刀ミュつはものどもがゆめのあと 感想

注:本記事は、pixivに投稿した記事を、note用に加筆修正したものです。

覚えていることをとにかくメモしています。記憶と感想と入り混じり。
全部ネタバレです。

観劇情報

日時:2017年11月4日(初日)
場所:TOKYO DOME CITY HALL

会場

初めてのTDC(TOKYO DOME CITY HALL)でした。
第1バルコニーL1扉最前列。かなり舞台に近い。足元がすぐアリーナ端の通路でそわそわする。手すりがフェンスみたいな荒さの目の網なので、短いスカートは避けた方がよさそう。私はマフラーを膝に垂らしてしのいだ。
見え方。舞台上の役者さんを自然な位置から見下ろせる。首を回さなくて良い。見やすい。ファンサもアリーナからもバルコニーからももらえる。
上手側から出てくるものがよく見える。
下手側は、スピーカーが舞台に被ってしまって少し見切れる。モニターにマッピングされる文字がたまに読めない。

アリーナは、2列ごとに15センチくらいの段差があるよう。ライト、センター、レフト、の3ブロックになっていた。

あると良さそうな背景知識

【過去作品】
阿津賀志山異聞…五百回見てきてほしい。
幕末天狼傳…和泉守の俳句ネタが出てくる。
三百年の子守唄…髭膝にライブの手ほどきをしたのは石切丸とのこと。髭「彼はすごいね、普段はのんびりしているのに……踊るとなると、見違えるように素早いんだ(素早いえおえおあ)」

【芝居】
小鍛冶
謡曲「五条橋」? 牛若丸と弁慶の出会い
義経千本桜
勧進帳

【戦など】
源頼朝は、父親が平家に討たれて伊豆に流されていた。そこから挙兵、源義経も合流して平家を討伐。父親の仇を討ち、鎌倉幕府を開く。

- 富士川(頼朝と義経の対面)
- 一ノ谷
- 那須与一の扇的当て(上手から船が出てくる)
- 屋島
- 壇ノ浦(船を飛び回る)
- 奥州合戦(泰衡vs義経)

あらすじ

!!全部うろ覚えです!!

審神者の前で能「小鍛冶」を舞う小狐丸。自分に舞を所望するのは気がかりのある時だ、何かあったのか、と問う。
審神者は髭切と膝丸が本丸に加わったことを告げ、自分が今剣を案じていることを伝える。小狐丸は今剣を見守ることを了承する。

今剣と岩融は、義経公の出てくる物語の芝居の稽古をしている。五条大橋の場面。とても楽しそう。岩融は、お芝居であっても、勧進帳で今剣を打ち据えることができない。
2振は髭切と膝丸に対面する。今剣は礼儀正しく名乗るが、岩融は必要以上に喋ろうとせず、今剣と去っていく。

三日月、小狐丸、髭切、膝丸が対面し、マイペースな三日月と髭切は気が合うと言って盛り上がる。三日月は小狐丸を「全体をよく見ている」とやたらに持ち上げる。

髭切・膝丸は審神者に呼ばれ、二つの密命を受ける。ひとつは三日月宗近について。内容はここでは明らかにならない。

今剣は「名残月」を歌う。
聞いていた三日月宗近は「岩融の歌は苦悩に満ちていた。今剣のものは、遠くの者への思慕がある。義経公のことか。会いたいか」と問う。今剣は、義経公には会わない方がいいと答える。義経公に会うのは歴史が変えられそうな時だから、そんな時は来ない方が良いと。

髭膝に与えられた密命の一つは、三日月宗近を見張ること(らしい)と明らかになる。膝丸は、三日月に別段不審な点はないと、審神者の意図を不審がる。
立ち聞きしていた小狐丸は、三日月に審神者への叛意があるのではないかと怪しむ。(どこかのシーンで、本人にそれを伝え、もし叛意があれば私があなたを斬る、と言っている)

