人生の、春

青春(せいしゅん)は、季節の「春」を示す言葉である。転じて、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉として用いられる。

私は17歳、圧倒的に春だ。華のセブンティーンとも言うように、眩しくて華やかで、爽やかな風の吹く季節。私はそんな青春に、劣等感でいっぱい。所謂、青春コンプレックス。

今日は、県内1番の夏祭り。受験生だからと家にいることにしたけれどインスタグラムを見ていると出てくるのは、卒業後は就職する、他校の友達や、受験勉強の息抜きに遊ぶクラスメイト。途端に行けばよかったという気持ちに駆られた。浴衣やかき氷、花火。未だ部屋着の私には眩しすぎたのでインスタグラムは消した。大学生になって花火を見たってかえってはこない、ティーンエイジャーの春風への劣等感はいつまで私に纏わりつくのだろうか。

これはただの羨望である。あまり悲観してはいけない。しかし私は、高校生というものに絶大なときめきを抱いていた。夏祭りも7000発の花火も、私の中では高校生の代名詞なのである。これではいつまでも大人になれないではないか。

今しか見えていない私に、大人が何を言ったってだめなのだ。私には大学生も、社会人も、それほど魅力的に見えていない。何が魅力的かなどというのは人によるだろうが、私の場合はこうだから仕方がない。あぁ、まずい。こんなことを考えながら息をする暇なんて、私には無いのに。夏が来てしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?