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私の「研究者」的な作文のこと

私は「愛と知性の作文屋」を名乗ることがあります。(*1)

これは主に二次創作小説を書くことを、そして時には、そうでない書き物も、指しています。このたび、私の二次創作小説を書く営みと、それ以外の書き物との間に、その種類の違いを超えて通じるものがあるなと思いました。その記録のための記事です。

課題解決に関する記録

私は課題を発見し、チャレンジし、解決することがあります。その顛末を文章にして公開しておくことも、ままあります。文章には色々な形があります。ブログ、note、小説、スライドetc。

例えば……(例が3つ続くので適当に飛ばしてください)

1) 刀ミュのメインビジュアルに書いてあったくずし字を解読した時の話(あれは「和歌」じゃなかったな……と数年後に気づいたんですがタイトルを変えていない)。

2) 楽しい冬季休暇のためにスタンプカードを導入する話。

3) 推しの第二形態を受け入れるまでのスライド。

他に、ここには貼りませんが、食事会を主催した時の話(*2)とか、推しの第二形態の心理的需要に関連する小説とかも作って公開しています。

「研究者」的ムーブとしての作文


これらの「課題解決に関する作文」は、書き物の媒体・形態は異なりますが、いずれも

「困る」

「考える」

「試す」

「うまくいく」

「記録する」

というステップを辿っています。(*3)

これは私の「研究者」的なムーブなのかもしれない、と思いました。

「研究者」って何だと思っているのか

「研究者」というのが何か、というのは諸説あるかと思いますが(諸説ある?)、私が思っている「研究者」を。
研究者は、課題を見つけて、仮説を立てて、(科学的手法で)検証して、その結果を論文にして公開する人……と思っています。だいたい。

それなので、知見を書き残して他人が読めるようにしておくのは、研究者が論文を書く営みみたいだな、と思ったのでした。

私は自分の課題やその解決が、「大勢の役に立つのか」とか「社会的に意味があるのか」とか、あんまり考えません。多くの研究者は自らの研究の意義について考えるのかもしれないですが(考えない研究者もいるかもしれません。私はその是非については触れません)。
けれど、少なくとも私自身が、後で読み返したときに役に立つ。そう思ってやっています。(*4)(*5)

作文を読んでもらう時のこと

書き物の媒体を問わず、私の書き物の一部は、そのように「知見の記録・公開」のために行われています。(*6)

「困る」→「考える」→「試す」→「うまくいく」のステップまで進めた時点で、私の課題は解決しているのです。作文はその後に行われます。まさに「作文」的な行為です(「作文」ってなんだよという感じですが、ここで私が言っているのは、「伝えたいことを正確に伝えるために文章を組み立てて書くこと」、くらいの意味)。
公開した後、自分で読み返して、「そうそう、こういう時にはこうするといいんだった」と思えれば、それでいいのです。(*7)

それらの作文が誰か他の人の役に立てたら、望外の喜びだなあと思います。書いた記事を誰かが引用してくださったり、実際にやってみたりしてくださったりするのは、本当に嬉しいことです。ありがとうございます。

もしくは、それが二次創作小説だったら、「わかる」と思ってもらったり、「私が気になっていたことが解消された」と思ってもらったりするのは、とても嬉しいことです。(それ以外の感情を抱かれることを妨げたり、否定したりするものではありません!!)

課題を解決し、記録し、おすそわけをする文系魔女

この記事を書いていて思ったこと:課題を解決し、記録することで、自分の(または他人の)役に立つ営み。それは私の言う「文系魔女」そのものの動きだなあ、と思いました。サイエンティフィックに(または客観的に)、ちょっとファンタジックに(または主観的に)、そしてリリカルに、なにかをなんとかしてくれる人。(*8)

そういう意味でも、「愛と知性の作文屋」って、ファンタジック・サイエンティフィック・リリカルの三本立てだから(*9)、「文系魔女」のバリエーションの一つなんだなあ。ふーん。
「愉快で聡明な文系魔女」も好きなワードなんですが、一新された「愛と知性の作文屋」も好きです。だいたい同じことを言っているが。

作文の

この間作って気に入った図

脚注

*1)Twitterのbio欄とかで。
*2)結婚披露宴的なやつ。
*3)「試す」の有無は、課題解決方法によって異なります。思考のみによって解決するなどの場合には、このステップはなくなります。
*4)すぐ記憶をなくし、何度も同じことに困るので、解決の記録をWeb上に置いておくと本当に助かるのである。
*5) 二次創作小説に限定して言うと、「需要のある作品、大勢に愛される作品を書く」ことに関心があるわけではなく、「とにかく自分の性癖を刺して気持ちよくなりたい」みたいな感じになります。自分で自分のツボを押しても気持ちいいんですか? 気持ちいいんですよ! 他人に押してもらっても気持ちいいですけど! あと他人に渡す作品を作る時には人のことを考えて書きます。
*6) そうではない作文もあります。私怨を焼き払うための小説とか。
*7)ただ、一部の二次創作小説は、「小説を書く」行為そのものが課題解決の手法として選択されている場合があります。ややこしいな。
*8) 思うんですけど、リリカルに何かをするには、他人の感情について詳しくないと、たぶん不十分になってしまうんですよね。「こう書いたら、どう伝わるのか」を考えないといけない。そのためには「言葉の正しさ」も大事なのだけれど、それだけではなくて、読み手の気持ちを考えないといけない部分がある。言葉の辞書的な正確さや校正・校閲を通しての整文も必要だし、人の感性に思いを致すことも必要。
*9) ここで言う「ファンタジック」は「主観的な満足をもたらす」くらいの意味で、「愛」に対応されています。どうなの?

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