6振が集められ、審神者より平安末期から鎌倉初期への出陣を命じられる
布陣に異議を唱える小狐丸と岩融。小狐丸は顕現したばかりの髭膝を案じ、岩融も同調する。今剣は「岩融も顕現したてで阿津賀志山に向かった」と言い、最終的に皆編成に了承。
今剣は、義経公の守り刀として歴史を守りたいと、隊長を務める。

頼朝と義経が出会う前の時代にやってきた6振。
千年も刀をやっていると、大概のことはどうでもよくなると話す髭切。三日月は「ここにいるものはすべて千年生きているぞ」と言い、小狐丸と岩融は表情を曇らせる。
敵の狙いは鎌倉幕府の成立を阻止することだろうが、狙われるのが頼朝か義経かわからない。
二手に分かれることになり、三日月宗近は今剣・膝丸・三日月、岩融・髭切・小狐丸を提案。小狐丸は分け方の理由を問う。三日月は「こういうのもある」と、小狐丸を自身と髭切で挟み、首肯させる。岩融も不服なようだが、今剣組は義経を、岩融組は頼朝を守ることに。
いわゆる出陣ソングは無し。

義経は奥州藤原家に身を寄せているが、挙兵しようとする。泰衡は付いて行きたがるが、義経は「いずれ平泉に戻る」と言って別れを決める。

(このあたりは特に順番が曖昧)
三日月宗近は泰衡に接触。蓮の花を渡そうとして拒否される。「友であった」みたいなことを言っていた気がする。

膝丸は、今剣が義経の刀だったことが腑に落ちない風だが、何も言わない。

岩融は、髭切に「自分の存在について考えたことはあるか」と問う。髭切は「昔のことは曖昧だけれど、今ここにいるからいいじゃないか」と答える。

岩融は、髭膝に、今剣を傷つけないでほしいと頼む。
岩融は「自分」の実在を疑っていると話す。阿津賀志山で弁慶が持っていたのが「岩融」ではなかったこと、自分に膝丸の記憶がないことを根拠にあげる。
髭膝は、今剣を傷つけようとは思っていないこと、審神者も今剣を案じており、自分たちは今剣を見守るよう「密命」を受けていたことを告げる(膝丸は慌てる)。
岩融は、自分が確かに武蔵坊弁慶の刀であった、その記憶は確かだと言い、豪快に笑う。髭膝も「やっと調子が戻った」と喜ぶ。岩融は2振に感謝する。

膝丸もまた「自分の実在を不安に思う」と兄に告げるが、髭切はやはり「今ここにいるから、いいじゃないか」と首をかしげる。

6振によって歴史が守られ、正しく繰り広げられる源平合戦。義経は勝ち進み、ついに壇ノ浦で平家を破る。
父の仇を討ったことを喜ぶが、鎌倉から手紙が届き、頼朝が「鎌倉に入るな」と言っていることを知る。深く悲しむ義経。
山伏に扮して奥州へ進む2人の前に時間遡行軍がやって来る。追い払う今剣と岩融。
今剣は義経に名を問われ、まっすぐに「名乗る名など、ありません」と答える。義経は「そうか。私も今は名乗れない。また相見えたら、互いに名乗り合おう」と言う。気が気でない岩融をよそに「はい」と答える今剣。
弁慶は岩融に「筋がいいな。誰に習った」と問う。「前の主が強くてな」「そうか。良い主だ」「ああ」(会場が啜り泣く)

三日月と岩融が向き合う。三日月は岩融の、今剣を悲しませまいと、実在していないと知らせまいとする優しさに対して「優しさにも色々ある。今剣はお前が思うよりも大人だぞ。『今剣が傷つく』と思っているのは『お前』だ」と説く。岩融は、自分こそが子どもだったと気がつく。
三日月は勧進帳の場面を岩融に見せる。弁慶は見事に勧進帳を読み上げ、迫真の憎しみをもって義経を打ち据える。
三日月は、主を打ち据える弁慶も、打ち据えられる義経も、通してやる者も、皆優しいと言う。

