手近なものでやっていく

遠出のなかったゴールデンウィークが、今日で終わる。

連休中は、毎朝、朝7時台に起きて近所を散歩した。パン屋さんに行って、焼きたてのパンを買った。

外に出よ、心身を回復させよ

連休前、平日ずっと家にいたの。散歩をしなきゃと思ってはいた。運動不足解消のために。つまり肉体のために。でもその認識には穴があった。ずっと家の中にいてだめになっていくのは肉体だけではない。心もまた調子を崩していくんだった。

月曜から金曜まで外に出ずにいたら、金曜の夕方からメンタルがめちゃめちゃになった。自分に何の価値もない、ここにいなくたっていいんだ、そういう気持ちでいっぱいになった。
PMSばりに具合が悪くて、なんかおかしいな、と思いながら寝た。

翌土曜朝、起きて散歩をした。お気に入りの水辺を気が済むまで歩いた。パン屋さんで好きなパンを選んで買った。帰って、コーヒーと一緒に食べた。

午後になって、私は私の心が軽く、明るく、前向きになっていることに気づいた。

私に足りなかったのは日光と歩行だった。セロトニンだった。ビタミンDだった。カーテン越しの光ではなく、空からそのまま肌に刺さる日光だった。フィットネスゲームではなく、五感を刺す景色をぐんぐん変えていく歩行だった。(なお、フィットネスゲームはフィットネスゲームでとても大事。)

それから5日間、毎日散歩をした。歩くと脚が疲れる。たくさん歩いた後の脚の疲れを、しばらく忘れていた。おこもりですり減っていたのは精神だけではなく、体力もまたじりじりと縮小していたのだ。

ずっと部屋にいると、心身が削れていく。それをこの身を以て知った。

たまたまそこにあるものでやっていく

学校の校歌には、近くの山や川がよく出てくる。あるいは、教育の中に、敷地内に生えている古い大木や、地域の名士が取り入れられる。

「土地が同じ」だなんてたいした意味を持たないのにと、思っていた。だって調べればどの土地の情報も手に入るのに。車や電車や飛行機で、どこにだって行けるのに。

でも今、私はかつてのように、自由に移動することができない。

たまたま近所にある水辺を歩き、たまたま近所にあるパン屋さんに行く。それらの行為は私の日常になり、私の心と身体を支える。大きな木には自然と親しみや畏敬の念を覚える。流れる水の始まりと終わりに思いを馳せる。近くの塀に苔が生えていることに感謝する(私は苔が好きだ)。たまたまある坂道がちょっと強めの運動になり、たまたま咲いている庭先や野原の花々が心の潤いになる。

私がこの土地に住んでいるのはたまたまだ。だけど、こんなに支えられている。地面という意味でも、もっと抽象的な意味でも。

昔はこうだったのかもしれない、と思う。

ここにあるものを食べ、ここにあるもので働き、ここにあるもので生きる。ここに昔からあるものに感謝し、ここに恥じない生活をしようと、きっと自然にそう思うようになる。

校歌に山とか川とか入れちゃうのもわかる。朝の体操に校庭のケヤキを取り入れちゃうのもわかる。

新しいことがわかったなあと、しみじみ思う。

後になって、私は2020年のゴールデンウィークに何もしなかったなと思わないために

念のため書いておくと、私はこの在宅期間に、気合を入れて何かをしようと思っているわけではない(そういうことはしないと決めている)。

だけど、後になって、「あの年はほんとにもったいなかったな」とか思いたいわけではない。私はむしろかなりがんばったと思う。心身を健やかに保つために。
後で「ほら!」って言えるように(自分に対して)、書いておく。

・毎日朝7時台に起きて、散歩をし、パン屋さんでパンを買って朝ごはんにする
・家の大掃除をする(床を磨く、トイレ掃除、洗面台掃除、台所掃除他)
日本刀鑑賞ことはじめの改稿、受注開始刀剣鑑賞メモ用紙PDF版の販売(5月6日は文学フリマ東京の予定だった)
・散歩の途中で見つけたお花屋さんでクチナシの鉢を買う
・浴衣を着る練習をする / 普段から練習で着られるように古い浴衣を手配する
・Kindle端末を手配し読書に備える
・刀剣乱舞の審神者就任5周年を祝うケーキを焼く(私がケーキを焼くのは1年のうちこの日だけだ) / 特命調査・慶長熊本をプレイし、地蔵行平と古今伝授の太刀をお迎えする / 長曽祢虎徹を修行に出す
https://twitter.com/your_re/status/1256510697690693632

わーすごい。

最後に、毎日朝本当にパンを買っていたよという記録を貼っておく。


ごきげんオタクライフに使わせていただきます🌱