親の第1打前の理牌と世代間ギャップ

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こんにちは、夕灘ゆうなだです。

久々のnote投稿になります。すっかりnoteを書く時間を取れない時期が続き、落ち着いてからもnoteを書く習慣がなくなってしまいました。
連盟北海道本部長の喜田プロなどにも、若い頃の思考を書き残しておくと、数年後見た時に思考の変化を実感する機会があるかも知れないといった意味合いで、こういった文章化を勧められたことがあります。長期的に見て思考の履歴を残すことは、発信以外にも重要なことなのだと自戒しています。……などと大人ぶって語っているあたり、いかにも子供らしくて小っ恥ずかしいですが笑

さて、今回の記事タイトルは「親の第1打前の理牌と世代間ギャップ」とさせていただきました。

Mリーグが始まる前のアマチュア麻雀はオンレートフリーが主流で、なるべく他家を待たせず早く打つことが1つのマナーとなっています。これは全ての麻雀において言えることではありますが、特にオンレートフリーは店だけでなく他のお客様も回転数を重視するからですね。
もしもパチンコやスロットの玉メダルの払出しがチマチマポロポロ出るようだったら遊びたくないですよね笑(私は打ったことが無いので想像ですが)

私はオンレートフリーは打たないので、目にするツイートなどで見知ったことにはなりますが、親の第1打は理牌せず早く切ることが、当然で主流の風潮だと認識しています。
「第1打くらいノー理牌で切れるだろ」と仰る方は非常に多く感じます。

しかし、オンレートフリーを打たない20代半ばの麻雀ファンで、比較的リアル麻雀を沢山打っている私(リアル麻雀歴は7年)ですら、ノー理牌で第1打を切ることができません
全くできない訳ではないですが、ノー理牌で第1打を切る能力がありません。この能力において初心者同然なのです。セットで麻雀を覚え、オンレートフリーに行ったことがないと、いつまで経っても第1打を理牌しないで切ることが無いので、この能力が鍛えられないんですね。

私も夢ナイトのサポーターになり、お店側の人間になってから、競技・健康麻雀の場とはいえ、時間制限もありますから、夢ナイトにおいては第1打を理牌せずすぐ切るよう心がけています。詳細に言うと、初心者の方がいる卓では、その方の理牌が終わるまで(理牌をしつつ)待ってから切りますが、そうではない場合はすぐに切るようにしています。
しかし、切った後に理牌すると、だいたい切り間違えてることが多いんですよ。オタ風を切ったら浮いてる6mがあるのに1枚しかない9mが手に残っていたりとか、混一色を見るべき手なのに役牌を切ってしまったりとか。
この程度微差だと言う方も多いと思いますが、Z世代としては数巡引き摺るくらいには気にするミスなのです。特に私はNAGA信者で、第1打の微差で蛇神様のお叱りを沢山受けて育った身ですから、この辺のNAGAと不一致な牌を切るのには敏感です

夢ナイト。料金は10/31までこの価格になります
(ステマしていくスタイル)

私は若者代表でもなんでもないですが、間違いなくノー理牌で第1打を切れない若者・初心者は増えています。決してMリーグを見て育ち、かしこまって理牌してから切っているわけではないのだと知ってもらいたいというのが、この記事で世に言いたいことです。

競技・健康麻雀では、親の第1打を理牌されることを気にされる方は少ないと信じていますが、最近はオンレートフリーが中心のお客様も、競技・健康麻雀にいらっしゃる機会が多いでしょう。一方で、競技・健康麻雀で育った若者の中には、オンレートフリーで打てるようになることを夢見る人も少なくはありません。
これは一種の異文化交流です。そして、海外旅行をはじめとする国際的な場と同様で、異文化交流には感覚のギャップがつきものです。

これはちょっとした麻雀業界における課題なのかなと感じています。互いに相容れない思想だからです。米粒1つ残さない日本人と、料理は少し残す中国人みたいな感じです。相反する正義とまでは言いませんが。

オンレートフリーの文化は私にとってはよそ様なので、郷に入っては郷に従えではありませんが、とやかくその文化を批難するつもりはありません。
ただ、異文化交流には知識上での相互理解が必要ではないでしょうか。

「オンレートフリーで親の第1打を理牌してから切られて腹が立つ」といった主張を見聞きした若者の内心は穏やかではありません。
オブラートに包んで喩えるなら、タッチパネル注文の飲食店で客にこんな手間をとらせるとはなにごとだ!店員が聞きに来い!」とクレームを入れている年配の方を見ている気分です。
ただ、若者側も、Mリーグのような理牌をしてからの第1打が共通マナーではなく、なるべく他家を待たせず切ることが主流マナーの環境もあるのだと、知っておくことは必要かも知れません。

また、お店側の人間として打つようになった私は、なるべくお客様を待たせず打牌できる訓練が必要なのだと、新しい課題を見つけた次第でございます。

色んな文化で育った人同士で打つ環境では、人によって「当たり前」が違うことがあるのだと、ゆとりのある心で気分よく遊戯することを、皆様に心がけていただきたいと願います。

(了)

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