#02 なぜ民間魔法が伝説の魔法として扱われているのか : 「葬送のフリーレン」


葬送のフリーレンにおける魔法の扱われ方

まず初めに

葬送のフリーレンの物語内における設定として、元々の魔法とは人間の使うものではなく、フリーレンやゼーリエなどの登場人物を含む、エルフや魔族、そして女神(神話時代の住民)など、人知を超えた種族が使う技術というものがある。
そしてこれらの魔法を一定の構造として解析し学問や技術として人間が扱えるようにしたのがフランメであり、人間が魔法を使わなかった時代において様々な種族に分散されていた魔法という技術を形式的に扱えるようにしたという点で、フランメは一種人知を超えた存在であるという前提がある。
現代における大陸魔法協会の前身となった組織に関してもフランメが総力を挙げて体制作りを行ったことによって創設されており、フランメの思想であった、人間にも魔法を使えるようにすることを前提として、宮廷魔法使いという管理体制が敷かれた。
しかし、現代において使用されている魔法とは、基本的に戦闘に使うものや身を守るものが主となっており、フランメが好きといっていた花畑を作る魔法やいわゆる伝説級の魔法といった、生活に使うような魔法はあまり積極的に引き継がれていないという傾向がある。
(アニメの範疇を超えた知識を入れてしまうとネタバレなどの危険性も出てくるため、アニメまでの知識で考えてみようと思う。
現在の漫画版までの知識を入れての修正点は次の記事の最初に触れようと思う。)
それではなぜ、そういった戦闘には不向きなものの、生活を豊かにしたり彩ったりするような魔法が引き継がれていないのだろうか?
今回はそこに焦点を当てて、簡単に現代における魔法の定義について簡単に触れた後、疑問点について考えていこうと思う。
駄文ではあるが、付き合っていただけると嬉しい。

簡単な魔法の分類

戦闘用魔法

現代の時代における通常の魔法使いが使用している魔法。
魔力による直接の攻撃や物理物体を操作しての攻撃など様々な用途が存在しているが、現代における主流は自然物(物理物体)を操作しての攻撃魔法が主であるようで、カンネ・ラヴィーネなどが使用していた属性魔法やリヒターの使用していた地形操作、(少し例外チックではあるが)ゼンゼの髪を操作する魔法などもこちらに分類されると考えられる。
逆にフリーレン・レルネンなどといった、熟練の老魔法使いとされる比較的過去の魔法にも精通していると思われる魔法使いや、それらの人物から魔法を教わったフェルンなどは、ゾルトラークを源流とした魔力攻撃や、それとは別の謎の魔法などを攻撃として使用している。
作中でも多くの人物が属性魔法や通常攻撃魔法を習得、使用していることから、その習熟度はともかくこれらの魔法を使用すること自体のハードルはそこまで高くないのかもしれない。
(主に参考にしている登場人物がオイサースト周辺に固まっているため、単に技術のある魔法使いが多いだけかもしれないが…)

非戦闘用魔法

精神操作魔法や魔法使いの杖を修復する魔法などの直接戦闘に使用しない魔法。生活にも転用できる魔法ではあるものの、その多くが戦闘活動向きである場合が多く、直接生活に転用できる魔法であるかというとそのような魔法は少ないように見受けられる。
また、魔法都市であるオイサーストにおいても、料理店や生活の過渡において魔法を使用している描写が見受けられないため、フリーレン世界においては魔法=戦闘用の技術という意識が根強いのかもしれない。

民間魔法(神話の時代の魔法・伝説級の魔法)

服の汚れをきれいさっぱり落とす魔法やフリーレンが収集している魔法、記憶においてフランメやゼーリエが行使していた魔法などがこれに該当すると考えられる。
これらの魔法に共通して言えることはその魔法一つ一つの用途がとても限定的であり、一般化されていないように見受けられるという点である。
現代において使用されている魔法の共通点として、"水"を操る魔法や"氷"を操る魔法など、効果対象が比較的抽象的であり、その範疇の中で魔法使いのイメージ力によって魔法が行使されるという特徴がある。
その逆の特徴をもつ民間魔法系統の魔法は、その効果が限定的であることから、イメージ力に頼らずとも行使できると考えられるが、戦闘への応用性が習得の難しさに見合っておらず、現代においてはあまり積極的に使用されていないようである。

魔族の魔法(呪い)

魔族の使用する魔法の中でも人間がその魔法的構造について解析できていない魔法がこれに該当。(効果が不明である魔法ではないことに注意)
つまり現代においてゾルトラークはここに該当しないわけであるが、アゼリューゼやバルテーリエなどはこちらに分類される。
その特徴として、魔法自体の効果自体もある程度強いものの、(存在するかは知らないが例えば世界を破壊する魔法など)その使い方や扱う魔族の位によってその効果が大きく作用されるという点が挙げられる。
また、魔族は自分の魔法に対して誇り(のようなもの)を持っており、その長い一生を通して自分の魔法の研究にいそしむ。
その点で言えば、人を殺す魔法という効果自体も強く、使い方によっては80年後に自分の魔法が解析されつくされた世界においても通用する戦闘を見せたクヴァールは、文字通り規格外の魔族だったのであろう。

