような曲をカッコイイサウンドに乗せて、半径5メートル以内の心情を綴った歌詞を重ねる。そこには令和に至らなかった独自の世界線が続いているように思える。そんなダルフォンのフロアにはアイドルファンの中核をなす30代~40代の男性のほかに、20代と思しきファンや女性も結構いた。狙った層にコンテンツを綺麗に刺しているのは見事だ。

この日のステージは狂気すら感じるほどに入念に練り上げられたものだった。ステージ上に置かれた特注の照明は時にディスコのような色どりでステージとフロアを飾っていた。音はファンキーなベース音の上にパキっとしたフロントが乗っていたが、あくまで主役は歌に置かれていて、音としてのボーカルを常時しっかりと届けていた。まるで演出家から厳密にそう指示されているかのように。
ステージはブロックごとに何を届けようとしているのかが明確だったが、逆にMCはメンバーに任せているように見えた。ここまで作りこんでいるのにMCの台本は書かないのかな?しかもサイコロゲームにコオロギ煎餅か…そう思ったくらいだが、実演パートが精緻に作られているだけに、あえて隙を見せているようにも見えた。

曲は「碧い鏡」が最も良かった。おそらくこのツアーのハイライトだと思う。この曲は音も少し派手めに再生されていて、落ちサビ前後のベースの余韻が美しかった。そして、横向きのままリズミカルなイントロに合わせてダイナミックに腕をぐるぐると回す小町まいさんのムーヴが非常に印象的だった。この日は彼女の生誕祭でもあったが、そうでなくとも主役は彼女だったと思う。

ダルフォンを初めて見たのは昨年11月10日の新宿Loftだった。その時感じたことはただ一つ。この子(まいさん)はなぜここで踊っているのだろう?それだけだった。そう感じるほどに、その日の全出演者の中でも突出したパフォーマンスを見せてくれた。

前回ダルフォンを見たのは先月11日のCUTUP STUDIOだった。あの日気付いたこと。それはダルフォンが歌割りをまいさんとナツさんに集中させていることだった。器用で少し低いまいさんの声に、飛び道具のように特徴的で太めのナツさんの歌声が絡む。ほとんどがその2人のコンビネーションで成り立っていて、その構成は往年のSPEEDを想起させた。ただ、それをライブアイドルでやるのはマネジメント的にもビジネス的にも冒険だと思った。リスク分散ができず、かといって物販が主要な収入源になるので期待できるリターンは限られているように見えたからだ。それがその日の感想だった。

翻って7月1日。この日のオーラスはフリルがかわいい衣装で歌う「Step by Step」だった。初めてダルフォンの単独ライブに参加し、まとまった時間パフォーマンスを見て、最後にかかったこの曲を聴いている時になぜか唐突に理解した。

このグループはツートップではない。
小町まいのワントップだ、と。

長身で整った小顔という天賦の才。両手両足を大きく振って生み出す独特のリズムに、そのダンス。落ち着いた声で奏でる変幻自在の歌は音を出すだけで艶やかだ。そして、パフォーマンス中に滲み出る圧倒的な華。

ダルフォンは彼女の才能に惚れた者が、全てのリスクを背負って彼女のために作り上げたグループだと。このグループは世界観、楽曲、衣装、演出、ストーリー展開。そして、他のメンバーの配置と役割すら全て彼女のために作られている。それがその日感じたことだ。

成功の定義は人それぞれだと思う。しかし、このグループに関してはおそらく一つしかない。メジャーコンテンツ化によるビジネス規模の拡大とリターンである効用の確保。しかもその過程には常に前に進んでいる実感が必要だ。それだけがこのチームを幸福に導くことができる。だが、素人の目線で考えると、その道は不可能ではないがひどくか細い。あれだけのステージを作る運営にそれが分からないはずがない。そう思う一方で、それを意図的に見ないようにしているか、素敵なことにもしかしたら見えなくなっているのかもしれない、とも思った。

ライブアイドルを見ていると、たまに強烈な光を放つ才能に出くわすことがある。彼女たちが見せる才能の種類は様々で、放つ光は時期によってあるいは日によって濃淡がある。ただ、彼女たちが束の間の時間、女王のようにステージを統べている姿を見て頭に浮かぶことは共通している。この日の小町まいさんを見ても同じことを考えた。

どうか幸せな人生を歩んで欲しい。

努力だけではたどり着けない、眩いばかりの天賦の才(=ギフト)を目にして考えることは、意外にもそういう普通のことだったりする。
きっと歳をとったのだろう。

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