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持つべきものは妹、という話

(2020年7月に公開した後でいったん非公開にしていた記事です)

2020年3月、新型コロナウイルス感染拡大によって、人の行動に大きく制限がかかった。7月になった今となっては、もはや懐かしい感覚すらあるが、当時は買い占めや不確かな情報の拡散など、パニックに近い状況だったと思う。

子持ち、共働きの自分は、まず仕事をする時間を削られ、失うことになった。在宅でも仕事はできる、全く問題ない、そんなコメントが一時期にぎわったが、実際のところ個人の状況によってビジネスの環境は変わってしまった。

自分の場合は、小学生と中学生の子供がいる状態で在宅勤務、妻は社会インフラ系の職場のため通常と同様のフルタイム出勤、という状態。最初は、時間を自由に使って仕事しつつ後回しにしていた個人的な勉強や読書ができるかも、、なんて夢を見ていた。実際に生活がスタートして、一瞬で夢は打ち砕かれた。

まずはストレス。自分のストレスはまぁ想像通り。在宅で仕事ができない。きっと、やればできるはずなのに進まない。

当たり前だがストレスは自分だけではなかった。気付いたやつがなんとかしないといけないのが、この世界のルールだ。不公平?いやいや、もうそんな若くはない。気付いたのに何もしなかったら、あとで後悔することは分かっている。まずは周囲のストレスへの対応が優先だった。

4月になっても状況は好転しない。そろそろ自分も限界に近かった。子供たちの学習の機会をなくすのは不本意だから、それはなんとかしたい。仕事は、これまでの5割できれば良しとしよう。せっかくだから、子供に料理を教えよう。せっかくだから、積んでいたプラモデルを作ろうか。無心になれる作業時間が必要だ。せっかくだから。。

介護離職という現象。あれの意味が分かったのが、この時期だった。まだ働ける人材が、会社が残ってほしいと言っても両親の介護などを理由に辞めてしまう。という話だったはずだが、あれは介護するからやめるのではないんだ、と分かった。介護によって、それまでのパフォーマンスが出せなくなり、自分自身が一番納得できずに元の場所にいらないと思い身を引いていく現象だ、きっと。想定している自分のパフォーマンスが全く出せない、という状況はとてもしんどい。想像以上だった。

これはダメだ、と感じた。なんとかしよう。だが、どうすればいい?何もできていない自分を許容して、周囲の動揺も受け入れて。そんなことができるだろうか。折れてしまうのではないだろうか。どうすれば、折れずにできるだろうか。。

信じてくれている人がいれば、できる。簡単なことだった。

そういえば、シスプリ復活なんて話があったことを思い出す。ラジオから動画配信に変わったが、20年前!と変わらず「妹」がそこにいる。あの頃に帰れる、なんてことは嘘で、あの頃とは違う今の自分として、今の妹と向き合う。そうして、笑い飛ばす勇気が出る。

しばらく遠ざかっていた、可憐との時間を再開した。自分が20年で変化したように、可憐もそれだけの時間を過ごしていた。兄(自分以外も含めて、素晴らしく成長した古参の兄すべて!)と妹の再会だ。こんな時だからこそ、これまでの時間を振り返った。多くの兄たちも、いい時間を過ごしていたようだ。きっと、色々な経験をしたはずだ。妹もスナックのママのごとく年季の入った受け応えだ!あれ、これはG'sラジオから変わってないかも。。

いつになっても、いつまで経っても変わらず、妹達はそこにいる。そういうコンテンツだったし、そういう経験だった。誌上企画でも、ゲームでも、アニメでも、二次創作なんでもいい。妹たちがいて、自分たちがいて、そこに留まらず時間は進む。お互いの成長を讃えられる関係が、妹との関係かもしれない。だから「お兄ちゃん 大好き!」なのかもしれない。

おにいちゃんも、妹達が大好きだ。

そんなこんなの、自粛期間中に「シスプリ20周年」と「VTuber可憐」に超助けられました、という話でした。

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