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健康と芸術

※この記事は、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダーシップコースの授業「クリエイティブリーダーシップ特論」の課題エッセイです。授業では、クリエイティブとビジネスを活用して社会で活躍されているゲストを毎回お招きしてお話を伺います。

2021年9月13日(月) クリエイティブリーダーシップ特論 第10回 ゲスト
稲葉俊郎さん / 軽井沢病院 副院長・総合診療科医長

稲葉さんは、2020年3月まで東京大学病院で心臓を内科的に治療するカテーテル治療や先天性心疾患を専門とされていた。2020年4月からは軽井沢病院に拠点を移された。山形ビエンナーレ2020の芸術監督を務めるなど、未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業など、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。


病気をなくすことがイコール健康とは限らない

WHO による「健康」の定義では、「身体的にも、精神的にも、社会的にもすべてが満たされている状態であること」と言っている。この定義のポイントは「病気でない状態=健康」としていない点だ。だが、現在の医療は「健康になること=病気をなくすこと」としており、医療の目的は「病気をなくすこと」である。

稲葉さんは学生時代にずっとモヤモヤを抱えていた。後々振り返って気づいたそうだが、やりたいことは「健康学」であったが、大学で教えられる西洋医学は「病気学」であり、自身の思いとズレがあった。現在、軽井沢に拠点を移されたのは、この「健康学」を実践するためだ。


「あたま」と「からだ・こころ」

「健康学」を考えるうえで、「あたま・からだ・こころ」の関係性を知らなければいけないと、稲葉さんの著書「からだとこころの健康学」の中で語られている。

「健康」において、「からだ」と「こころ」が重要なのはなんとなく分かる。ではなぜ「あたま」が重要なのか。それは「からだ」と「こころ」がシグナルを発していても、「あたま」が見て見ないフリをして無理して頑張らせるように指示を出すからだ。疲れていてもやる気がなくても、やらなきゃいけないと指示を出してくる。この「あたま」の機能が「からだ」や「こころ」よりも特に現代は優先される。

逆に言えば、健康に生きるということは、これら「からだ」や「こころ」の感覚を取り戻すことなのだろう。


健康と芸術

ここまで書いてきたことは、現代人が意識しない非常に重要な視点だが、稲葉さんが初めてという訳ではないだろう。例えば、「バカの壁」で有名な養老孟司先生は、「からだ」や「こころ」よりも「あたま」が優先される社会を「脳化社会」と呼んでおり、身体感覚を取り戻す重要性を本や講演の中で繰り返し説いている。より古くでは、仏教は「こころ」と「からだ」の関係について教えている。

(講義の後に読んだ「からだとこころの健康学」の巻末にあるブックリストでは、養老先生や三木成夫先生、また仏教の本が挙げられていた。まだ読んだことのない本も多くありいつか読んでみたい。)

稲葉さんが唯一無二の医者であると私が感じた点は、医療と芸術の接点を見出している点だ。講義の中で「医療と芸術は似ている」とお話されていた。稲葉さんご自身が能の演者でもあるが、世阿弥は風姿花伝の中で、「芸能とは、寿福増長の基」と述べている。芸能は「医療」とも置き換えることができ、「健康」を考える時に、芸術で探求されてきたことの中に重要なヒントが散りばめられていることに気づく。稲葉さんが芸術の探求を行なっているのもこういった理由からだ。

お話を伺っていて、稲葉さんが東大から軽井沢に移られたのも非常によく分かった。医療を「病気学」として捉えると、病院に閉じた医療となってしまう。だが「健康学」として見れば、自然に囲まれた軽井沢は開かれた医療のフィールドと変わる。稲葉さんによる開かれた医療は始まったばかり。数年後にどのような変化が起こったかぜひお話を伺いたいと思った。ゆっくりかもしれないが変化は起きる、そんな気がする。

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