髭切の記憶が乱れる。頭の中に、三日月の声が響く。
次のシーンで、三日月が頼朝に歴史について伝えているセリフそのままである。

頼朝は、人が変わったように、義経を討つよう奥州藤原氏に迫っていた。
小狐丸は、頼朝は実は三日月に唆されており、本心では義経を殺したくないと思っていることを知る。また、頼朝が持っている太刀が髭切であることに気付く。

小狐丸は三日月宗近が頼朝に干渉しているのを知り、三日月への怒りをあらわにする。主命に背いている、それでは歴史修正主義者と何も変わらないとし、刀を抜けと迫る。三日月は「俺たちは本当に正反対だ」「審神者に従うだけのお前が羨ましい」のようなことを言い、小狐丸はいきり立つ。お互いに「自分は歴史を守ろうとしているのだ」と言い合う。
互いに傷を負っていく2振を止めたのは髭切だった。「目標は同じなんだろう。争う意味がないよ」
髭切は三日月の気持ちになって考えてみたと言い「考えたら、簡単だったよ」「これは芝居だよ。僕を三日月だと思って」と小狐丸に、自分に疑問を問うてみろと言う。
諦めたように静かに腰掛けている三日月。
髭切は「三日月宗近」と名乗りを上げ、三日月らしく袖を扱う仕草をする。小狐丸がやっと「三日月」と呼びかけると、三日月宗近らしく返答。
小狐丸は「なぜそんなことをした」と髭切に問い、髭切は答える。おそらく三日月の思いを正確に。
"三日月宗近は確かに現存している。だから、存在の確かなものに感情移入してしまう"と。
狐「主はご存知なのですか」髭「知らなくていい。俺が勝手にやったことだ」
追加でやり取りがあり、ついに三日月が「もうやめよう」と声を上げる。髭切は「君がそう望むなら」と役から戻る。
三日月は、歴史は流れる水のようなもので、形はないと話す。

奥州合戦にて、三日月は、義経を守ろうとする泰衡に、義経を討てと伝える
「花の台(うてな)」の歌を歌い、共に蓮の花を何度も愛でた、と言う。泰衡は覚えていない。「そうだろうな」と三日月は苦く笑う。
泰衡は、後の世の奥州に思いを馳せ、三日月は「この黄金の都は後世に残る」と告げる。泰衡は三日月に今生の別れを告げる。

義経たちは奥州に到着。阿津賀志山異聞同様、義経に襲いかかる泰衡。時間遡行軍も入り乱れる。三日月は、「思いを残すな」と、今剣を義経に会わせた。
自刃しようとする義経に、今剣は声をかける。義経は「また会ったら名乗ろうと言っていたな」と言い、今剣はついに「いまのつるぎ」と名乗る。「良い名だな」と笑う義経。「ききおぼえが、ありませんか」と問う今剣に、義経は「ない」と返す
三日月たちが合流。三日月は義経に「逃げろ」と言う。逃げて、生き延びろと。客席を駆けて去る2人。めちゃめちゃ泣いてる会場。

今剣は「自分が存在しないのではないか」と薄々気づき、審神者に修行を申し出る
今剣が本丸を去り、岩融は堂々と悲しむ。だが帰って来た強い今剣に会うのが楽しみだと言う。旅支度を整え、笠の緒を結んで本丸を去る今剣。泣く会場。

小狐丸は「私たちのありようは随分違う」と三日月に話しかける。三日月は小狐丸に茶菓子を勧め、2振は並んで菓子を口にする。

再度審神者に向き合う髭膝。三日月宗近も、今剣も、大丈夫そうだと報告する。

キャラクターの感想

【刀剣男士】
●三日月宗近(黒羽麻璃央)
何を考えているのか最後までわからず、底知れぬ恐ろしさがあった! ステちかにも通じる威厳がある。
石切丸といい、三条の連中は一人で抱え過ぎでは。

これまで、何度も何度も泰衡や頼朝と話すことで、歴史を守ろうとしてきたらしい。
この6振の中で三日月宗近だけが「確かな存在」で、頼朝や泰衡のような「証ある」ものに「感情移入してしまう」(髭切)。
証あるものを、証のままに残すことに心を払っているよう。
その分、現存の怪しいもの(義経や弁慶)は、ありうる解釈の中で、流れる水のように、その時々で方向性を変えるやり方を取ってきたよう。今回は死なずに逃すルートを。

