感受性

私は人より感受性が強いのだと思う。昔から、悲しいニュースを聞くと数日間、いや、もっと長い間忘れられなかった。悲しくなると、この人はどんな気持ちだったんだろう、この人の家族はどうしてるんだろう、もしこれが私なら、私の家族なら、と考えが止まらなくなる。困った話だ。

悲しい悲しい言うけれど、数日経ったら忘れるんでしょ、と言う人がいる。そうだったら良かったのに。未だに数年前に見た、高齢者の行方不明のポスターが忘れられない。どうなったのだろうか、見つかったのだろうか。そんなことを貼ってあった場所を通る度に思い出して、答えを知らない悲しみでいっぱいになる。他にも忘れられないことはたくさんある。弟が飼っていたハムスターが突然死んでしまった時も夜中に弟より泣いた。可愛いハムスターが死んでしまったことも悲しかったが、弟の、ハムスターを手に入れた時の目や、存外可愛らしい名前をつけたこと、その名前を呼んでいる声を思い出して、弟はどんなに悲しいだろう、と想像すると私まで悲しくなった。未だにある、水色のケージを見るとこの感情を思い出してしまう。また、中学生の時に国語で読んだ物語の中に、病院のおばあさんと仲良くなった女の子が、毎日のように会いに行っていたが、成長とともに会いに行かなくなるというものがあった。おばあさんはずっと待っていたが、その間に認知症になり、女の子のことはおろか若い頃のことしか思い出せない、という結末だった。私は、待っているおばあさんの気持ちを想像すると悲しくて耐えられなかった。勝手にハッピーエンドの続編をつくるまでに。本当に困った話だ。

この強い感受性には悲しんだり、苦しんだりすることも多いけれど、それだけじゃない。どこかの誰かに嬉しいことがあると、私も嬉しい。嬉しさ、愛しさ、喜び、安堵、幸せ。見ず知らずの人と共有できるのは素敵だ。と思うことにしている。


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