女神さまの魔法(聖典の魔法)

ザインやフリーレンなどが聖典を通して行使していた魔法がこれに該当。
これらの魔法に関しては不明な点が多いものの、魔法の効果自体が傷の回復や解毒、治療などといった、魔法というよりも奇跡よりの効果が多いことから、おそらく他の分類の魔法とは全く違う構造を持っているのだろうと考えられる。
(なんなら魔法という分類に入れるために聖典の魔法と呼ばれているだけであり、魔法ですらない可能性すら見受けられる。本当に正体不明の技術であるといえよう。)

魔法の扱いに関する考察

なぜ民間魔法が伝説級の魔法として扱われるようになったのか

ここまでは魔法自体の分類について独自にまとめてみたが、なぜ民間魔法と呼ばれる比較的効果も単純であるように見られる魔法が伝説級の魔法などと扱われているのかという点について考えてみる。
前項でも触れたが、現代における魔法とこれらの魔法には一般化されているか否かという相違点が存在しており、習得が難しくなっている原因はそこにあると考えられる。
ここからは完全に想像となるが、フランメが立ち上げた直後の魔法を扱う集団の名前は"宮廷魔法使い"であり、おそらくであるがその行動指標は国王の守護であり、その戦力の一つとして宮廷魔法使いという存在が例外的に認められたのであろう。
この組織が、現在の大陸魔法協会が前身であると考えると、一般化され、学問として取り入れられている魔法が戦闘向きに特化していることも理解できる。
葬送のフリーレン世界において魔法は、元々神話時代なども含めてエルフやその他の種族といった人外が使用していた技術であり、それをフランメ含む創設関係者が人間にも使えるようにと体系化したものであると仮定すると、民間魔法は、「戦闘に使用する魔法ではないことから体系化が遅れに遅れ、それに伴って情報が残っている文献も減っていった(もともと生活用の魔法なのでわざわざ残す者も少ないだろう)」ことによりその存在自体が希少になり、体系化も住んでいないことから習得がえらく難しいことにより伝説級の魔法として扱われているのではないだろうか。
これらのことから考えると、人々の生活が豊かになるように魔法の使用を人間にも解禁しようとしたフランメの志は、半ばまでしか達成されていないわけであり、なんならその師匠であるゼーリエの元にレルネンなどという狂人がいることは、とんだ皮肉である。

なぜ魔族には"心がない"にもかかわらず魔法が使えるのか

なぜ魔族に、イメージだよりであるはずの魔法が使用できてしまうのかという点に関しては、おそらく魔族の使用する魔法の体系性にあると考えられる。
一例で言うと、ゾルトラークは人間が数十年かけて解析しつくすことでその構造の理解が可能であり、なんなら行使・改良も可能であることから、魔族の使用する魔法は、現代の魔法よりも民間魔法に近い性質を持っており、その効果が明確かつ、完全に魔法の行使が構造化されており、その構造通りに魔力を使用することでその効果を実現可能であることから、心がない魔族でも魔法が行使可能なのであろう。
(ただこの点に関して、葬送のフリーレンにおける魔族は心・イメージを持たないわけではなく、例で言うとキュウベぇのように、他の種族からして理解不能な思考回路を持っているといった方が近いのかもしれない。実際リーニエのように人間の記憶を模倣する魔族も存在することから、場合によっては人間の魔法も魔族に行使可能である可能性があり、理解不能な価値観から、構造的な魔法体系が構築されているだけかもしれない。)

女神さまの魔法が聖典を使用しないと使えないのはなぜか

一言でいえば、これまでに述べてきた魔法と聖典の魔法は、同じ魔法という名前でくくられているだけで全く別の概念であるから。というのがおそらく最も近いのだと考えられる。
おそらく聖典には、神の機能にアクセスして部分的に奇跡を引き起こす何かが記述されており、人間はそれを起動しているだけなのだろう。まあわからないが。

総括

総括として、葬送のフリーレン世界においては、魔法は以下のような構造で成り立っているのだと考えられる。

神話時代の魔法ーーーーーーー民間魔法
   |    |
   |    ------魔族の魔法
   |            |
   ------ーーーーーーーーーーーー現代における魔法

「聖典の魔法」

この構造において際立っているのは、聖典の魔法の特質性と、フランメなどの力があってなお争いなどにしか魔法を体系化できなかった人間の無力さである。ゼーリエがあのような立ち位置にいるのもそれを強調しているだろう。
一見するとバラバラに見える魔法も、良くとらえてみるとこれほど細分化することができた。
このようなアニメの見方も醍醐味の一つであるため、これを読んでくれた方が少しでもアニメ内部の登場人物を取り囲む情勢について考えることを楽しんでいただけるようになったら私もうれしい。

それでは次回は、魔法少女まどか☆マギカの世界設定について少し掘り下げてみようと思う。
それでは、ごきげんよう。
2024/05/11 U⇒[REI]

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