「おれはたかが、三日月だ。満月じゃない、か細いものだ。でも、そんなかすかな光だって、ないよりマシだとは思わないか」
……髭切の三日月(空の月の方)に対する言及を鑑みるに「後世に残される歴史はほんの一部でしかない。大半は闇に沈んでいる。でも、物語が一部分でも残っているからこそ、後の者が何とでも解釈できる」なんて読んでしまう。
幕末天狼傳で蜂須賀が「歴史の流れは大きな川のようなものだ。小さな長れは歴史解釈のうちに収まる」と言って、大和守を新選組に入隊させた。これもまた、三日月の闇部分。

小狐丸に茶菓子という賄賂を渡し、馬当番をサボろうとする。お茶目かわいい。
頼朝・義経で二手に分かれるとき、小狐丸が「なぜ三日月殿はそちらなのですか」(私を警戒しているのか)と問うと「小狐丸、お主まさか……」と言い会場を沸かせてごまかす。
ごまかしかたが老獪。
髭切とのマイペースコンビもかわいい。
歌がやはりとても上手い。


●小狐丸(北園 涼)
今回で小狐丸大好きになった。

正直、私には、阿津賀志山異聞までの小狐丸は「小狐丸の格好をした役者さん」に見えていた。だけど公開前のキャストブログを読んで、気合いに震えた。気迫が違った。驚いた。
ananの写真も「小狐丸だ」と思ったし、パンフレットもそう。これはすごいぞ、と思っていた。

それで!
幕が上がって、まず「小鍛冶」から入ると思わなかった!!
彼の誕生シーンではないですか。10秒で泣いた。実は彼は私の元一軍なのです。

彼の芯にあるのは「ぬしさまの命を守る」こと。「小鍛冶」も「刀をうつこと」が目的で、狐さんはしっかりその役割を果たすしなあ、なんて思った。
小狐丸もまた物語の産物で、実在は曖昧。でも「今のぬしさま」は揺るぎない実在だから、彼は揺るぎない。その盤石ゆえに、今剣をきちんと守ろうと、あちこちに気を払うことができるし、同じ三条の三日月と剣を交えることもいとわない。
なんて真っ直ぐなんだろう……。

最後三日月と茶菓子食べて仲直りするのが、三百年の石切丸と青江を思い出して尊かった。

全体を通して小狐丸ってキャラクターが掘り下げられていて、真摯で忠実な彼がよく見えて、大好きになった。
いつか能「小鍛冶」見に行きたい。

殺陣の蹴りがキレを増していた。体型も引き締まったように思う。
すごい段数を飛び降りてくる場面があった。
二部の和風ソロ本当格好良かった!! 第三形態のヘソチラはなくなっていた。

●岩融(佐伯大地)
岩融自身、自分は実在しないんじゃないかという不安に苛まれながら、守りたい存在である今剣が傷つかないよう色々と考える。
三日月に言わせればそれは「優しさ」の一側面でしかない。相手を傷付ける「優しさ」もある。そもそも相手が「傷つくかもしれない」と思っているのは自分であって、相手が本当に傷つくかどうかはわからない。
岩融は、実在のいかんに関わらず、今自分にある記憶は信じられる、という態度を選んだよう。
だからこそ勧進帳の場面の後に弁慶と会話した時、落ち着いていられたんじゃないか。

刀剣男士にプリセットされている「記憶」は何なんだろう。それは人々が物語に描いてきた部分だけなんだろう。「弁慶は岩融という大薙刀を振るっていた」それだけが岩融を形作っているのではないだろうか。

今剣が修行に行く時、髭膝に挟まれて
「寂しいかい」
「寂しいぞ!!!」
「泣いているかい」
「泣いているッ!!! だが、帰ってきて強くなったあやつと会うのが、楽しみだ!!」って言うのがすごく豪快で岩融らしくて素敵だった。

