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「きっと罰が当たるんだ」そういうセリフの小説を書いた。

今回のタイトルは、コンテスト用の新作として書いた作品のセリフの一つです。

なかなか重めのストーリーだと、書いていて自分も思ったけど、メッセージ性が強いと思ってくれたら嬉しい。

今回はちょっと重めの記事になります。
苦手かもという方は、また次回お会いしましょう。

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「きっと罰があたる」

この言葉は私がいつも心に留めているものです。

私は信じているんです。

誰かに迷惑をかけたり、嫌がらせをしたり、悲しい思いをさせたり、そんなことを故意にすれば、それは全部「自分に返ってくるよ」って。

悪いことをすれば、絶対「罰があたる」って。

人間だから、間違いや過ちや、無意識でしてしまうこともあると思う。でも、そうじゃなく故意に楽しんでそんなことをしている人がいる。

誹謗中傷

こういう関連の記事を書くことはやめようとずっと思っていた。

でも、ニューノマンさんが声を上げてくれた。

ニューノマンさんらしい、笑える画像を添えて(料理のタイトルのようになってしまったw)

ニューノマンさんの言ってくれていること、そのままです。

「あなたは幸せにはなれないよ」

そう

「罰が当たるんだ」

ごめんなさい。怖い事を書いているように思いますね。

このnoteで私はそんな人に出会ったことはないし、私自身もそんなことをされたことはありません。

でも、ここのところ、そういうことをされているという話を聞くことが増えました。

私の周りはかなりのクリエイターさんが多いです。

小説を書いている方、イラストを描いている方、漫画を描いている方、歌をうたっている方。

そういう方へ「嫌がらせ」をしている人がいるということ。

はっきり言って、それは「妬み」です。

私だって「あー羨ましい!」なんて思うことはしょっちゅうで、「いいなぁ」って目をキラキラさせていることも毎日です。

でもそれが「妬み」になることはありません。

だって、その人と自分はまったく違うものでしょう?

以前、私も記事にしたけど、私も昔は自分の家庭環境を恨んで、自分より売れていく漫画家さんを妬んでいたことがあります。
もちろん、今のように誹謗中傷が簡単に出来るわけじゃないから、自分の中でふつふつとした思いが溜まっていきました。

でも気付いたんですよね、そんなことをしても、考えても意味がないって。

だって、その人と私は違う生き方をして、見るものも感じるものも違う。

その人が出来ることが私に出来るとは限らない。

その人が成功しているからって、今の自分にそれだけの力があるのか?

そう考えたら、妬みや嫉妬という思いを持っていることが意味のないものだと思えてきた。

正直、時間の無駄です。

そんなことしてる暇があるなら、自分の楽しい事を、夢中になれることをすればいいのにって思います。
でも、その誹謗中傷が楽しい、夢中になれること、そう思っている人は、そのことが必ず自分に返ってきますよ。
だって、人を苦しめているんですから。
同じ苦しみを味わいますよって、私はいつも思っています。

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「自分は自分」

自分の出来ることを頑張っていこう。

私はそう思ったら運は回り出した。

だからもし、この記事を読んで、そんなことをしている人がいたとするなら、もう辞めた方がいい。

ニューノマンさんの言うように「あなたは幸せになれないよ」

誰だっていいことばかりじゃないし、体調が悪ければついネガティブなことを考えてしまう。
ほら、私がかの有名なネガティブ大王・夕雪ですから。
その気持ちは人一倍分かると思っているんです。

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ただね、私は身内意識が強い蟹座でもあるので、私が大切と思っている人がそんな目に遭っていたら、それは許すことは出来ませんよ。ええ。

私がこうやってnoteを始めたのも、TwitterやSNSを始めたのも、小説を書くことの宣伝をしていきたいと思ったから。

今では、そのつながりの大切な人はたくさん増えたけど、そのSNSを消してしまうことに痛手はまったくありません。

今までも、宣伝もせずにずっと小説を書いてきたんだから、そこに戻るだけです。

小説を書いていける環境があれば、それだけで幸せなんです。

だから、私が何を言われても、恐いことはありません。

そのぶん、全力で身内を守っていきたいって思います。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。