拝啓 石川様

漢字なんかをずーっと眺めていると、作りや部首などがなんだか変な感じに歪んで見えて、なんという字だったかすらわからなくなることがある。
一つのものを形作っているものが分解されて、なんだかモヤモヤしてしまうことから、総体性の崩壊ということでゲシュタルト崩壊と呼ばれている。
なんの字だかわからなくなるけど、別の字に置き換わることはない。
 
私は生まれついての次男気質のためか、人が多く好むものにはあまり目を向けない。
ガッチャマンでは当然コンドルのジョーだし、ゴレンジャーではミドレンジャーである。(みみずくの竜はキレンジャー的で若干違うし、燕の甚平はいわゆるショタキャラでいまいちであった)
人が気にいるところよりも、自分がとても気になったところがあればそれがお気に入り(今でいう推しだ)になるのである。
あえてそうしているのではないかとすら思うが、みうらじゅん氏はいやげものとかそういうのを集めるのに、これがいいんだと自己暗示をかけて、半ば修行のように購入するという話をしていたことがあって、人があまり好まないものをすきになる努力を、いつの間にか持って生まれたというか兄に強制的に植え付けられた次男気質で無意識にしているのかもしれない。
ちなみに、最近英国の宰相になったスターマさんは生粋のorange juiceファンだとか。
aztec cameraとかpale fountainsではないんだね。
とてもわかる。
そんな私なので、誰も聞かないような音楽は大好きだった。
もちろん片田舎の私の手元に届くにはそれなりのコマーシャリズムに乗る必要はあったのだろうが。
町蔵には面食らったが、有頂天は大好きで、それこそ売れる前のたまとかも、ナゴム繋がりで聴いていたものだ。

そんな子供の頃から、私は人の顔を見間違えることが多く、最近では相貌失認とかで話題になることがあるが、そういうのではもちろんない。
単純に人の顔を記憶できないのである。
正確にいうと、どこか気になるところだけで記憶しているのである。
だから、大学生の時に同級生であったラグビー部のyくんとかsくん、sくんの顔は本当に3年くらい区別がつかず、本当に苦労した。
おそらくラグビー部、同じような体型、髪型ももちろん短髪という括りが気になって、肝心の顔は記憶されなかったのだろう。
ある程度学年がいって、彼らの距離が少しできたことから、なんとか自分の中で彼らに別々のラベルを貼ることができるようになって弁別ができた次第である。
中学生の頃に近所の駄菓子屋兼ゲームスポット(アーケードゲームが2台くらい置いてある駄菓子屋である)に詣でて、そこで遊んでいる友人と思しき人の頭をあいさつがわりにはたいたことがある。
振り返ったその人は全くの別人であった。
思いっきり謝ったが、許してくれて助かった。
これを聞くと、後ろ姿だからだろうという人もあるかもしれない。
しかし、違うのだ。
大学生になり都会に出てきた私は、ある時どこかの喫茶店だか何かにいた。
ふと大向こうを見ると、見知ったような人がいる。
どうみても母親である。
もちろんいるはずがないのだ、日本の片田舎で仕事してるもん。
気になって何度もチロチロみていたら、向こうもなんとなく気になるようで見ている。
そうなると、こちらも、これはもう母親に違いないと思う他ない。
(ね?意味わかんないでしょ?でも、私はいまだにその時の気持ちがわかる)
しかし、同時にそこにいるはずがないこと、もし母親ならこちらに合図を送るくらいのことはするはずなので、違うことは同時にわかっているのである。
じーっと顔を見る。
部分部分が違うような気がするが、しかしいつの間にかそれが見知った母親の顔になる。
ゲシュタルトが再構成されているのだ。
そんなこと漢字では起こらないのに。
これはなんなんだろう?
今でも、白くなった髪を染めて少し猫背で歩く老婆を見ると、母親と見間違える。
幸いなことに、いまだに健康でしっかりと働いている母親がそのあたりにいるわけはないのに、あ!?と思う。

そんな私なので、人を見間違えるのは今でも普通にある。
だから、一応知人らしい人とすれ違ったら必ず会釈をすることにしている。
向こうが怪訝な顔をしたら、おそらく人違い。
声をかけてくれたら、それは知り合いなのだ。
確信がある時には、声に出して挨拶することにしている。
それでも微妙な顔をされることはあるのだけれど。

ある時、ふと通りすがった街でコンビニに入り、そこで買い物をして店を出ようとしたところで、なんとなく見知った顔をした人とすれ違った。
当然のように会釈をして、その時なぜか妙に知り合いの確信があり、”お疲れ様です”とか口走った。
向こうはちょっと驚いた顔をして、軽く会釈をしてくれた。
なんか見たことある顔だし、でも仕事関係の人とこんなところですれ違うことなんてあるわけないしと思いながら歩いていると、その看板がふと目についた。
ライブハウスの看板である。
”本日の公演 石川浩司”
おい!そりゃ見知っとるわ!
知り合いでは全くないけど、死ぬほど聴いたわ!
石川さんやん。
たまやん。
きっと仕事柄慣れていらっしゃるとは思う。
しかし、ちょっと驚いた顔をなさっていた。
拝啓、石川様
あの時の不審な白髪のおっさんは私です。



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