2部ではダンスがよりハキハキした感じになった。
今剣とのデュエットで、すごい楽しそうにお酒飲んでる。

●今剣(大平峻也)
出だしから、阿津賀志山のときよりも随分大人になったな、と思っていた。話し方が落ち着いて、丁寧になっている。修行後かと思った。
三日月に「義経に会いたいか」と言われても、「歴史を守るのが使命である」「自分は本丸の一員である」という立場に基づいて冷静に答えられている。

また義経の時代に飛ぶと知って、自ら隊長を務めたいと申し出る彼に、阿津賀志山の時の無邪気な喜びは一つもない。
あの経験を、ちゃんと噛み砕いている。

彼はちゃんと大人になっているんだ。だから自分が実在しないことに気づいても、修行に出たいと申し出られたんだろう。

五条大橋の芝居のシーン、被衣がとっても美しかった。
刀剣乱舞の一人ずつの見せ場でも、スクリーンに映る今剣、美刃だった……。

2部の赤ブーツ、ずるい、かわいい。
ファンサの時に「見えてますよ」って言いたげに目に輪っかを当ててくれる。可愛すぎる。

ちなみにうちで最初に修行に出たのは今剣でした(次が小夜)。胸が熱い。
ゲーム岩融の見送りセリフが「あやつにはあやつの物語がある」なのも、改めてぐっとくるよね。

●髭切(三浦宏規)
ふわっとしたお兄さん。美しい。立っている時の、脚の独特な曲線が完全に兄者。
殺陣でひらめくジャケットが奇跡の造形。肩から落ちない。
刀剣乱舞の一人ずつの見せ場の殺陣の「その腕貰った!」が狂気をはらんでいて最高だった。
膝丸を「ピザ丸」とか「肘丸」とか言わないでくれて、いつもただ忘れていてくれて、本当に本当にありがとう。そして最後ちゃんと呼んでくれてありがとう……。

一番記憶に残ったセリフが、審神者に呼ばれていると聞いた時の「それは、行かなければならないのだろうね」。「行かなくちゃね」でも「行かないとなのかな」でもなくて! らしいなと思って!!

作中では、三日月宗近の代弁者。
頼朝が髭切を帯刀してたのがポイント。三日月が頼朝にかけたちょっかいは、髭切の記憶に上書きされ、刀剣男士としての髭切の記憶も書き換わるよう。
三日月に言わせると、頼朝が帯刀しているのは髭切でないときもあるので、油断していたらしい。髭切はただ「そうか、僕も曖昧な存在なんだね」と悲しみなく答える。

膝丸と共に空の月を見上げて、「三日月の欠けたところも、月なのかな。それならその光は、どこを照らしているのかな。それとも、本当にただの闇なのかな」と呟く。
その後膝丸に「三日月の欠けたところも、ちゃんと月だったよ」と言う(膝丸は「兄者は時に、わからぬことを言う……」と首をひねる)。
きっと「自分たちにはわからない歴史も、また存在する歴史だ」ということ。

密命をすぐばらしてしまう。

2部ではしょっちゅうバレエの振りを入れてきて私は撃沈した。脚の上がり具合が(殺陣の時点でだけど)すっごいの。こう横向きに飛び上がってクルクルするの。スケーターみたいに。すっごいの。
第一形態のワンピースみたいなやつで回ると裾が派手に広がって大変眼福。
第三形態だと、白いフワフワシフォン生地が尻尾かなにかみたいに片尻を覆っていてけしからん素敵。膝丸は黒でお揃い。けしからん素敵。

●膝丸(高野 洸)
はじめは苦労人……と思ったけれど、新しい形のギャグ要員だった気もする。
彼がはける時、一人何かぽそっと呟いて去る場面がいくつかあって、ちゃんと毎回笑いが起きる。

三日月がいないことにいつもすぐ気が付いて走って探しに行くし、お兄さんが誰かの名前を忘れているとすかさず言ってあげる。フォローがうまい。
細かいことがどうでもいい髭切にとって、細かいところを気にかけてくれる膝丸は、案外大切な存在なんじゃないかなと思う。

