見出し画像

【創作】糸

あなたが何者でもよかった。差し伸べられたものが釈迦の右手でも、悪魔の左手でも。取らないなんて選択ができるほどの信念も信条も、僕は持ち合わせていなかったから。
手を取った時、あなたは赤く笑った。赤面したとかそんなことじゃない。ただ、見えていないはずの舌が真っ赤であることに触れた気がする。とにかく僕には一番遠い色で笑ったのだ。

街の中で彼らに向けて歌っていた時、きっと僕も同じように笑っていた。
闇堕ちする時ってこんな感じ? 思考も視界も水平なまま狂っていく。うまく立てなくなって転び落ちた先、無重力の空間に放り出されたような(それを宇宙みたい、なんて言わない。そんな神秘的なものじゃなかった)。
無重力の今、もう地に立つ意味なんてないのに、もう一度降り立ちたい気持ち。頼むからもう一度手を差し出してくれないか。どんな手でもいいんだ。それが悪魔の右手でも釈迦の左手でも。

どんな手でもいいと言った手前、後悔はしない。
君に縛られる結末も、きっと僕が心の底から望んだ末路だ。そうだろう?
蝶の群れに呑まれながら僕は笑い、手を伸ばした。
泣いていたかもしれないが、鏡がないから自分ではわからなかった。何を思って手を伸ばしたのかも。行動の重みを掴めなかった。本当にすっからかんだったのだろう。ここはただの無重力。今はもう、穴の中。

蓮の台まで、なんて。

でも僕は本当にその時でさえ、君を独りにしたくなかったのだ。僕を嘲る君を。神でも悪魔でも釈迦でもない、救いのない馬鹿で愚かな君を。君の垂らす糸に縋ることすらできなかった明日の中でなお、ずっと思っていた。

作家修行中。第二十九回文学フリマ東京で「宇宙ラジオ」を出していた人。