岩融が「俺は実在していないかもしれない」という不安がるのを聞いた後、髭切に「このあたりで君は奉納されるよね。この時代の君を見に行くかい」って言われて「自分が実在していなかったら心配だから行かない」と答える。膝丸でもそこを心配するんだなと新鮮に思った。
その繊細さが、髭切にないもので、この2振は隣にいるんだろう。
2振登場デュエットで、お互い自分の来歴を歌ったあと「最後には隣に……(シュッと背中合わせになる)」みたいな振りがあった(妄想かもしれない)。

2部、ブレイクダンスみたいなのを披露してくれて変な悲鳴が出た。ブレイクダンスを踊る膝丸最高かよ。
客降り曲ではアリーナ通路から見上げてくれて、目が合いました。うわーん笑顔輝いていたよ!
第三形態でお腹見えてなかった? ありがたすぎる。

【人間】
●武蔵坊弁慶(田中しげ美)
見た目が阿津賀志山から変わっていて、僧侶というより荒くれ山伏ぽかった。でも中身は弁慶だよね。
勧進帳の迫真の演技で泣いた。
最後に持っていたのは確かに薙刀だった。

●源義経(荒木健太朗)
こちらも山伏ぽい姿。最後赤い甲冑来て出てくると泣いてしまう。
平家に勝利し、八艘飛びの様子を頼朝に伝えようと、ヒラリヒラリ言いながら(「甲冑も着ております! 太刀も佩いております!」)軽やかなステップを踏むのが可愛らしかった。

義経が持っていたのは今剣ではなかった。
三日月に逃亡を促された義経は、「われらはこれまで戦って戦って戦ってきた、これからは逃げて逃げて、逃げる」「あの鳥は、北へ向かったか。我らも北へ、海を越えて、大陸へ」と言う。チンギスハンルートだ……(号泣)

●源頼朝(冨田昌則)
キャスト変更になっていますが、私は違和感を感じませんでした。この物語自体が、阿津賀志山の焼き直しではなくて、ありうる別のルートの話だったからかな。
義経を愛する、素敵なお兄さんでしたよ。

●藤原泰衡(加古臨王)
泰衡も大好きになった。
三日月と話して、義経を討つことに決めるシーンが、背景の蓮のイラストも合間って幻想的。また観たい。
義経を討とうとして躊躇する、阿津賀志山の序盤を思い出して、息が詰まってしまった。

場面の感想:1部 ミュージカル

小鍛冶から入るんだ!! 小狐丸が生まれた物語。今作は刀剣の物語をテーマに書くんだなとわかってしまうこの構成。にくい。

髭膝の登場デュエットが何かラップぽい。「隣りにいる」みたいな歌詞だった気がする。

源平合戦を歌い上げる刀剣男士で号泣してしまった。平家物語も、ずっとずっと昔のできごとを今にまで伝え続けている。物語の力。

三日月と小狐丸の諍い。この2振がぐっと好きになった。同じ目標を遂げようとしても手立てが全然違うものになる。全力でぶつかり合えるのはとても素敵だと思う。
最後並んでお茶して、笑顔になるのが嬉しい。

今剣の修業。今回は作中で行ったらどうしようと見る前は思っていた。最後に出てくれてよかった。
自分が実在しないかもしれないって気持ちも飲み込めるくらい、この本丸で重ねてきた経験が確かならいい。

【阿津賀志山異聞と繋がるようなところ】
・泰衡が義経を討つのを少し躊躇う
・今剣の「よしつねこう? よしつねこう? これは、なに?」は血のことか、あの短刀か
・阿津賀志山異聞の義経は今剣を見ても「童! 名は何という?」と言う。長曽祢を見た近藤さんのように「会ったことがあるような気がする」素振りがない
・義経に名を問われた今剣はあわてふためいて誤魔化そうとする
・頼朝は本当は義経を討ちたくなかった
・弁慶が持っているのが薙刀ではない

場面の感想:2部 ライブ

1. 三日月ソロだよ!! 全員曲じゃないから注意。はじめはサイリウム青をお勧めします。「未来」について歌っていた気がする。歴史に対する三日月の気持ちがちゃんと歌われていた。
2. 全員の曲 髭切のバレエステップがつねにやばい。第一形態がみんなワンピースみたいで可愛い、私服として着たい。
3. MC 髭膝は「石切丸に教わって」堂々振舞っており、禊はなし 。三日月の「はっはっは」から「よきかなよきかな」のコールアンドレスポンス。ここ日替わりになるのかな?
4. 髭膝デュエット アップテンポで可愛いJPOP。2振ともダンスが美しい。膝丸の笑顔が輝いている。
5. 小狐丸ソロ 和風! 格好いい! 彼には髪飾りが付いていることに気がつく。髭膝がバックダンサーという贅沢。
6. 客降り曲。3バルまで来るぞ!!
7. 和太鼓ターン。
8. 歓喜の華! やったー!! 今度の小道具は打掛(?)です!! 青江の「揺らめく灯火 美しき結末」は髭切、村正の「華麗に舞って 奪い去って行く」は小狐丸でした。ダブル推し。
9. 今剣・岩融デュエット。この二人の曲ないのかな……と思ったら歓喜の華の後に来た!! すごい勢いで酒を飲み、人間キャストと喧嘩をする筋書き? とにかくアップテンポ。サイリウム振るのが間に合わない。2振の客降りあり。
10. 刀剣乱舞。三日月→小狐丸→髭膝で殺陣やってくれます。今剣と岩融は着替え中かな。

※どこだか忘れてしまったので抜けているけれど、全員で歌う学生ラブソングみたいなのがあった。
三日月がサビで「抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたーい!!♪」って歌って、会場が呆気にとられた気配を察知した。

全体の感想

ミュージカル刀剣乱舞はそこまで踏み込んでくるか!! それを言わせるか、刀剣男士に!!!

本作はついに刀剣男士の物語、存在について触れてきた。
三百年は人間ドラマに泣いたよ。家康と信康、信康と吾兵。あるいは家康や信康の成長に。
でも、つはものは刀剣や物そのもの、あるいはまつわる物語だ。「過去から今に繋がる何か」だ。それが物体であれ、言い伝えであれ。

歴史は調べても調べてもわからない部分がある。それが(空の)三日月の影の部分かもしれない。
私も推しの極を解釈するのに、調べれば調べるほどわからないことが増えて困った。限界まで調べても補えない抜けは、何通りか解釈を作った後、自分の好みで埋めることにした。(こちら→ https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=64421381
それをミュージカルはこう昇華してくるか、ってカタルシス!

刀剣乱舞は、考え続けるとやっぱりここに帰ってきてしまうんだな、と思った。
「物語」って何なのか。
その刀剣の、今に伝わるものがなにか。実体が残っていないなら「それそのもの」とは何か。それを在らしめているのは何なのか。
ミュージカルがこうして一つの答えを提示してくれたのは、作品の、このジャンルの成熟だと思う。めでたい。
しかも、男士も悩んでいるんだな、って方向で。だよねー。審神者も悩んでる。ぐすん。

だけど、だから、この作品は、この6振に限らず、誰か1振でも好きな刀剣男士がいるならば、心に響くんじゃないか。

阿津賀志山っていう土台があってこそのつはものだから、これ単体での評価は難しい。もちろん幕末も三百年も。
私が一番好きだったのは三百年の子守唄でしたが、三百年とはまた違った形で、一番好きな刀ミュになりそうな気がする。
素晴らしい作品です。

作品としては、歌としての歌が減った気がする。自然に織り込まれているというか。
台詞とお芝居が増えたかな。掛け合いや間の取り方で笑わせるのが上手くなったような気がする。

二部の構成の変えてき方はワクワクしたね! まさかソロから入るとは!
次に何が起こるんだろうって気持ちは素敵で興奮しますね。あーらぶフェス楽しみ。

こんなに素敵な物語に出会えて幸せです。
うちの本丸のすべての刀剣男士にお団子をあげてまわろう。君たちの物語を、審神者は愛しているよ。これからも、よろしくね。

ごきげんオタクライフに使わせていただきます🌱